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台湾放浪


    はじめに

 2014年2月から3月にかけて自転車で台湾一周の旅をした。台湾ではこれを「環島」という。走行延べ距離は1600kmとなったが、なかなか手強い。2週間もあれば一周できるところを、時間をかけてほぼ1カ月、反時計回りにグループであちこち回ったが、結構厳しかった。




 幹線道路はバスやトラックとシェアしなければならない…もっとも一桁国道などは道幅が広く、「慢行車線」…スクーターと自転車のためのレーンが設けられ、問題なかったものの、太平洋側では、「慢行車線」もまれで、海岸部に道路を作れないため、断崖の中腹まで道路がせり上がり、車線も1車線となる。特に自転車通行禁止の清水断崖を通過する場合は、早朝に通過するなど慎重さも求められた。

 2月〜3月は、雨も多く、体温低下もあり、過酷だ。北回帰線をはさんで温帯と熱帯にまたがるため体調管理に注意も必要。
 さらに台北、台南など大都市ではスクーターの洪水に巻き込まれないよう注意も必要で、排ガスで喉をやられたのはキューバの場合と同じだ。車線変更に伴う合図は早めに、確実に行うなど交通ルールになじむことも大切だ。
 阿里山、太魯閣渓谷など山岳地帯に行くなら、極力、荷物を軽くするなど、計画も慎重にすべきだ。


    台北から淡水周りで南下

 2つの国際空港を抱える台北はもちろん台湾の玄関であり、首都だ。台北には国立故宮博物館など、見どころも多くあるが、ここでは多くは触れない。ただ、故宮博物館前で法倫講の人達が、大陸からやって来る観光客を相手に、中国政府の人権弾圧活動をPRしていたのが、印象に残っている。台湾ではこうした批判の自由が認められているということだ。
以下、台湾一周旅での印象的な出会いについて記す。



  台北観光を終えて、淡水経由で南シナ海沿いの平坦ルートを南下するかたちで台湾一周の自転車旅を始めた。ちなみに台湾では自転車のことを「自行車」と呼んだり、「脚踏車」と云ったり、あるいは「鉄馬」ともいう。「自行車」と「脚踏車」は道路標識にも出てくる公用語だが、「鉄馬」はサイクリングステーションや民宿の名前にもでてくる。僕らのことを「不老鉄馬」と呼ばれたこともあった。これは日本からやって来た中高年の懲りないサイクリストという意味だと、勝手に解釈した。

淡水河口の汽水域に繁るマングローブを見ながら、海岸線にそって、自転車専用道を主に辿りながら南下。初日は苗栗(ミャオリー)県の竹南駅まで131km。

    馬祖神社に圧倒される

 翌日は台湾で一番大きな馬祖神社に圧倒される。日本の金比羅さんのような女神様の前で、行旅安全の祈りを捧げる。


 道すがらコスモスが一面に咲き、その向こうには菜の花も咲き出した。秋と春が同時にやって来たような台湾の冬のない風景が広がる。日曜日で小正月のお墓参りの日だ。山側のあちこちの墓所から爆竹が響き、花火と紫煙が上がる。


 台中では日本が建設したという現役の「台中駅」を見て、寶覚禅寺を訪れたが、金色に輝く巨大な布袋座像が青空を背景に鎮座していた。台湾の人は奇想天外なものを作るのが好きなようだ。境内の片隅に、第2次大戦で台湾に派兵された日本兵の戦死者3万3000人のための慰霊碑があった。ほかに日本軍に従って戦死した台湾人も多くいたというが、さぞ無念だったろう。



    北港で、朝天宮の祭と遭遇

 鹿港では、古くで見どころのある龍山寺と、旧市街「鹿港老街」の雰囲気を楽しむ。曲がりくねった細い街路に向き合った家々には正月の飾りがそのまま残され、土産店、菓子店など様々な生業を営んでいる。こうして実態保存するのが一番いいのだろう。

台湾全土が9℃も気温低下するなか、人造湖、日月潭(リーユエタン、標高812m)まで92kmを登る。途中から雨も降りだし、ずぶ濡れで到着。翌朝、体調を崩したN氏の滞留希望を受け入れ、北港(ベイガン)まで111km下る。途中、アヒルの大養殖池を見かける。数千羽、もしかして1万羽も居るのか、驚く光景だ。




