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自転車随想、”最近の話題”

 

●2013/7/29
遂に自転車の歩道走行で傷害致死事件

 遂に憂うべき事件が起きてしまった。
各種報道によると、7月26日午後6時50分頃、千葉市美浜区幸町の歩道で、自転車で走行していた19歳の少年が、犬を散歩させていた同市のIさん(69)に気づき、退けるようベルを鳴らしたところ、Iさんとケンカに…。現場は一直線の狭い歩道で、歩行者優先。少年が道を譲らなかったIさんの顔を殴るなどしたので、Iさんが転倒し死亡したもの。翌日、少年は母親に連れられ自首したが、傷害致死容疑で千葉県警千葉西署に逮捕された。
 この痛ましい事件をどう考えるか。明らかに、現行ルールでは歩行者をベルで追い散らす行為は禁じ手であり、そのうえ歩行者に暴力をふるう行為は問題外だ。しかし、ベルで歩行者を威嚇しながらの走行は日常茶飯事であり、歩行者側が恐怖を感じ、また怒るのは当然で、自転車がベルを鳴らして歩道を優先的に走る行為が危険であることは誰でも理解できる。ベルよりも声掛けを…。歩行者優先の徹底を…。この日常に潜む危険を何とかして根絶する手立て…学校や社会での教育・啓蒙、取締りの強化、自転車の車道走行の徹底は急務だ。


●2013/7/14
真夏も工夫して走ろう

 梅雨明けとともにやって来た異常な高温多湿気象。全国で熱中症患者が続出です。このような状況下で自転車も走るか、止めるかの判断に困ることも多いでしょう。時速20キロ以上で自転車を走らせば扇風機の「中」程度の風を起こせるので、ランニングやテニスなどと比べ快適で、ランニング界も真夏は自転車での代走を勧めるほどです。
 ボク自身は、健康保持のための月間目標をこなす意味でも、高温多湿の真夏の自転車走行を止めるわけにはいかないので工夫して走っています。誰でも思いつくことですが、ボクは真夏の自転車走行を次のように実践しています。

 まず、早朝走行です。7月の日の出は4時半頃なので、日の出の半時間前から明るくなってきます。
 自宅近くの走りやすい道を50〜60キロ走って、7時から8時頃に戻ってくるだけで熱中症と無縁の走りができます。ボクは多摩川CRをこの目的で走っているので、多摩川の朝霧の風景など非日常の景色も楽しんでいます。

 二つ目は”緑陰サイクリング”です。近くには吉祥寺から多摩湖までのサイクリング道路が続いており、緑陰率は90%を越えているので、このCRは真夏の日中でも涼しいのです。このCRを辿り多摩湖に着いたら多摩湖の周回を何周もします。90キロや100キロだって走れるので、これだけで長距離の”緑陰サイクリング”も可能です。このような工夫をすれば、熱中症を引き起こすおそれのある真夏でも安全に走ることができます。

 

●2013/3/14
キューバ縦断自転車旅

 キューバを東の街サンチアゴ・デ・クーバから首都ハバナまで、約1400キロの自転車旅をしました。キューバ島が全長1200キロ(直線)ほどですから、ほぼこの島国を縦断したといってもいいと思います。
 いろいろな出会いがありましたが、それは「キューバ見たまま」に譲るとして、道中、キューバ人から何度もクレージーだと云われました。
 ボクとしては普通のサイクリストのつもりなので、クレージーではないと云いましたが、キューバの人たちからは、やはり相当変わっているととられたのでしょう。
 キューバをサイクリングした日本人もたくさん居られ、その一部は個人のサイトなどで拝見しましたが、縦断された方は居られないように思います。もし居られたら、是非情報交換したいものだと思っております。ご連絡ください。
 キューバのインターネット環境は国民に対しては許可制なので、知識人や一部のホテルなどを除いて、国民はIT世界とは無縁な生活をしており、ボクもそうしました。約1カ月間、IT環境から離れた生活をして、浦島太郎のような状態で帰国したのですが、たまにはこういうスローな生活もいいなと思いました。そういう意味でも、キューバは別世界でした。

