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ドイツから北欧へ   2008年7月〜8月

デンマーク スウェーデン ノルウェイ

 

 

 フランクフルトで1泊し、翌日ICEでハンブルグに移動。4カ国を巡るサイクリングは、ここハンブルグからスタート。ドイツ第2の都市ハンブルグでは国際交流組織Servasの会員宅に世話になる。近くの「バルコニー」と呼ばれる高台から広大なハンブルグ港の全貌が見渡せる。エルベ川の水辺の風情を楽しみつつ、バルト海近くの美しい街リューベックを目指す。
 途中、麦や菜種が色づき、収穫も始まっている田園を行く。菩提樹の並木がさわやかだ。2度の驟雨をあびつつ、大きな川船やプレジャーボートが行き交うエルベ・リューベック運河沿いを走り、リューベック入り(走行距離100キロ)。
 リューベック旧市街は城門に囲まれた世界文化遺産なので、見るべきところが実に多く、ざっと見るだけでも半日はかかる。ここもServas会員宅に世話になる。

   

 2日目。今日はリューベックから風光明媚なプルーンまで列車輪行し、ここからキールを目指す。キールではオスロ行きのビックリするような大型客船の乗船風景と出合い、旅情を誘う。風光明媚なバルト海沿いにあるドイツの人たちの保養地エカンフローデまで。ここも美しい(走行83キロ)。

 3日目。好天が続く。エカンフローデを発ち、カペインというリゾート地でのんびりと昼休みをして、白い城で有名なグリュックスブルグ城に向かう。水面に影を映すその姿は絵ハガキそのものだ。風が出てきて、湖面に映る美しい姿は一瞬にして消え去った。フレンスブルグのホステル泊(走行104キロ)。

 約7キロでドイツの最北端から陸路デンマークとの国境を自転車で越える。国境線はシンプルで国旗がたなびき「ウエルカム・デンマーク」のみ。夏だと言うのに薪ストーブが堂々と売られていて驚く。
 デンマーク」の地形は平坦だが、自転車で走ってみると微妙な高低差がある。この国の自転車道路は専用もあるが、大方はセカンダリー道路の路肩を走る。本線への逸脱を防ぐレンガ状マーキングを横に並べ、これに乗ると激しい振動が伝わる仕掛け。

 

 バルト海の深い入江の対岸ドイツを見ながら、時折現れる標識「サイクリングルート8」に沿って走る。道端には可愛らしい国旗を掲げたジャムの無人販売所があったりする。


 パンクだ!。2〜3ミリほどの鋭い陶器状の破片が3個もタイヤに食い込んでいる。こんな廃棄物のリユースを自転車レーンに使用するとは信じられない。ボクのタイヤは32ミリのミシュラン。軽くて丈夫という選択だったのに・・・。


 途中の小さな田舎街で楽隊と出会う。赤・白・ブルーの3グループの楽隊で、同じユニホームを着たノッポやチビ、老若男女の混合編成でほほえましい。オーデンセがあるフュン島までフェーリーで40分ほどの航海を楽しむ。早めにオーデンセ着(走行106キロ)。泊めていただいたServas会員宅ではデンマークの家庭料理でもてなしてくれた。

 オーデンセでは休養を兼ねて2日間滞在。作曲家ニールセンの博物館や、アンデルセン博物館、彼の生家がある「アンデルセン通り」などの観光もしてみる。時間があるのでオーデンセフィヨルドに注ぐ川に向かったら、少年が得意顔で40センチもの大きな鱒を釣り上げていた。大都市郊外でこの釣果とは羨ましい。夕食はデンマーク風「バイキング」(走行39キロ)。

 

 3日目。オーデンセから首都コペンハーゲンがあるシェラン島へは列車で向かう。列車は海底トンネルをくぐり、あっという間にシェラン島に「上陸」。ロスキルドで下車。この間は「自転車チケット」でそのまま乗車。輪行にすれば1000円程度節約できたかも‥。


 ロスキルドのインフォメーションセンターで、幹線道路沿いの走行を避けるため無料のコペン方面に向かうサイクリングマップをゲット。これもコペンのServas会員のアドバイスだ。
 ロスキルドでは、バイキング船ミュージアムで外敵を防ぐ目的で当時行われた「沈船」の引き上げ展示や、バイキングの生活ぶり、彼らの造船技術の実演が見られる「村」にも立ち寄る。
 サイクリングルート6は、特にコペン近郊の海岸線とリゾートの雰囲気が明るく、楽しいサイクリングとなった。