 北港では朝天宮の祭と遭遇。巨大な何体もの聖人像が目玉をクリクリさせてゆったり歩いて来る。長崎の蛇踊りのルーツかと思われる蛇踊りも朝天宮前で舞っている。すごい迫力。参道は台湾文化の坩堝だった。

   仁義譚と阿里山森林鉄道の旅

 晴れたので、少々汗をかきながら人造湖、仁義譚(レンイータン)までのアップダウンを行き、嘉義へ。翌日は、自転車を降りて、嘉義駅から奮起湖駅まで阿里山森林鉄道の旅に切り替えた。たまには小さなトロッコ列車の旅もいいものだ。沿線の駅で手を振る女の子、山腹を覆うウーロン茶畑など風景は目まぐるしく変わる。



 阿里山からはバスで戻り、北回帰線を越えて台南へ106km。翌日は美しい池と伝統的な建物の北営の蓮池潭を経由して、台湾第2の都市高雄から東港へ。東港からさらにフェリーで小琉球島一周を楽しんだ。

     台湾最南端から太平洋側へ

 恒春から台湾最南端の鵝鑾鼻(ヲールアンビイ)へ。椰子の林の南端の先にはバシー海峡が鈍く光っているだけだった。半島部を回り込んで太平洋側に出ると、緑に輝く丘に白い波浪が打ち寄せていた。太平洋側には道路がなく、道は大きく西寄りに迂回して恒春を経由して四重渓温泉へ。
翌日は台湾の若者2人のMTB組に教えられ、199号線の緩やかな山越え道を9号線との出会い壽峠へ。深い山並みの森林をクネクネと登るが、周りの風景が素晴らしい。古戦場が現れる。走りながら道路脇の壁に飾られたレリーフを見ているだけで、古い時代の戦いの様子がわかる。さながら移動式博物館の趣だ。古い時代の山地に住む人たちの生活の様子、戦いの相手には日本の侍のちょんまげも見えるし、琉球軍の姿もある。台湾は戦いも含めて、古い時代から日本を含めて様々な交流があったことを教えてくれる。サイクリストにお奨めのルート。



 途中の山のなかの小さな村では婆さんたちが朝から酒を飲みながら、チマキを蒸していた。偶然だが、阿美族の人たちの暮らしを垣間見た。忘れたという日本語が使えるお婆さんとチマキを食べながら井戸端会議に少しだけ加わる。

     太平洋側の雄大な自然と阿美族文化

 壽峠から太平洋側へ一気に下る。狭く、静かだった山道からいきなり、トラックが轟音を響かせで行き交う2車線道路の下りで戸惑う。太平洋側の荒い波が黒い砂をたたき、海岸は灰色だ。海岸線につけられた道路は時折、崖の中腹に伸びている。そこを登る。そして下るの繰り返しだ。大武を越えて北上し、太平洋側の最初の温泉、金崙温泉に入る。椰子の樹、胡蝶蘭に囲まれた大きなリゾートタイプの温泉は、貸し切り状態だった。

雨の中、海沿いの9号と11号を走って台東(タイドォン)まで57km。すっかり濡れてしまった。台湾1周のスタートから延べ1012kmを記録する。

長濱を目指す。海上に奇岩が突き出た、三仙台は休日のため、もの凄い人出だ。石雨傘という、天橋立に似た岩礁が連続したところも見どころだった。




 雨風の中、白く高い塔の北回帰線標識を越えて花蓮(ホアーリェン)へ。
途中、アミ族の墓が見える、すべてカソリックだ。石門では雨の中、遊歩道を散策する人多し。日本人の一団もレンタカーから、平たい岩が並ぶ海岸部に降りていった。11号は素晴らしい雄大な自然海岸を走るが、開発されていないのでコンビニもない。
210mの峠の途中で、垂直の崖に作られた階段が渓に向かって下っている光景を偶然見かけた。岩に穴を穿ち、板を打ち込んだだけの階段で、手すりもない、阿美族が水汲みに使った階段が残されていた。

     阿美族の共通語は日本語?!