  ⇒ キューバ見たまま


●2013/1/06
Newスポルティフ

 日常トレーニング用に使っていた、アルミフレームの自転車は振動を吸収しないので、長距離を走ったあとはかなりダメージがある。例えば12年前の両手首骨折個所が痺れたりする。
 最近、新しくクロモリのスポルティフという車種に替えたら手首は痺れなくなった。クロモリ素材の優れたところはランドナーでも感じていたが、振動を吸収してくれるので楽に走れる。
 スポルティフはランドナーに対して、スポーティーな走りができるというほどの意味だと思うが、このタイプはかなり様子が変わっている。部品のほとんどがロードレーサー仕様なのだ。泥除けとフロントキャリアがついたタイヤ幅25ミリのレーサーというわけだ。
 10キロと軽く、直進安定性もありキビキビと走りやすい。このフレームのヘッド小物を交換して「フォーク抜き輪行」が出来るようにしているので、1〜2泊程度の輪行も簡単にできる。ARAYA EXS(EXCELLA sportif)は期待以上の買い物だった。

  ⇒ Newスポルティフ

 

●2012/7/09
イタリア縦断の旅を終えて

 50日弱のイタリア縦断の自転車旅を終えて、日常生活に戻って来た。
 最も、印象深かったのは、トリナクリアと呼ばれる三本足に象徴されるシチリアだ。シチリアは青い海、豊かな自然、マフィアなどいろんな顔をもっているが、北アフリカと深いつながりがあることが実感させられた。
 当初の予定では、シチリアを全て自転車で周遊することを目指していたが、現地の事情がわかってくるにつれて、バスや鉄道を利用するのもいいと思うようになった。
 計画通りに走るのではなくて、のんびりと自然や、そこで暮らす人々のなかに一歩で二歩でも入り込みたいと思うからだ。何人かの現地の人たちと交流するなかで、ほんの少しだけ入り込めたかなという気がしている。
 お陰で、その後の日程がやや窮屈になり、列車でショートカットしてしまったのも仕方のないことだった。
 南イタリアの美味しい料理とともに得がたい旅となった。

  ⇒ イタリア縦断自転車旅

●2012/4/02
イタリアへ自転車旅

 毎年の海外自転車旅、今年は4月からイタリアに行く。
 昨年同様、旅の前半は「シルクロード雑学大学」の「ツール・ド・シルクロード2012(第20次遠征)」に参加する。20年前に中国の西安から始まったこの旅は、いよいよフィナーレを迎える。今回は、昨年の旅のゴールとなったザグレブ(クロアチア)をスタートして、リブリャナ(スロベニア)経由でイタリアを南下し、最終目的地ローマを目指す。無事、ローマにゴール出来れば、20年かけたシルクロードのロマンの旅が終わる。ラクダや徒歩で旅した往時と比べても無意味だが、自転車の旅もそれなりの感慨があるだろう。

 ボクの場合は、その後、ローマからシチリアを含む南イタリアへと自転車旅を続ける予定なので、前半のグループ旅と合わせれば、イタリア縦断の自転車旅は約2000キロを大きく上回る予定だ。

 約50日間の長旅となるが、これも今回で最後となると思う。なぜなら、来年は75歳を越えるので、万一の場合の保険に加入できるのは1カ月以内の旅行に限られることになるからだ。歳をとると海外旅行もいろんな面で難しくなってくることを実感している。

 昨年同様、この旅の様子はfacebookで写真とともに簡単な日記風のレポートを予定しているので、興味のあるかたは、どうぞ。

  ⇒ 「舘浩道の海外自転車旅」をクリック

 

●2012/1/14
自転車で10万キロ

 リタイア後に始めた自転車と歩む第2の人生が節目を迎えた。走行記録のある2000年から数えて12年が経過した2012年1月13日、遂にというか、ようやくというか、12年間の延べ走行距離が10万キロを越えることになったからだ。

 世間では、自転車でこの距離を走破した人はざらに居るはずだが、ボクの場合はリタイア後からの記録だから率直に嬉しいのだ。

 自転車もいいか…と始めたころは、記録のことなど考えもしなかった。やっかいなギアチャンジに翻弄され、こいでもこいでも、若者にスーと抜かれる悔しさを乗り越え、初めて100キロを走ったことに感動し、利根川の源流から河口の銚子までのツーリング320キロにも成功し、だんだんと自転車にのめり込んでいった。

