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   ハプニングの連続のなかスタート

 4月29日。
 連休の前半を利用したSさん企画の三陸海岸のツアーは、しょっぱなからハプニングの連続だ。
 大宮駅ではKさんが千葉から緊急連絡をしてきた。彼が乗っている電車が人身事故を起こしたので、始発の新幹線「はやて」に乗れなくなり、1時間遅れで行くので八戸で待っていてほしいという。
 新幹線車内でもハプニング。Hさんのドタキャン発生だ。これで4人となった。さらにSさんが下車時に帽子の忘れ物、そして八戸駅前では強風のためSさんのマップケースを飛ばされてしまった。ハプニングは続く。

 1時間後にK氏と合流。強風のなか11時半に初日のスタート。北方向からの風だろうか。黄色い土を猛烈に巻き上げている。時折ハンドルがふらつく。しかし幸いなことに東に向かうボクらにとっては追い風だ。八戸市内をおろおろと走り、やがて太平洋が見えてきた。
 そしてそこに浮かぶ小さな島「蕪島」だ。こんもり盛り上がった島は点々と白い斑点で覆われている。天然記念物ウミネコの生息地だ。ここは保護区だという。ウミネコは折からの強風をうまく利用しながら島の上2メートルあたりで飛行しているが止まっているようだ。風速と自分の飛行スピードを合わせ、巣に着陸するタイミングを図っている。いたるところに彼らの巣があり、1メートル以内に近づくと大きな口をあけ威嚇してくる。また白昼堂々と交尾をせまるのもいるが、たいてい成功しないのだ。残念!。

 蕪島をあとに海岸部を南下する。いよいよ三陸海岸にむけてのサイクリングの始まりだ。風は相変わらず強く、南下するボクらは西方向からの横風を受ける。
 突然、茶褐色の土煙が前方をふさいでいる。風の通り道に畑があり、風が土を巻き上げているのだ。そのなかを突破する。コーヒー色の空気のなかに入ると頬が土埃で痛い。目、鼻、耳と土埃は容赦なく飛び込んでくる。こんなサイクリングも初めてだ。
 Sさんは遅れ気味だ。無理もない。彼は職場で手にかなりの怪我を負い、今日までかかってようやく旅にでられるようになるまで回復したのだという。彼の体力は落ち、足がつるといっていた。
 知らないうちに青森と岩手の県境を通過し、種市駅に着いた。ここで休憩。「三陸鉄道」は2時間に1本というダイヤだ。その列車の客を目当てにタクシーが6台も駅前にたむろしている。はたして客は1時間後に降りてくるかどうかはわからない。
 ようやくにしてリアス式海岸の北端だと称する「北限閣」という国民宿舎に着く。(63km 16:15)。風呂で土埃を流し、豪勢な「船盛り」で盛り上がる。


  カタクリの道たどり琥珀博物館へ

 4月30日。
 早朝、国民宿舎裏の急な斜面を下り、入り組んだ海岸に降り立つ。リアス式海岸独特の切り立った岸壁に挟まれて細長い入江がある。誰も立ち入らないような複雑な海岸線の一部だ。波の花が打ち寄せている。
 8時半に北限閣を発つ。道はほぼこのリアス式海岸に沿っているが、かなりのアップダウンがある。しかも今日の行程は約80キロと長い。
  山道にさしかかると蕗のとうが伸びている。東京では高い値段で売っているのに、ここらあたりでは誰も採らない。そしてカタクリが道端に咲いている。可憐なこの野草も同じことで、東京ではこの花が咲けば保護区にわんさと人が押し寄せるが、ここでは路傍の草花にすぎない。可憐なカタクリを見ながらのサイクリングもなかなかいいものだ。

 

 今日のメインイベントは久慈琥珀博物館の見学だ。約2時間の走行で琥珀博物館に到着(10:30 25km)。
 久慈というところはリアス式海岸線の崖で琥珀を産出する。もちろん琥珀は松ヤニの一種が化石状になったものだが、熱帯林などでも広く産出するらしい。琥珀の生成の過程や世界各地の琥珀なども展示されている本格的な博物館だった。
 久慈市と野田村の境で海を見ながらの昼休みをとる(13:00 47km)。今日の到着地、島越まではちょうど半分の距離となった。はるかな断崖の先に目指す島越が隠れている。 午後はアップダウンがさらに激しくなった。下り坂を猛烈なスピード(Max60km/h)で下り、その勢いをかりて登り坂を駈けあがる。その繰り返しだが、登り坂でチェーンがリアトップの外側に外れて食い込むハプニングを2度も繰り返す。食い込んだチェーンを直すのに手間をとられる。ようやくにして島越の民宿「菊屋」に到着(17:00 92km)。田野畑村にある島越(しまのこし)はまったくの寒村というべきか、小さな小さな漁港だ。