 簡単にコペンハーゲン市内に入り、「人魚姫」を見に行ったが、若い男が人魚姫に取り付き、キスをしてふざけている。これで雰囲気は台無しだ。Servas会員がデンマークの古い伝統レストランへ案内してくれた。ニシンの酢付け「へリング」を食べたが、4種類の味を組み合わせてあり旨かった(走行68キロ)。

 

 コペンハーゲンからストックホルムまでは列車移動。乗るべき列車には自転車ロッカーがなく輪行に。変幻自在の自転車旅である。コペンからマルメまではローカル列車、ここで特急のSJX200に乗り換え、ストックホルムまで6時間弱の旅。
 列車は針葉樹の森林や湖水の間を何度も抜けて、美しく輝くストックフォルムに到着。市内のレストランのテラスでは寒さをしのぐ黒い毛布が用意してあり、女たちはそれを羽織ってオシャベリを楽しんいる。北国の夏の風景に納得。ホステル泊(走行16キロ)。

   



























 ストックフォルムでは北欧の白い肌とアフリカ系黒人が交じり合って街を行き交う奇妙な光景にも慣れる。中央駅には旅行者向けの専用端末があり、観光スポットだけでなくタクシー、ホテルも探せる。さらに無料メールも利用できるなどIT環境は相当なもの。
 ソーダテリア駅まで列車移動するため到着した列車に乗り込もうとしたところ、車掌から自転車は駄目と拒否される。10分後の発車時刻を確認して、大急ぎで輪行支度。5分で「フォーク抜き輪行」をすませる早業に、車掌も親指を立ててくれ、乗客たちも笑っている。
 ソーダテリアからは森と湖の雰囲気。ヒナギクの大群生地が森に囲まれている。サイクリストが一人合図をして抜いて行く。彼の服装は夏装備、ボクは秋装備。途中、冬に備えて路上でスケート練習する人も。ニーショピン到着(走行88キロ)。人口7万人のこじんまりした街だが美しい。古城では王達の兄弟争いの実話劇が上演されていた。Servas会員宅に世話になったが、主人はドイツに行っており留守。夜、彼とパソコンのテレビ電話「スカイプ」で話し合う。

2日目。朝は指先が冷たくなるほど寒いが、日中は腕がジリジリするほど暑い。ヨーテ運河に到着。この運河を含むスウェーデン中央部は夏の大観光地域だ。リンショピンのホステル着。室内の設備は立派。特にIT設備が凄い(走行129キロ)。

 3日目。リンシェピンの教会に立ち寄る。スウェーデンの教会は初めてだが、内部様式や歴代の王のこと、戦争とのかかわりなど、いろいろと収穫。
 この街の自転車道路はドイツ並みに発達していて、街づくりと自転車交通という点では参考になる。
 運河は湖面から7段階の水門がつながってせり上がっている。チンチンとベルが鳴り、遮断機が下りて道路が封鎖されると路面が起き上がり、船を通す。水門への水入れから船の通過後の道路交通の再開まで、一部始終を見た。
 運河の入口には、数隻のヨットが待機。約1キロの長さを7回に分けてせり上がる。高さ約4メートルづつ上るが、水門を閉め、水を入れ、次の水門に入るまで長い時間がかかる。

 運河沿いの小道は悩殺されそうな若い美人が大きな犬を連れて散歩している。このダートなサイクリング道路はMTBが似合うが、貸自転車の人たち、子供をリアカーで引く家族連れ、キャンパー仕様の自転車など、ロード系以外はなんでもありといったところ。

   



























 河底の泥を掻き揚げて進む大型運河クルーズのダイヤナ号を追い越す。たくさんの観光客が乗り込み手を振っている。船幅ギリギリの狭い水門に入ったり、田舎の道路では橋を横方向に自動後退させて船が横切るといった風景など、驚くことばかり。
 運河を離れた道端から手を伸ばしてサクランボを失敬。熟れて甘い。続いて野生の少し小粒のサクランボは道端から食べ放題。遠くに驟雨を見る。何度目かの驟雨のなかをモターラのホステル着(走行67キロ)。