 海外自転車旅に出かけたのは2004年からだ。ドイツやオランダの整備された自転車走行環境はまるで「自転車天国」のように思えた。
 地球1周に相当する距離を迎えたのは、2006年暮れのつくば市にある国土地理院の地球儀の上だった。

 モチベーションを持ち続け、毎年1万キロ走行を持続出来るようになり、「足」も出来てきたし、体脂肪も16%台で、まわりから元気ですねと云われている74歳だ。10万キロを例えれば地球2周半となるが、そんな実感もない。利根川の芽吹大橋のたもとで、その瞬間を迎え、さらにペダルを踏み続けている。


●2011/11/28
閲覧数4万越える

 自分のサイトをしばらく見なかったら、閲覧数が4万回を越えていた。
 3万回が昨年4月のことだったので、ここまで1年7カ月を要するスローペースながら、訪問者が広がるのは嬉しい。開設から5年目の達成である。
 最近の自転車ブームもあって、シニアになって自転車をはじめる人が増えているのだろう。
 サイトの目的は、これからはじめる人に、自転車旅の楽しさとノウハウを伝え、共有することにあるので、質問をいただくことも多いが、なるべく誠実に対応したいと思っている。最近も雨の場合のフロントバッグカバーの作り方を教えてという質問を頂いたばかりだった。海外に出かける際の必需品だ。


●2011/11/11
正丸トンネル…その後

 自転車通行が危険な国道299号線の正丸トンネルの改善について、今年の春に埼玉県飯能県土整備事務所と同県公安委員会とやり取りしたことがあった。趣旨はトンネルを拡幅するなど、自転車と歩行者が安全に通行できるようにと求めたものだった。回答は予想通り、拡幅は無理なので「通行危険」の警告表示を行うというものだった。
 その後、海外自転車旅などで関わったこと自体を忘れていたが、思いだして埼玉県飯能県土整備事務所のホームページを見た。サイトには赤い大文字で「国道299号の正丸トンネルには、歩道や自転車通行帯がありません」と書かれ、危険なので他ルートなどの迂回を促す警告文が掲載されていた。

 予算もあるのでトンネル拡幅は無理というのは理解できなくもないが、道路管理者が歩行者と自転車の通行の危険性を認め、警告をおこなったことで、最低の対策をとったことになる。
 しかし、これで警告したことになるのだろうかという疑問も生じた。歩道や自転車通行帯がないトンネルなど、全国どこにでも存在するからだ。サイクリストはそれを承知でトンネルを通行するのが、現実だろう。

 問題なのは、正丸トンネル内のセンターラインに追い越し禁止杭が2キロにわたって立てられており、クルマはセンターラインをはみ出して追い越しできないという特殊事情があるからだ。そのため幅2.5mの大型ダンプが通れば、車線の余地幅は50cmしかなく、ほぼ無余地となることが危険なのだ。自転車通行帯がないのと、無余地とはまったく異なる。

 警告文では、このことが書かれていないので、自転車通行帯がなくても平気と考えるサイクリストは通行するだろうし、ダンプに迫られてから危険と判り、このトンネルに入ったことを後悔するのだ。
 もちろん縦2.5m、横0.9mの迂回図付きの「自転車・歩行者の正丸トンネル内通行危険」と書かれた大きな警告看板も設置された。トンネル手前と、電車で正丸トンネルを迂回するときのために正丸駅前の目立つ場所に設置され、看板そのものはよく目立つのだが…。


●2011/11/01
車道走行の不安

 警察方針で、これまで歩道を走っていた自転車は、高齢者と子どもを除いて車道を走らなければならなくなる。
 これまで歩行者を脅かしていた立場から一転して、こんどはクルマに怯えながら走るという立場に置かれるので、車道走行に馴れない自転車はたいへんだろう。
 歩道を走っていたときと、車道を走る場合とでは、大きな違いがあるので、歩道走行の延長線では走れない。
 警察の方針では幅20センチそこそこの青いラインを自転車レーンまがいにするそうだが、車道走行でもっとも大切なことは、すぐ脇をクルマが通り抜けるので、ふらつかないことが絶対条件となる。いままで、自由に歩道をふらつきながら走っていた自転車にとってはかなりのプレッシャーになるだろう。