 花蓮で阿美族の踊りを見た。1時間の踊りは、勇壮なものが多かったが、豊年を祝うなど生活と結びついているほか、身体を鍛える目的もあったという。もともと台湾の東海岸部の山岳地域と海辺に暮らしていた阿美族だったが、現在では土木作業などで台北など大都市で生計を立てたり、船員となって基隆に住みつくなど、漢民族とも融合し、その人口は16万人を越えている。母系社会で民俗衣装の赤色は母親(太陽)を表すという。竹筒飯などはアミ族の食文化の代表的なものと思う。馨憶(しんい)民宿のサイトによると9つの部族から成り立つアミ族の共通語が日本語だったという。




     太魯閣渓谷美と谷底の文山温泉

 花蓮から晴れた海岸線をたどり、太魯閣渓谷を登る。渓谷美の最初の見どころは、支流の神秘谷の断崖にうがった水平歩道だ。歩いてみないかと誘いかけてくるような雰囲気がある。原住民、太魯閣族の生活のためのものだったと解説にあり、観光用に整備している4kmばかりの一部を歩いた。
長春祠という廟への道の橋が落ちており、遠景から眺める。廟から流れ下る滝との構図は一服の絵のようだ。
20kmの登りが天祥まで延々と続くなか、本流の流れや、その両岸や岸壁、断崖の様子は目まぐるしく変化する。浸食で鏡のように磨かれた大理石には美しい文様が浮かびでている。首が痛くなって、見続けることが出来ない垂直の断崖。垂直に切れ込んだ場所では断崖に掘られたトンネルの窓から谷底を見下す。太魯閣は世界遺産級の自然美を誇るが、台湾がユネスコ加入していないだけのことで、世界遺産登録を望む声があることを帰国後に知る。




 さらに渓谷をたどり、「泰山隧道」の手前で、谷底に繋がる長い階段を下り、途中から揺れる吊り橋を対岸に渡り、さらに長い階段を下りて露天温泉にたどり着く。文山温泉だ。温泉には、少なくない先客がいて、台風によって破壊された温泉の噴き出し口の2〜3カ所から湯が噴き出している。大理石がオーバーハングした天然浴室は43-45℃ほどの熱湯で、長く入っておれない。渓底の砂利を掘ってこしらえた「湯船」では渓の水を混ぜた適温で長く楽しめた。まさに秘境中の秘境の露天風呂だ。


     最大の難所、清水断崖を早朝に通過

 台湾を一周する最大の難所が清水断崖の通過だと聞いていた。そのため、早朝に太魯閣渓谷のスリッピーな下り坂をこなし、太平洋岸沿いにでる。早朝でも大型砂利運搬のトレーラーが走り、これがトンネル内で出合うとき、路肩の余地がなくなってしまう。なのでトンネル内は「禁行自行車」の標識があるが、他に代わりの道はないので、意を決して通過する。午前9時頃は比較的大型砂利トレーラーが少なかったのが幸いして、全部で7つのトンネルを無事通過することができた。危険だと云われている清水断崖を無事通過できたので、これで台湾一周の旅は終わったようなものだ。




 日本の与那国島まで110kmほどと、台湾では日本に最も近い地点の蘇澳に到着。馴染みのない豊富な魚介類に驚く。


    九份、山上の露地に押しかける観光客

 雨が降ったり止んだりの2号線と、それに並行して付けられた自転車道を進む。9割以上進んだところで、九份(ジォウフェン)への登りにかかる。約5kmの登りが半端じゃない。斜度が15%越える個所もあり「押し歩き」。



 山腹に広がった岩棚の素晴らしい滝を見ながら、うねうねと登り、ピークに達したところが、九份の中心部だった。九份旧街は、細い露地の石畳が左右にくねり、上下しながら続いていた。露地にひしめく土産物屋と食べ物や目当ての観光客であふれかえり、自転車の「押し歩き」もままならなかった。