 4日目。今日は運河沿いの道は走らない。なぜなら船はモターラから大きなバテーン湖 を対岸の カールスボルグまで航行する。ボクはその湖岸を迂回する。途中、人ひとりいない大きな別の湖のそばを通る。伝説でも生まれそうだ。農家は散在しているが、行けども行けども人に会わない。クルマは10分に1台くらい。
 後ギアのワイヤーの張りが緩んでしまった。もう1000キロ近く走っているからワイヤー伸びかと思ったが、ワイヤー止めネジの緩みと分かり簡単に直す。
 宿のチェックのため休憩してPCを開いていたら、「お茶かコーヒーをご一緒しませんか」と男性が声をかけてきた。ワゴンに乗ったドイツ人夫婦で、ストックホルム近郊の息子を訪ねる途中と言う。いろいろ聞かれ「すごい旅ですね」と言う。元大学教授で、医師でもある男性は、このあたりの岩は氷河が削りだしたものと話してくれた。道理で、どの岩も丸くて角がない。カールスボルグのホステル着(走行120キロ)。

 5日目。朝から降ったり止んだり。黒雲の下、陰鬱な森の中を進む。クルマはライトを点けている。19キロでフォースビクの運河に着くが、早朝で雨のため誰もいない。
 針葉樹の根元に巨大なアリ塚を2カ所発見。高さ1メートル、幅1.5メートルのこんもりした針葉樹の細かい葉を積み上げただけのもの。表面では働きアリが無数に這いずりまわっている。
 ツル3羽を見かける。頭は白に近いが全体的に灰色で、尾は黒いという灰色基調のグラデーション。野原で餌を探しながら、やがてゆっくりと森の中に消えていった。

   

 正午近くのタトープの運河で、3〜4隻のヨットが「水門待ち」をしている。1隻のヨットに乗せてもらえるかと試しに尋ねてみた。そうしたら「これはボクのじゃないので・・・」とデンマーク人の船長に聞いてくれた。舵を握っている大男のオーナー船長は、首を立てに振ってくれるではないか。船長の気が変わらないうちにバゲージを自転車からはずし、ヨットに積み込むと、船長も手を貸してくれる。
 どこまで行くのかと聞いてくるので、ちょっと乗って見たくなっただけと答える。「それじゃ、ほぼ10キロだな」との返事。そんなに長い区間も乗せてくれるなんて思いもしなかった。デンマークの旗を掲げた長さ11メートル、マスト高7メートルのジョナサン号だ。船長は2カ月の予定のセーリング中という。雨のなか、退屈しているところに変な日本人が乗せろと言ってきたので、面白いと思ったのかどうか、ともかく歓迎してくれた。
 ヨットは滑り出した。小雨のなかを補助船外機で静かに進む。
 貨物列車が立て続けに2本、さらにヨーテボリからストックホルムまでの特急列車が轟音とともに運河を斜めにぶっちぎって行く。このため45分ほど待たされる。そしてさらに15分待てというサインが出て、貨物タンカーがかなりのスピードでやってくるといった具合に、運河と幹線鉄道がここでは交差している。信号が青になり、ゆるゆると線路が持ち上がると、待ちかねたヨットがレールをかすめ滑り抜けてゆく。
 ここの標高は92メートル。運河は何カ所かの水門を経て下るのだが、ここでジョナサン号から降ろしてもらった。船長とは硬い握手で別れた。約12キロ、3時間半ほどの短かくて、楽しい航海だった。
 サイクリング再開。運河を離れ、小雨の中、田舎道をB&Bに向かう。田舎のどこにでもあるスウェーデン風の古い建物で、ほんとうにB&Bなの? マリスタッド郊外着(77キロ)。

 6日目。今日はうって変わって快晴。トロハッタンという大きな街まで120キロの長丁場となるので早朝発。B&Bの奥さんが特別にとパンを余計に用意してくれたのを忘れないようにしなければ‥。


 運河は昨日、船長と別れた地点からほんの数キロで終わっており、この国で最も大きいヴァネーン湖に入る。ボクがペダルをこぐ度に少しずつヨータ運河から離れ、南下してゆく。

   



 64キロでリーデシュペンという街に入る。ヴァネーン湖に面しており、川口には大型貨物船が停泊、まるで外洋を航行する雰囲気。レジャーを楽しむ人たちも多く、細かな漣がたっている広大な湖面には白いヨットの帆も見える。湖の対岸は見えず、琵琶湖の何倍の広さがあるのかもわからない。
 縦150メートル、横50メートルという大きな石器時代の住居跡、斎場跡が道路脇にある。一抱え以上もある丸い石が1000個以上も積み上げられている。脇には野生のリンゴがゴルフボールほどの実をつけている。わりとうまい。
 国道脇にはファイターがディスプレーされている。地元の男性にわけを聞くと、冷戦時代の戦闘機で実戦には使われることがなかったが、これからも使うことのないようにという意味で展示されているという。国が変われば平和の誓いも変わるということだ。またとない天気の下を爆走(バクソウ)してトロハッタン着(走行150キロ)。