 また走行する道路端も良くない。亀裂や穴ぼこ、アスファルトが溶けて盛り上がったコブ、側溝蓋の上しか走れない場所、降雨時滑りやすい金属製のマンホールや側溝網など数えあげたらキリがない。段差こそないものの、こうした自転車走行の障害物を避けつつ、走るのは相当のテクニックを要するものだ。転倒でもすれば、クルマも急に対処できない。こうしたことが、一般の「ママチャリ」の人たちにできるだろうかと心配になる。

 ほかにも、戸惑うことがある。比較的大きな交差点には「左折レーン」がある。この交差点を直進する場合、ルールとしては自転車は「左折レーン」を走る必要があるが、ここに入るべきかどうかで、戸惑う。その上で「左折レーン」に入れば、左折車の巻き込みという危険もある。同じ巻き込みの危険性が指摘されてきた横断歩道に併設された自転車横断帯は廃止されるらしいが、自転車が車道を通行することになると、「左折レーン」よりも「直進レーン」に入るほうが合理的だと思うが、そのようになるのかどうか不明だし、「左折レーン」と「直進レーン」にはさまれることに恐怖感を抱く人もいるのではないか。

 さらに車道走行に関しては、自転車の存在をクルマに知らせるために、なるべく派手な服装をして、いわば「自己防衛」しているサイクリストも多いが、一般の「ママチャリ」は概して地味な服装が多く、夕方や夜間はグレイや黒色に近い服装では、クルマに視認されにくく非常に危険である。対策は反射材や、オランダでは義務化されている点滅赤色灯で対応できるが、こうした配慮なしに「車道を走りなさい」といわれても、一般の人々が安心して、車道を走れるかどうかはわからない。今回の警察方針は、そうしたキメ細かい配慮まで考えたうえでの決断なのだろうか。


●2011/10/29
歩道走行から車道走行へ、しかし…

 警察が歩道上での歩行者の安全を計る目的で、自転車通行を車道に徹底させるという方針に踏み切った。
 車社会の到来で車道の自転車通行は危険で邪魔だからと、安易に自転車の歩道通行を許してしまったこの半世紀、歩道での歩行者と自転車間で事故やトラブルが相次ぎ、同時に自転車のマナーや思いやりも、どこかえ行ってしまった。クルマ優先社会で歩行者も自転車も、狭く危ない空間に押し込められた結果、人々の心まで荒廃させてしまった責任は不問のままだ。

 このニュースを聞いてボクは、これで車道での自転車の逆走というルール違反がまた増えるなと感じたことだった。なぜなら、自転車愛好家ではなく一般の自転車…特に「ママチャリ」は、背後からくるトラックに恐怖心を抱き、クルマやトラックが向かってくることを目視できる逆走で、身の安全を守りたいと思っているようだ。

 これが非常に危険な行為であり事故を誘発することまで、彼らには理解できないし、ましてやルールを守っている自転車をまきこみ、事故の危険にさらしているという自覚など持ち合わせていない。つまり逆走自転車は自己中心的であって、他人(自転車)への思いやりが出来ない人々だと思う。逆走が正常な交通を妨げているという自覚がないのが恐ろしいが、これが現実だ。

 では、逆走自転車はなぜ危険なのか。自転車は道路左端を一列縦隊で走ることが道交法で決められている。いわゆる並進は認められていない。並進は道路幅を余分にとるのでクルマ走行の邪魔になり渋滞を引き起こしたりする。この規定はあくまで交通のスムーズな流れを保つために行っているものと思われる…しかし、これは日本のルールであり、例えばロンドンでは自転車はクルマと同じ車線中央を堂々と走り、クルマはその後ろを走っている。

 日本の場合、逆走自転車が正常通行自転車と鉢合わせになれば、一時的にせよ「並走状態」となり、クルマの交通のさまたげになる。逆走自転車との正面衝突を避けるため、正常通行自転車が道路中心部側に寄ることでクルマに巻き込まれる危険性、また自業自得だが、逆走自転車はドライバーから見て、その発見から回避操作までの時間が短いために、事故になる危険もある。