 今日はアップダウンが激しく、距離も長いのでかなりの疲労だ。
民宿の狭い風呂で交代で汗を流した後、ウニ、ホヤ、アワビなどの海の幸とタラの芽の天ぷらで豪勢な宴会となった。値段は一人8000円で飲み放題、食い放題状態で、おまけに塩蔵ワカメのお土産付きだった。ありがたや。


  リアス式海岸と断崖

 5月1日。
 山また山の田野畑村を行く。三陸はリアス式の海岸部から百数十メートルの断崖が立ち上がり、その上は台地となっている。海岸部と台地を結ぶ道路はこの台地への登り下りを繰り返している。自転車にとってこの登りはつらい。海岸部の島越から一気に標高差150メートルを登る。登りきった台地は、高原状の雰囲気が漂い、軽井沢にいるかのような錯覚を覚える。そんな雰囲気のなかウッドチップのアプローチに導かれて鵜の巣断崖に向かう。ウミウが断崖の途中に巣を仕掛けるからそう呼ばれているようだ。切り立った断崖だ。(10:00 14km)

 断崖の端に立つと、まことに風光明媚な海岸線とそこから急激に立ち上がる崖を150メートルの崖上から眺められる。崖下には、コバルトブルーの海から白い波が打ち寄せている。崖は複雑な曲線を描いてはるか遠くまで続いている。リアス式海岸の遠望だ。眼下にはピラミッド型の岩の中央部が浸食作用でくり貫かれており波がその岩を白い輪郭で際だたせている。自然の造形のすばらしさを実感させてくれて、いつまでも見飽きない。

 今度は台地からの下りだ。勾配10%。2kmのつづら折りだ。急坂を下っていると、奇妙な警告音が発せられた。赤外線監視装置により、自転車が速度制限を越えていると感知されてしまうらしい。この下りの速度制限30kmに対し僕らは50kmをやや越えるスピードで下っていた。大型車の緊急避難所が3カ所も設けられている急坂だった。

 三陸鉄道の小本駅に着いた。タクシーを捕まえて龍泉洞まで行こうとしたがタクシー会社と連絡が取れないので、龍泉洞は割愛し、田老方面に向かう。途中に1km近いトンネルがあり念のために尾灯をつけて通過する。トンネルを抜けて旧国道へ登り返し「熊の鼻」と呼ばれているスポットに立ち寄るが、鵜の巣断崖を見たあとではもう感激はなかった。

 さらに国道45号線を進む。田老への登りがまた始まった。時速6kmの登りが延々と続く。ゆっくり、ゆっくりとこなして行く。38km地点の食堂でラーメンを食い、標高差180mの一気下りで真崎海岸に降り立つ。
 海岸道路の一部は大崩落により通行止めだったが、自転車がなんとか通過できる余地があったので、この難所も突破する。
 真崎海岸もすばらしいところだった。小さな半島が突き出ており灯台もある高台から、両側のリアス式海岸を堪能できた。田老への登りはさらに続く。勾配12%の坂を時速4kmの最低スピードをマークして登りきり、坂を下ったら、今度は勾配15%の坂が待ち受けていた。ここも超低速でジグザグに上る。登り切ったところが「三王岩」と呼ばれているスポットだ。奇怪な形の岩が乞立しており、その横には浸食で基部をやられて横倒しになってしまったと思われる巨岩もあり、自然の威力を知る。




  田老町は津波防災モデル地区

 自然の威力と言えば、津波だ。三陸沿岸の小さな町や漁村ではいたるところに「津波避難賂」と書かれたサインが見られる。その典型が田老の町にあった。町役場隣の寺の墓地には過去の大津波で犠牲となった人々の慰霊碑があった。なかには昭和8年3月3日、午前3時10分に発生した津波で田老の民家が505戸も流失し、911人が溺死したことを慰霊する記念碑があった。「三陸大海嘯溺死者慰霊塔」と記されていた。その隣の明治の津波の記念碑にも「明治二十九年海嘯之碑」と記されている。当時、津波のことを海嘯と呼んでいたらしい。海嘯(カイショウ)とは満潮時に潮が川を逆流してくる現象で、津波はこの現象と同じだと思われていたようだ。誰かが手を合わせた。