 7日目。昨夜は世話になったServas会員宅でうまい白ワインを飲みすぎて寝坊し、また朝の会話も楽しくて、本日の出発は9時。この家の娘が、今日のルートについて、なにかとアドバイスしてくれる。
 街の出口にはすごい渓谷があり、その上の橋から急坂を上がってヨーテボリへの道を辿る。17キロ地点でヨータ川が姿を現す。ゆったりと川幅も広い。
 ドイツのハノーバーから来たという若いカップルのサイクリストに追いつく。ゆっくりと旅を楽しんでおり、気に入った自然の中でキャンプを続けているという。だから、荷物の嵩もあり、重そう。走りながら少し話をして、追い抜く。ヨーテボリ着(走行104キロ)。
ホステルの9人部屋を一人で独占する。朝食はニシンの酢漬けやチキンのペーストまで用意されているなど、とても充実していた。PCも日本語が読めたので大いに助かる。スウェーデンは清潔で美しく変化に富み、サイクリングに適した国だった。



 

 ノルウェーは山国で、特にフィヨルドは高い崖が連なっている。サイクリングには不適。また中央部の道路はトンネルが多く危険。というわけで南部海岸に沿ってベルゲンに向かう。海岸沿いのルートは有名な「北海サイクリングルート」(北海を囲む7つの国を結ぶ約6000キロ)の一部でもあり、その一部を走れるのはサイクリストとして光栄だ。

 

 ヨーテボリから列車でオスロに向うが、途中駅までは工事中のためバスが代行する。車窓風景はほとんどスウェーデンと同じで、国境を越えるとアナウンスがあったと思ったら、もうノルウェーだった。
 オスロの郊外は、多くのサイクリストが行きかう。夕方の練習だ。
 市内の中心部の大きなホステルに着く(走行37キロ)。若いバックパッカーであふれかえっている。ここの一角はトルコなど中近東の人たちが幅をきかせいる。予約していた6人部屋ドミトリーも含め満室の盛況。自転車はバゲージルームに入れるが、念のため前輪は外してドミトリーに持ち込む。
 バスセンターで南部海岸ルートのタイムテーブルを入手。鉄道以外のエスケープ情報を得たので、気分が楽になる。
 オスロは2泊の予定なので、翌日は小型フェリーでヴァイキング博物館に行く。バイキング船はほぼ完全修復され、舳先の飾りにバイキングの誇りの高さを見た。ビーチではトップレスの女たちが日光浴。ここの海岸線はまるでオットセイのコロニーのようだ。
 コンティキ博物館の館内には、帆に日の丸のようなエジプトの太陽神を描いたラー2世号、バルサ材の葦舟、そして筏のハイエルダール号と並ぶ。ここは観光客の人気スポット。実質的に観光に当てられたのは半日ほどで、最も大切なのは休養と、次の旅に備えての準備やルート修正、そのための情報収集やチケット購入といったことに時間を割かねばならない。

  

 3日目。今日は予定の列車からバスに変更して、走行距離を短縮することにする。オスロから途中の小さな街コプスタッドに停車するバスを見つけたのでそれを利用する。こうして田舎の高速道路脇のバス停で放り出された格好となった。運転手が「道は知っているのか」と聞くので、ポケットからGPSを取り出して見せるとオットいう感じで笑顔でバスは出ていった。
 ホーテン。最初の港町だ。行商のおばさんから、クッキー、トマト、人参を買う。水はどこと聞いたら、「このまま食べて」と人参にかぶりついてみせた。顔には「私が洗ってきたから大丈夫」と書いてある。午後、初めて700メートルのトンネルを通過。明るいので助かる。でも海岸部のR19号はクルマが多い。自転車走行環境はスウェーデンとほぼ同じだ。サンデフィヨルド着(走行71キロ)。
 ここもServas会員宅泊で、若い娘たちに囲まれているので会話も、ビールもとても弾む。「あと半月もすれば周りの木々が黄色に変わるのよ」と家主は云っていたが、信じられない。