 警察方針を読んだかぎりでは、この逆走自転車の危険性と、それへの指導や取締りについてはなにも触れていないし、取締り項目の対象にも上がっていない。

 警察が「自転車の車道走行」を徹底させた場合、この逆走自転車問題を解決しないと、ルール違反の自転車を避け道路中央寄りに膨らんだルールを守った自転車がクルマにはねられるという事故が多発すると思われる。特に、駐停止中のクルマやトラックを避けて道路中央寄りに膨らんだ時、また同じシーンで避けたトラックの横で、逆走自転車と鉢合わせすることもあるので、特に危険だ。
 自転車の車道走行の徹底に際し、警察が例示している自転車側のルール違反取締りは、信号無視やブレーキなしのピスト自転車だが、それより圧倒的に多い違反は逆走自転車だ。警察には、ルールを守っている自転車にとって危険な存在である駐車違反と、この逆走自転車の指導と取締りを強化して、安全な自転車の車道通行を実現してもらいたい。


●2011/07/28
東欧自転車旅2011

 6月から7月にかけて、セルビア、ボスニアなど旧ユーゴ3国とハンガリー、チェコを自転車で走り、無事40日を越える長旅を終えた。
 前年同様、前半は「シルクロード雑学大学」のグループ旅だったが、後半はサポートなしの1人旅だ。ザグレブ(クロアチア)で帰国するグループと別れ、そのまま陸続きのハンガリーを目指した。中欧ヨーロッパ最大のバラトン湖の北岸に沿ってブダペスト訪れた後、ドナウ川を遡りつつ、スロバキアのブラティスラバからウィーンへ。ドナウと別れウィーン-プラハ間をつなぐサイクリングルート「グリーンウエイ」を走ってプラハへ。プラハからは西に転じプルゼニュでサイクリングを終えた。前半は約800キロ、後半も約1600キロで、合計2400キロの長旅となった。

 バルカン半島を走るのは3度目だが、今回は特に20年近く前のボスニア紛争の傷跡が深く残る地域を通過したので、戦争の愚かさ、痛ましさ、人々の心の傷の深さを直接見たり、接したりする旅となった。1992年4月から3年半にわたって続いた戦いで死者20万、難民・避難民200万が発生し、いまなお多数の行方不明者が存在する現実に、改めて平和の尊さを噛みしめた。

 ハンガリーでは中欧ヨーロッパ最大のバラトン湖で憩う市民の生活やブダペストの歴史と文化、そしてドナウベントを中心とするドナウ川の自然をブラティスラバからウィーンにかけて楽しむことができた。

 日本のフクシマ原発惨事の影響がヨーロッパにも及んでおり、ウィーン郊外のドナウ川畔の封印原発でも反原発の関心が急速に高まっている現状にも接することができた。

 チェコ・リパブリックでは、ゆるやかな丘が連なる田園風景と、数々の小さくて美しい街、そしてヨーロッパ随一の美しさを誇るプラハを堪能した。

 今回の自転車旅では、その様子を現地から日々伝えることにした。SNSと呼ばれているインターネットの会員制交流システムfacebookを使った。通信環境、時間的制約など旅先の限られた条件のなかでも比較的容易に、短文と写真を公開することが出来、会員メンバーからの感想や励ましなども現地で接することができた。また誰でも閲覧できるので、多くの人たちに自転車旅行の素晴らしさを伝えることができたと思っている。

 今回の旅の当サイトへの掲載はfacebookとダブらないような形で考えたいと思います。また当面、「東欧自転車旅2011」の様子は、facebook掲載内容をまとめた次のPDFファイルで見ることができます。

PDFファイル  ⇒ 舘浩道の東欧自転車旅2011

 

●2011/05/30
今年も海外自転車旅へ

 勝手に宣言しているように、80歳まで海外自転車一人旅の現役でいられることを望んでいる。しかし、明日のことは誰にも分からない。「安全神話」が云われ続けてきたフクシマ第一原発のザマと同じで、想定外のことが何時起きるとも限らない。

 でも今年も元気で出かけられることを幸せに思うのだ。
しかし「沈没しかけている日本からサイクリングとは」との現地の人たちの声も聞こえるようで、少々後ろめたい気もする。だが、ものは考えようで、海外で「ほとんど駄目の日本」のイメージを払拭できることもあるのではと、勝手に思っている。

 今回の旅で心掛けることは、正確な日本の今の姿を生の言葉で伝えること、そして地震列島の上に原発を作るなど、自然にたいする思い上った「日本の失敗」をぜひ教訓として欲しいと伝えることだと思っている。