 町なかには津波がここまで押し寄せて来たことをしめす看板や津波の高さを示す標識もあり、常に津波への警戒を怠っていない様子が見てとれる。三王岩の近くの岩肌に、昭和8年の津波の高さ10m、明治29年の津波の高さ15mを示す標識があったが、ほとんど4階立てビルの高さに相当する津波が襲来したことに驚かされる。リアス式海岸にせまった津波が深い湾に侵入することでその高さを増幅させたのだろう。津波防災の極めつけは巨大防潮堤だ。漁港と町との間に津波を食い止める堤防が2重に築かれている。「世界に誇る防潮堤」と地元では呼ばれているこの防潮堤は延べ3キロあり、まさかの時には地元の消防団員には、この堤を通る道路のゲートを封鎖する分担が決められているという。
 津波被害への対策を常に怠らない構えのもとに暮らす町、田老町。この津波防災モデル地区にはスマトラ沖大地震以降、アジアを中心に世界中から視察団がひきもきらないという。ここの民宿「おばた」着。(59km 16:30)


  観光船からも楽しんだ三陸海岸

5月2日。
 今日は遊覧船に乗るので楽ちんだ。遊覧船がやってくるまでの間、ウミネコの相手をする。買ってきたエビフライを摘んで差し上げるとウミネコがサットついばんで行く。餌付けされているようだ。餌を空中に放り投げると、たちまち群がってくるどん欲集団だ。やがて遊覧船がやって来た。誰も乗っていない。

 我々とあと2〜3人の乗客を乗せて定時に浄土ケ浜に向かう。遊覧船は海岸線に沿って進むので、間近に三陸海岸の風景を楽しむことができる。サイクリングもいいが、たまにはこうした旅もいい。遊覧船にウミネコが寄ってくる。船でも船員がウミネコの餌のパンを売りに来るので、彼らはそれを狙って追尾してくるのだ。Sさんがパンを買って、パンのかけらを指で挟んで上に差し上げたとたんウミネコが鋭いくちばしでさらってゆく。さすが三陸海岸の飢えたウミネコだ。見事なハンティングぶりを発揮していた。

 船のアナウンスでは三陸海岸は南北180キロで、北部が隆起しており、南部は沈降してできたという。リアス式は南部のほうだという。海から三陸海岸の素晴らしい風景を堪能した。日本の海岸線の風景もいろいろあるが、奇岩や洞窟、ウミネコなどの海鳥のテリトリーが見られた。やがて浄土ヶ浜に着いた。昔の人はこの一風変わった灰色の岩を浄土に見立てたのだろう。しかし浄土に「針の山岩」があるのは可笑しかった(4km 10:00)。


  本州最東端はトドヶ崎

 サイクリング4日目の今日はいよいよ正念場だ。いきなりの急坂で体は遊覧船で冷えきったままなのがきつい。白浜まで行き、さらに標高205mの峠(25km 12:05)を越えて、また標高156mの峠の登りだ(34km 13:20)。姉吉に着きトドヶ崎までの片道4kmを往復する。自転車も駄目なハイキング道だが、S、K両氏は自転車を押し上げて、あとは水平歩道を飛ばしてゆく、すこし間違えば、谷底に転落間違いなしの離れ業だ。トドヶ崎では東経142度4分の記念碑があり、本州最東端だという。ここでGPSのポイント(N39°32'43.8" E142°04'17.5")をとる。灯台守を描いた映画「喜びも悲しみも幾歳月」は、この最果てが舞台だったのだ。

 姉吉に戻り(39km 15:30)標高158mの寒風峠と(47km 16:20)、その先の山田町の天ヶ森の峠(167m 52km 17:00)を続いて越える。峠から急坂を降りたら山田湾の大きな漁港が迎えてくれた。湾を取り巻く国道45号線を走り、最後の力を振り絞り、三陸山田温泉「うらの浜荘」に着く(67km+8km 17:50 max52.6km)。天然の鉱泉を加温する温泉民宿だった。





  ママチャリ放浪男と出会う

 5月3日。今日は最終日だ。
 三陸山田温泉「うらの浜荘」の前で、例のごとく記念写真に収まったあと、8時10分に釜石に向けて出発。
 山田湾から離れてJR岩手船越駅でローカル線の駅風景を楽しみ、四十八坂を経て吉里吉里に向かう。この四十八坂(15km)で写真を撮っていたら、ママチャリに乗って声を掛けてきた男がいた。一見、ホームレス風で家財道具一式を自転車に積んで移動している様子だ。どこに向かっているのかと聞くから、釜石だと応えると、「ああもうすぐですね」というので、5日間のサイクリングを今日で終えるのだと応える。