 4日目。朝、家の娘が6キロ先のバス停の発車時刻をネットで調べてくれた。バスは定刻より10分ほど遅れてやってきた。後部バゲージルームは1台の自転車のほか、大きなバゲージがすでに入っていてドライバ−は駄目だというような顔でノルウェー語で拒否してきた。ボクは「You Have More Room」と云って、「I do」と叫びながら、半身をバゲージルームに入れて、他のバゲージを押しやり、自分で隙間を作って強引に押し込んでしまった。「not available bicycle do not accept」とはこういう場合のことだ。言葉だけでなく「心臓」も、とても大切。
 バスはE18道路を辿っている。トンネルが多い。途中駅でオスロからの海水浴客がたくさん降りてゆく。

   

 ケラゲロに45分遅れの11時半に着く。そこは素晴らしい夏の保養地だった。ノルウェーの夏を楽しむ素敵な場所も知らないで通過していたら、ノルウェーそのものを深く知ることは出来なかっただろう。ここのスーパーでは漫画「コナン」のノルウェー語版が売られていたし、避暑客があきれる程買い物をし、レジ待ちの長い行列ができている。客目当ての辻音楽師が座り込んでギターを奏でている。
 コペンハーゲンでもそうだった。ヨータ運河も同じ。人々の夏のレジャーの楽しみは水辺でのんびりと過ごすことなのだ。そのためにヨットやモーターボートを所有し、それらを係留する施設はこれらの国のどこにでもある。日本では人気度ナンバーワンのヨットハーバーが葉山マリーナだそうだが、そんなケチなものとは比較もできない。

 あまり暑いので夏スタイルに換える。暑さを防ぐために冬の腕カバーまで着けたが快適。特に足がとても涼しい。入り組んだフィヨルドの奥ではボート遊びや水泳を楽しんでいる人もいる。どこにでも湖やフィヨルドがあり、その区別がわからない。一家にひとつ以上の湖がありそうだ。高速道路路肩の下りで、瞬間時速56キロが出た。怖い!

 アーレンダル着(走行97キロ)。教会の鐘が鳴っている。
マンションの4階にあるのは、今回の旅の最後のServas会員宅だ。ベランダの上は特等席で、200人ほど集まっているジャズ会場を見下すことができる。実は「ジャズフェスティバルがタダで見られるよ」とメールを貰っていた。隣の家にも親戚らしき人たちがベランダからジャズを楽しんでいる。日没の光の影が教会の尖塔の中程に当たり、それが次第にせり上がって行く。
 ここの家主のお父さんがごく最近亡くなり、日本流に云えば「喪中」なのだが、ベッドはあるよとも云ってくれていたのだった。北緯71度、ノルウェーの最北ノールカップの東にあるヨーロッパ大陸最北端で生まれ、こちらに移り住んできたという。インドのムンバイの南に半年も滞在したという「インド通」でもある。

   

 5日目。朝、Servas会員と1800年代の木造建築が残された、いわば歴史的町並み保全地区を散歩する。ここのゲストハーバーには夏の間、ドイツやデンマークなどからたくさんのヨットが乗り入れてくるし、友達が家を売って大きな木造船を買い、そこで暮らしているという船も目の前にあった。教会の鐘に見送られ、アーレンダルを辞する。
 14キロ走ったところのフェビックという小さな入江の砂浜で、人々が日光浴をしたり、泳いだりしている。連日、こうした風景を見せつけられていたボクは泳ぎたくなり、海から自転車が良く見えるところに立てかけ、レーパンだけになり海に入る。引き締まる冷たさが全身を包むが、実に気持ちがいい。風もなく、ゆったりと波がたゆたい、白くて細かな海底の砂の感触もよく、おあつらえ向きのビーチだ。岸辺で日光浴をしていたモルドバとウクライナから来ている女性に写真を撮ってくれるよう頼んだ。彼女らもここは「パラダイス」と言っていた。レーパンはこういう場合に実に具合がいい。ぴったりとしているので泳ぎやすいし、日本でも真夏のサイクリング時の水浴びにいいだろう。

 チェーンリングが鈍く輝き路面に反射している。フィヨルドとは深く入り組んだ入江であるが、日本人には川のように見える。水を舐めてみないと海水か、湖水か区別がつかない。緑、フィヨルドの輝き、青い空、まるで別世界だ。こうしてノルウェ−の海岸線とフィヨルドの風景を満喫する。シマナミ海道のような長大橋を渡り、クリスチャンセン着(走行90キロ)。