 6月からの旅は、昨年の継続で「シルクロード雑学大学」の「ツール・ド・シルクロード2011(第19次遠征)」という名のツアーに参加し、セルビア、ボスニア・ヘルチェゴビナ、クロアチアを走る。20年間かけて取り組まれている「ツール・ド・シルクロード」の自転車旅はいよいよ大詰めを迎え、2012年はゴールのローマを目指す予定だ。詳しくは「シルクロード雑学大学(歴史探検隊)」のサイトをご覧戴きたい。

 ボクの場合、今回は一行とゴールのザグレブで別れたあと、ハンガリーからチェコを目指してドナウ河畔を走り、ウィーンからプラハまでチェコの森を抜けようと計画している。昨年のポーランドに次いで東欧自転車旅第2ステージとなる予定だ。

 最近のボクの自転車旅のスタイルは、通過する現地の自然や文化・伝統に触れるのはもちろんだが、なるべく地域で暮らしている人々と接して草の根交流が出来る機会を多く作りたいと願っていることだ。

 そのために、うってつけの国際交流組織「SERVAS International」の日本支部のメンバーに加えて貰って4年が経過したが、この間、8カ国を旅するなかで延べ25の家庭を訪問して宿泊場所を提供してもらいながら相互理解を中心に交流しているし、逆に日本を訪れる外国人旅行者を延べ15人(10カ国)迎え、家族ともども楽しいお付き合いをさせていただいている。

 東日本大震災以降、外国からのサーバス旅行者はキャンセルが相次ぐなど、途絶えてしまった。これも震災に関わる観光面の風評被害でもあると思う。今回訪問する先々で、震災後の日本は頑張っているし、安全に旅が出来るところがたくさんあることを伝えるだけでも、日本理解につながると考えており、訪問相手先を出来るだけ多くしたいと思っている。

 誤解を防ぐために説明しておくが、サーバスという国際組織は単なる民間の国際交流組織であって、サイクリングや自転車に関係なく、ましてや宗教とも無関係で、国連も推奨しており、たまたまボクが自転車旅で「活用」させて頂いているにすぎない。
 国際信用がからむので、会員である訪問相手へのアクセスには、日本流にいう「信任状」が不可欠で、ホテル泊のように手軽ではないものの、逆にホテル泊では得られない、現地の人々との深い交流ができるし、帰国後もその絆が続くこともあるのだ。興味のあるかたは次のサイトをご覧下さい。

  ⇒ SERVAS International (英文)

  ⇒ 日本サーバス (SERVAS JAPAN)

 

●2011/04/11
自転車事故と保険(改訂)

     プレゼン資料(PDFファイル) ⇒ 自転車と保険

  エコブームとかで自転車に乗る人たちが右肩上がりに増えているのは心強い。しかし、その一方で自転車がらみの事故もまた増えている。
 落車(転倒すること)などによる自損事故、相手の自転車やクルマへの物損事故のほか、歩行者への傷害事故も増えているのだ。特に問題となるのは、自転車を走行中に歩行者を死傷させてしまうケースで、警察庁の統計では1998年からの10年間で4倍を超えて急増し、2008年には全国で2900件も発生しているという。この爆発的ともいえる自転車が歩行者を死傷させる事故は多くは歩道上で起きていると見られる。

 もちろん歩行者優先の大原則を無視して、暴走する自転車が多いからだが、基本的には歩行者と自転車が狭い歩道を共有するという日本独特の道路通行環境の改善が進まないことにある。

 仮に、自転車側の注意義務違反で歩行者を死傷させた場合、全国の多くの判例では相手に重症を負わせた際の平均賠償責任額は3000万円、死亡させてしまった場合は平均5000万円となっている。

 もちろんこれらの高額な賠償金の支払い能力はほとんどの場合、加害者側になく、賠償責任保険で支払うことになるが、実は、この賠償責任保険に未加入の乗り手がほとんどである。

 もっとも象徴的なケースとして、ケータイメールを打ちながら走っていた高校生が、歩道を歩いている高齢者に追突、死亡させてしまう事故は、そんなに珍しいことではないが、この場合、賠償責任保険に未加入なら、本人はもちろん家族の生活も、たいへんなことになるのは目に見えている。もしかしたら進学どころではないかも知れない。しかし現実は、本人も、家族も「そんなことは起きない」と思い込んでいるようなのだ。極めて危うい自転車の日常生活が見えてくる。