     台湾随一の「基隆夜市」を巡る


 雨で停滞した九份の急坂をゆっくり下り、基隆を目指す。基隆は大きな街で、かつて「基隆軍港」があったところ。港を見下ろす丘には「KEELUNG」の大きな看板。その基隆港、荘厳な寺、仏光山極楽寺、中正公園を巡る。夜は「基隆夜市」を巡る。凄い人出で、台湾随一の規模だ。




    淡水で台湾一周

 野柳風景区の奇岩を見ながら淡水へ。ここの水成岩には、鉄分が薄い層となって混じっているので、古木を削りだした板のような美しい縞模様が見られた。追い風に乗って赤い橋が架かる台湾島の最北部を通過。淡水漁人碼頭と呼ばれる波止場、17世紀にオランダが作った紅毛城などを見ながら、淡水着。台湾一周が完成した。



 

    優しかった人々

 実は、今回の旅で、台北に長らく暮らしておられる中村勝美さんに、たいへんお世話になった。中村さんは、我々の台湾一周自転車旅に参加して、なるべく一緒に走りたいと希望され、一緒に走り始めた。ところが残念なことに、ご家族の急病のため、5日目に彰化で離脱された。旅の初めに中村さんから台湾の旅について、色々教えて頂いただけでも大いに助かった思いである。


 (写真は順に、女性連れの坊さんサイクリスト。公園で伝統の将棋を楽しむ人たち。台北駅周辺。打ち上げ…中村さん、後列左端。)

 同様に、台湾を走っていて、現地の人々から様々に親切にしていただいた。道端の商店で刀削麺の店を丁寧に教えてもらい、宿へ戻る途中でお礼を言ったら、フルーツを頂いたり、九份では雨のなか、宿探しで書いてくれた地図が濡れないようにとビニール袋に入れてくれたり、ごく普通の若い人も気を配ってくれた。最近の日本はぎすぎすしていて、こんな話はあまり聞いたことはないが、こうしたことが本当の「おもてなし」だろう。
また、体調を崩した同行のN氏と、日月潭で別れたまま旅を続けたので、恒春警察にN氏捜索を願い出た。同席してくれた通訳氏が地元ローカル紙にN氏捜索の一件を流してくれたことも帰国後に知った。

どうして台湾の人々は、こんなに親切なのだろうと考えていたが、答えが見つかった。
今年、台湾で大ブレークしている「KANO」とう映画を台北で奨められて観たが、答えは映画そのものにあった。来年、日本でも上映される「KANO」は3時間を越える超大作で、日本人の野球監督が、嘉義農業中等学校野球部を鍛え、甲子園の準優勝まで導いた映画だった。この日本人監督が球児を愛の鞭で励まし、鍛えるだけでなく、台湾農業を豊かにするために努力する日本人教師や技師の貢献も描かれていて、感動した。
今日、1930年代の日本統治下の実話を映画にしたのは台湾人監督である。
映画の反応も様々で、日本のことを美化しすぎているという声、その対極に、日本統治がなかったら、今日の台湾は存在していないなど…。
つまり、いい意味でも、悪い意味でも日本は様々な分野で台湾に大きな影響を残したわけで、それが台湾の人々に日本像として定着し、日本や日本人と接する際の規範になっているのではないかと気づいたのだった。我々の旅は、こうした人々の善意に包まれたものだった。


 

    <附録1> 個性的な台湾の温泉






     <附録2> B級グルメを巡る楽しさ

 台湾の多様な食文化を楽しむのも旅の目的の一つで、台湾の人々が、日常的にごく普通に食べている食べ物。その普通の食べ物を毎日食べたが、どの料理も価格は日本の3分の1程度で、味は安い店ほど美味い気がした。また量的にも日本で食べるよりボリュームがある。例えば、日本で食べるワンタンはスープのなかで泳いでいるが、台湾では泳げないほど入っているし、チャーハンは日本の1.5倍ほどで、具材もショボクない。

 日本人は食事をしながら酒を飲む習慣があるが、台湾の人々には、その習慣がない。酒はコンビニなどで仕入れ、了解を得て飲食店に持ち込むのがマナーで、一部の例外を除いて、飲みのもで稼ぐという考えはなく、コンビニの通常価格の酒を持ち込めるので、リーズナブルだ。

 特に美味かった「B級グルメ」(自薦16種)を挙げてみる。





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