 6日目。早朝のクリスチャンセンの街を見るため7時にB&Bをでて港をポタリング。魚の臭い、コンテナの山、朝から忙しく働く人々、倉庫の上の窓からタバコを煙らす男、朝日を水面に反射させている倉庫群など、見ていて飽きない。

 西行きのバスは1日に4便しかない。クリスチャンセンから西に行く人はそれだけ少ないということだ。9時のバスは、わずか数名の客を乗せ定刻に発車。今日は輪行にしたので、自転車料金はいらない。アニメの宮崎駿監督のことがバスの車内誌に大きく掲載されていて、びっくり。 バスはE35道路を西へ。平均時速75キロで運行している。主要地方道がEのつく道路で、それがたまたま場所により高速道路になったりする。この場合の高速料金はマイカー25クローネ、3.5トン以上のトラックはその倍、自動二輪は無料。
 次々と湖水が現れる。水を舐めてみて湖と判る。底にはメダカの2倍くらいの魚が泳いでおり、湖底からは時折、酸素が湧き上がり、水藻の光合成が盛んなことがわかる。水トンボもやってくるし、白い蓮も咲いている。

 突然、水の落ちるような音が聞こえ始めた。はてさて1キロ以上も続いていると思われるナメ(滑滝)だ。水はうす緑、白い泡をたて、すごい音を立てて流れ下っている。若い頃、夢中になって遊んだ「沢登り」を思い出す。こういうところは自転車を降りてゆっくりと景観を楽しむ。つまりノルウエー版厳美渓というところだ。もちろん「空飛ぶダンゴ」などあるわけがない。
 ナメの上流の淵ではカップルが泳いでいて、女の方はトップレス。夢中で望遠のシャターを押し続ける。白い馬が1匹、こちらを見ている。幻想的な風景。
 日本流に言えば、峠のトンネル。標高170メートル、長さ360メートル。ものすごい騒音を残してトラックが走り抜けると、静寂が訪れ、ボクの靴音だけがトンネル内に響く。

   

 さらに続く湖にはコウホネが咲いている。また川が現れ、さらにせりあがっている。234メートルの高所で昼休み。こうして無名の景観が次々と連続して現れる。息を呑む、打ちのめされるという貧しい表現しかできない。
 下りは8パーセントの勾配を豪快に時速58キロで飛ばす。

 山から下ってきた川がゆっくりと流れている岸辺で自転車を止め、しばらく休憩。川に入って泳ぐ。実に気持ちがいい。そして昼寝。岸辺にはモーターボートのための船宿が並んでいる。川面には木の葉や、鳥たちの羽毛、花粉なども浮いている。山がせりあがり、最上川のよう。フェダにある山小屋風ホステル着(走行57キロ)。
 洗濯をすませ、持参のカレールーとラムでカレーを作る。豊富で清潔な調理道具が用意されているので料理も楽しい。タマネギを良く炒めてからジャガイモを煮て、ラムを入れ、十分アク取りをして、水分が少なくなれば水を足すなどして最後にカレールーを入れて、少し煮込んで出来上がり。もちろんビールを冷蔵庫で冷やしておくのにぬかりはない。ホステルにはロシア人グループが魚釣りに来ており、しばらく滞在するようで、ロシア語が飛び交っている。

 7日目。昇仙渓のような美岩が現れる、朝の透明な光のなかの光景に目を奪われる。巨岩がそそり立ち、まるで上高地だと思ったら、次々と絶景の舞台回しで、自転車が進まない。湖ではキャンパーが朝の8時だというのに、もう泳いでいる。横岳の坪庭のようなところもあり、日本の有名な岩山や断崖を一緒にして何千倍の規模にしたような風景が続く。ルート全体が国立公園のよう。標高230メートルに達するなど、パスハンの趣もあって、アップダウンもそれなりに大変。 とにかくこんなところに道路を通すなんてR44号線は凄い。

   