 最近、自転車保険として売り出されている保険はほとんどなく、自動車保険などに責任賠償特約をつけるタイプが多い。死傷事故の場合、賠償額5000万円から1億円で、保険料は年間2万円前後である。

 自転車安全整備と保険制度を組み合わせた「TSマーク」制度も、高額責任賠償支払いには十分対応できていないし、JCAの自転車総合保険も同じで、加入に際しては慎重に検討して必要かつ十分な保険商品を選択する必要がありそうだ。

 

●2011/03/26
正丸トンネル

 国道299号線は飯能方面から秩父に向かう場合の唯一のルートなのだが、自転車にとっての難所「正丸トンネル」がある。長さ2キロ弱と自転車にとってかなり長く感じる正丸トンネルは秩父に入る直前にある。なにげなく入るととんでもないトンネルだと驚く。内部は片側1車線の相互通行なのだが、センターラインに追い越し防止柱が立てられており、車線幅一杯の大型車両は自転車を追い越すスペースがない。500メートルほど進むとダンプカーが追いついてきた。自転車を降りて左端に寄せても、ハンドルがダンプにぶつかるほどだ。自転車をトンネル壁側に傾けてダンプに合図を送る。ダンプはそろりそろりと抜いてゆく。

 車線幅は3メートルしかなく幅2.5メートルの大型車が通れば、残り幅は50センチしかない。
トンネルの両サイドには少し高い位置に管理用通路があるが、幅が狭く自転車で走ることができない。やむなく車線を走るのだが、またトラックが迫ってくる。その度に下車して自転車を通路側に寄せ、手で合図してトラックを抜かせるということを4回繰り返し、ようやく長いトンネルを抜けた。
2月1日、厳冬期の観光スポット、秩父の三十槌氷柱に仲間と訪れる途中のことだ。

 最近の比較的新しい国道トンネルは片側または両側に広い歩道があり自転車で走行できるので安全だが、この1982年完成の古いトンネルは、そうした配慮がなされていない。このトンネルを含む国道299号線を管理している埼玉県の飯能県土整備事務所に聞いてみると、一般国道なので自転車や歩行者を通行禁止にはできないが、非常に危険なのでトンネル内通行は控えて欲しいという。もっとも、山梨市と秩父を結ぶ一般国道140号の雁坂トンネル(有料)のように、歩行者・自転車通行を禁止している例もあるのだが…。対策について資すると、トンネル拡幅は経費の関係でできないので、自転車・歩行者は旧道(正丸峠)に迂回するよう、トンネル入口に看板を設置することや、同じ内容を飯能県土整備事務所のホームページに掲載したいという。

 この危険な正丸トンネルのことは地元の人たちはよく認識されていると思われるが、県外からのサイクリストなどは、面食らうとともに恐怖を感じるだけでなく、大型車との巻き込み事故になりかねないトンネルである。一般国道なのに事実上は自動車専用トンネルのようで、明らかに欠陥トンネルではないか。

 この正丸トンネルの危険性について県公安委員会(埼玉県警)にも問い合わせたが、やはり危険なトンネルと認識しており、歩行者・自転車通行危険の表示を徹底するとともに、道路管理者にトンネル改良を要請するという。「彩の国」を売り出している割には、こうした危険箇所を放置してきた埼玉県だが、なんとかなりませんか。知事さん。⇒(埼玉県知事宛にもメールし、ついでにWikipediaの「正丸トンネル」にも、自転車通行は非常に危険と加筆しておいた。)

 




●2010/09/23
シニアの自転車旅に想う

 8月は夏休みということもあって、相次いで自転車旅に関する新聞投稿と出あった。

 その一人は早期退職後、いきなりマウンテンバイクで夢だった北海道一周を果たしたOさんのものだ。彼は18日間で2000キロを走ったことについて書いているのだが(朝日新聞 2010年8月28日付)、7月下旬なのにほとんど毎日雨のなかを惨めな思いでペダルを漕ぎ続けたという。