 こうして会話が始まったが、戸籍調べ風にいうと、65歳の島根県出雲に住所を持つこの男は、一人暮らしの気安さから、自転車で旅にでてすでに1年半が経過し、北海道と沖縄以外はすべて回ったという、昨夜はこの近くのキャンプ場にテントを張り、完全自炊生活で、スーパーでコメを5キロ買い、いつもリアの大きなもの入れにいれており、ハンドル脇には水を数リットルくくりつけているし、雨の日は走らず、身体を休め、台風が多かった昨年はおろおろしながら、やり過ごし、年金もないので、時々アルバイトをして食材費を稼ぎ、いつどこで死んでもいいと思いながら旅をしているという。その割には清潔で、身なりも垢でピカピカというのでなく、まさに人生放浪の旅の途中といった雰囲気を持っていた。

 かっこよく言えば、宮沢賢治のようでもあり、わるく言えば行動的ホームレスといったところだ。長い放浪生活の寂しさを癒すため、話しやすい同類に声を掛けてきたのだろうか。そういえば、僕らも似たようなところもある。しかしこれも旅の出会いだ。しばしの立ち話でその男は北に、僕らは南に向かった。


  吉里吉里国に立ち寄る

 吉里吉里は井上ひさしの小説「吉里吉里人」の発想の原点だし、なにかあるだろうと勝手に決めつけて、大槌町の吉里吉里にむかった。のびやかにひろかる海岸線と暖かいゆるやかな斜面が展開する。吉里吉里駅手前の居酒屋の壁に「吉里吉里国」とでかい字が躍っていただけだった。浜辺の道路では、オジサンがママチャリで麻ヒモを長く曳いていた。なんでもワカメの胞子を麻ヒモにつけて、海に沈めるための準備作業だと教えてくれた。遊んでいるのか、仕事なのかはっきりわからないところが、吉里吉里らしいなと思う。

 さて釜石に向かうのだが、この間はやたらとトンネルが多い、トンネルを越えると必ず川があり、橋で川を横断する。トンネル内は危険なので尾灯をつける。一番いやなのはトンネル内のクルマの騒音だ。うるさいと言ったら相当なものだ。無事トンネルを通過するとほっとするが、すぐにまた、次のトンネルに入らなければならない。6本のトンネルをこうして無事抜けた。

 国道からそれてJRと平行している県道経由で釜石に向かう。今回の最後の峠(105m 31km 11:07)だ。峠から急坂を下ると突然、工場が見えてきた。釜石製鉄所だ。すでに高炉はなく、名物の「橋上市場」も駅前に移転していた。釜石駅(35km 12:00)前でサイクリングは無事終了した。

 JR釜石線に乗り、上有住駅で途中下車し、滝観洞と白蓮洞の二つの洞窟を見学した。上有住から釜石線の季節列車「義経号」に乗り、のびやかな遠野を通過したが、ここもぜひ訪れたいと思いつついつの間にか眠り込んでいた。新花巻から乗り換えた「やまびこ」車内では期せずしてツアーの打ち上げとなり、たちまちにして缶ビールの空き缶が窓をふさいでしまった。自宅(39km 22:20)。総走行距離324km。

<まとめ>

 今回はGPSを使用したので、走行距離だけでなく、移動標高も記録できた。それによると次の結果となった。移動距離はサイクルメーターの結果と異なる。例えば、サイクルメーターは自宅〜輪行駅の走行が含まれているし、GPSは観光船による海上移動もカウントされている。

  日 付   移動距離   累積標高           100m高以上の峠数
 2005/4/29    61km    708m   2 (八戸駅から計測開始) 
 2005/4/30    89km  1408m   8 
 2005/5/01    58km  1013m  3 
 2005/5/02    80km  1318m  6 (海上移動12km含む)
 2005/5/03    34km   463m   1 (計測は釜石駅まで) 
  合 計   322km  4910m  20 

 移動距離に対し累積標高が尋常ではない。5日間で富士山の高さを越え、5000m近い登りを体験したことになる。峠は高さ100mを越えるものだけでも20を越えた。うまい魚とハードなアップダウンの繰り返し、これが三陸海岸のツアーだった。さすが「海のアルプス」と呼ばれているだけのことはある。


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