 巨岩の上から下を見下ろすと二人連れのサイクリストが上ってくる。女性のほうはボクと同じく「押し上げ」だ。それをボクが真上から写真に撮る。このリューベックとハノーバーから来た二人連だ。
 巨岩のどてっぱらにトンネルがくり貫かれており、大きなトラックもあえいでいる。その横の旧トンネルの自転車道から下を覗くと少しビビる。最後は豪快なダウンヒルでR44号線は終わる。
 続いて入ったR33号はローカルなので、スタバーガーに行くバスが通っていないことがわかる。ジリジリと暑く、入道雲まで出てくる。せっかく輪行にしたのに、また組み直して少し先のエガーサンドまで、また走るはめに・・・(走行84キロ)。ここから5時半過ぎの列車でスタバンガーに向かう。
 列車のなかでうとうとしていたら車窓の風景はがらりと変っているではないか。列車はまるでデンマークのような平野を走っている。スタバーガーのホステル着。

 8日目。疲れているので、なるべくバスで行こうとしたのだが、またしても失敗。自分の行き先を十分確認しないで、バス停のことばかりチェックしていたからだ。思考能力が落ちているのが判る。今日の予定はM36から外れて隣のコーモイ島に行くのだが、その島へのフェリーも同じバス停からだと思い込んでいたのだった。幹線道路M36のフェリー乗り場の売店の長いネイルアートのおばさんから、戻るしかないことを納得させられる。バスは、ここまで2本の長い海底トンネルをくぐって来たのだが、それを辿って戻らないと隣のコーモイ島に向かうフェリー乗り場に行けないのだ。
 潮風を受けて涼しい。昨日とはうって変ってフラットな島を走っている。石垣の囲いがあり、ヒツジが啼いている。まるでアイルランドだ。

   

 ベルゲンに向かう道路は唯一E39。これをベルゲンへの長距離バスが走り、フェリーと海底トンネルでつないでいる。その海底トンネルを2つ戻らねばならない。まずは長さ4.4キロの海底トンネルだが、トンネル内は路肩もない。まるで地獄へ落ちる感じだ。急な下り1キロを時速48キロで突っ込む。水平部分2キロ、そして上り部分1キロだ。ここはゆっくりと時速7キロで上る。フェリーが着かないかぎりクルマはくるわけないと思っていたのだが、トラックの風圧が凄い。壁際に押され、ふらつく。
 次の海底トンネルはさらに長く6キロだ。今度はトンネル入り口に歩行者・自転車通行禁止のサイン。でも海底トンネル以外にフェリーも道もないので、「どうすりゃいいの」と叫びつつ、そのまま地獄へ。今度は時速50キロだ。やはり時たまクルマが横を猛スピードで駆け抜ける。島の住民のクルマかもしれない。水平部分が終わり、いよいよ長い上りの始まりと観念していたら、「ピュー」とサイレンを鳴らしたパトカーが、路肩に上がれと幅寄せしてくる。指示に従い、30センチあるかないかの「路肩」に自転車を乗せ、ゆっくりと歩くしかない。前方にパトカーのポロシャツのお兄さんが待っている。彼いわく。「トンネルは危険だから、自転車は通れない」。ボクは「それは知っている。でもどうすりゃいいの」と先ほどの絶叫を穏やかな英語にして尋ねる。ポリさん「バスに乗るのだ」。一瞬、頭が白くなる。そうか、海底トンネル内はバスに乗って行くしかないのか。続けてポリさん「お前の自転車をパトカーで運んでやる」。それはかたじけない・・・。というわけでバゲージは後部トランクに、自転車は後部座席に積んでもらってトンネル出口へ。「旅行者だろう。どこから来た?」。「気をつけて旅を続けてくれ」と言い残し、ポロシャツのパトカーは去って行った。
 フェリーでコーモイ島に渡る。1時間に1便のフェリーだから、バスより頻繁にあるわけだ。到着したフェリーからクルマが20数台降りてくる。空はにわかにかき曇り、猛烈な雨。ベルゲンは毎日のように雨が降ると聞いていたのだが、その通りになった。土砂降りの雨の中、島に着く。コーモイのホステル着(走行46キロ)。オープンは5時からなので、しばらくロビーで寝る。ここも広い敷地の立派なホステルだ。客がすくないので、個室をあてがわれた。

   

 9日目。相当に疲れている。ゆるやかな上りなのにパワーが出ない。がんばりが利かず、すぐに「押し」となる。いままで経験したことがない原因不明の体力低下だ。別に筋肉痛でもなんでもないのに・・・。9時。雲がなくなり、陽が照ってきた。
 フェリー乗り場ブアボグに到着。向かう先のランゲバグ島へは10時半のフェリーがある。クルマが数台待ち。客の数にしては大きなフェリーに乗って、コーモイ島からわずか3キロほどの海を渡る。
 次は、小さな島を飛び石伝いに3本の長い橋を渡り、ストード島へ渡る。1本の橋の長さは1000メートル前後。そして美しい。地図で見たら多くの島があって大変そうだが、こうしてフェリーと長大橋で結ばれているベルゲン諸島の生活は豊かで、たいして不自由も感じられないように見えるが、海が荒れたらどうするのか。ストード島のモーテル着(走行119キロ)。
 今日は2回も泳ぐ。おばさん達が日光浴をしていたので、泳げますかと聞いたら、「もちろんよ。私達も泳いだわ」と言ってくれて、仲良くなり、コーヒーとワッフルまで頂いた。この人たちから、この国で毎日のように見られる野生の美しい花の名を教えてもらった。イエィガムスという。このピンクの雑草があるときは近景、また遠景となって周りの緑に映え疲れを癒してくれた。
 夕方のモーテルの海でも泳いだが、いい気持ち。桟橋にビッシリとムール貝が付いているではないか。大き目の貝を採ってスープにしてみた。香辛料など、なにもないのだが、素朴な味でビールとよく合う。

 10日目。6時半に起きて、また海に浸かってムール貝を採り、スープにする。朝の海も暖かい。出発は8時。クルマが通らない道路を走っていると、前方からクルマが列をなして上ってくる。フェリーが着いたらしい。なかには通ってきたスタバンガー行きのバスもいる。

 約45分で島の北端のフェリー乗り場サンデビクバグに着く。幹線道路を繋いでいる大型フェリーがやってきた。いよいよ最終のランである。ベルゲンまで31キロ。ふと見れば、後タイヤが磨り減って下地の赤いゴムが見えているではないか、タイヤがすり減るほどの長い距離を走ったわけではないのだが、単に距離だけでなく、バゲージの重さや舗装も関係しているかもしれない。新品のタイヤを付けて来たのだから驚きだ。
 山から流れ落ちる水を飲む。すこし鉄分を含んでいるが、冷たくて美味い。
 昼、今日の最高地点231メートルの峠に着く。ここまでの長い長い上りの「押し」がたいへんだった。そして、もう「押し」はない。2時ちょうど、ベルゲン着(走行60キロ)。
 ベルゲンは二つの巨大な岩山に挟まれたノルウェイ第2の都市だ。港中心に開け、岩山にへばり付くように綺麗な民家が連なって建っている。目が眩みそうなくらい明るく、予想と大ハズレ。こうして今回、「北海サイクリングルート」のノルウェー部分1130キロのうち、632キロを走ることができた。

 到着地、フィヨルド観光の基地ベルゲンに2泊して、まず休養。そして観光。帰国準備と、これまた忙しい。同宿のホステルで、ふとしたことから長期旅行中の同年配の日本人M氏とすっかり仲良くなる。その彼に見送られ、8月2日の早朝便でオスロ経由、フランクフルトへ。そして帰国便に乗り継ぐ。

<旅を終えて> 長い距離をサイクリング旅行したスウェーデンとノルウェイで感じたこと、つまり日本でよく言われるところの「真の豊かさとは何か」ということだ。
 北欧の人々は去りゆく短い夏の日々を精一杯楽しんでいた。毎日、自転車で走りながら、それを垣間見てきた。ある時はヨット遊びであったり、「トップレス」の日光浴であったり、湖畔の水遊びだったりするのだが・・・。これらを、現地で直接、見て、触れて、たしかに日本とは違う豊かさが北欧には実在していた。

 ノルウエーのアーレンダルで「インド通」のServas会員が別れ際に云った言葉を思い出す。「なぜ、あなたはそんなに急いで旅するのか」と・・・。
 正直に答えれば、実も蓋もない。つまり「変更不可の格安チケットだから、8月の初めには成田に戻らねば・・・」。あぁ、やっぱりボクも貧しい日本人の一人だった。地元の人達にとっては風のように駆け抜けた日本人に過ぎないのだから・・・。

(注) 文中のServas会員宅とは、メンバーシップ制の草の根国際交流組織の現地ホスト会員宅への訪問(ステイ)を指す。タダで泊まれると勘違いして利用しようとする旅行者を受入れることのないようクローズされた組織だが、草の根交流をしてみたい方への門戸は開かれている(当サイトのlinkページを参照)。今回、お世話になった人達は医師、教師など教養の高い人達が多く、楽しい交流ができたが、その内容は割愛している。


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