 56歳というから、連日マウンテンバイクで100キロ以上の走行はキツイだろうし、北海道を一周するなら、もう少し日程にゆとりをもって、行かれるのがよかったのではないかと思う。

 ゴール後の感想は、当初の期待に反して惨めで、厳しい旅となってしまった様子が綴られているのだが、Oさんの経験から自転車旅を楽しくするためには、体力とも相談して、事前の細かな計画が大切であることがわかるし、なるべく好天を狙うスケジュールにすべきではなかったか。退職後にはタップリ時間があるのだから。

 もう一人の投稿者もやはり北海道自転車旅についてのものだった。長距離の自転車旅に慣れているという75歳のFさん(朝日新聞 2010年8月25日付)。北海道は宿泊地間の距離が長いこと、峠や雨天のことを恐れ、自転車を諦め、観光バスで回ることにしたという。ところが宗谷岬で同年配の自転車一人旅と出会いショックを受ける。無念・残念、そして羨望・後悔。彼は自らのチャレンジ精神の衰退を嘆き、ひどく老けた自分を感じたというものだった。

 Fさんの気持ちの揺れはボクも良く理解できる。しかし自転車旅にしなかったことを後悔するくらいなら、バスか自転車かといった二者択一でなく、ほかにも工夫の余地はあると思う。たとえば、北海道なら鉄道はそれなりに動いているので、辛くなったときは鉄道で移動すればいいわけだ。

 計画が十分練れていない旅や、バスか自転車かといった単純な発想ではなく、シニヤの自転車旅は、その年輪を生かすような工夫の余地があるのではないかと思う夏はようやく終わりを告げる。



●2010/08/21
東欧自転車旅 3000キロ


 6月にブルガリア、セルビア、そしてポーランドへの自転車旅にでかけたが、無事50日間の東欧の旅を終えることができた。
 旅の前半は「シルクロード雑学大学」のグループ旅だったが、後半はそのメンバーの一人が飛び入り参加したので二人旅となった。

 ベオグラード(セルビア)で帰国するグループと別れ、ポーランドの古都クラコフに飛ぶ。ポーランドではアウシュビッツを訪れた後、大河ヴィスワ川を遡りつつ、ワルシャワ、グダンスクへと北上し、ヘル半島から西に転じ、バルト海に沿ってポーランド最西部のシフィノウィチャへ。
 そこから南下してシュチェチンからドイツに入り、ポツダム、ベルリンを経てハノーバーまで走り旅を終えた。前半は約1000キロ、後半も2000キロを越え、合計3000キロの長旅となった。

 今回、初めて旧共産圏の東欧を走ったのだが、それぞれの国情や人々の暮らしぶりも異なる。ブルガリア、セルビアでは「オーソドックス」と呼ばれている「正教」文化が人々の暮らしに根付いていた。ブルガリアでは古代遺跡など文化財保全に日本も援助していることを知った。
 セルビアは旧ユーゴースラビア崩壊後、独立を果たしたものの、コソボ問題を抱え、経済的にも大変な状況が続いているが、人々は楽天的だった。
 ポーランドはカソリック法王を輩出した国で、人々は誇り高く、ナチスやソ連支配と闘いつつ民主化を実現させ、大国支配で疲弊した経済を立て直そうと努力していた。
 東ドイツでは、「ベルリンの壁」崩壊後の現状も見ることができた。

 観光地を巡るのではなく、線でつなぐ自転車旅は、現地の人々の日常生活のなかに、わけ入ることができるので、その暮らしぶりや考え方に間近に接することができるので、興味が尽きない。今回も実に多くの出会いがあり、学ぶことも多かった。

 東欧の旅の様子は、次のページで見ることができます。

    ⇒ ブルガリア〜セビリア
   ⇒ ポーランドを巡る


●2010/05/24
ブルガリアからセルビア、そしてポーランド

 2009年秋のトルコ自転車旅についで、ボクは2010年6月からブルガリアからセルビア、そしてポーランドを訪れる旅に出る。
 このうちブルガリアとセルビアは、前年に続いてシルクロードを自転車で走り続けているグループ(シルクロード雑学大学)の遠征隊、「ツール・ド・シルクロード20年計画第18次遠征ブルガリア・セルビア」という長い名前のツアーに参加するのだ。
 20人近いグループで走るのだが、グループの旅もいろいろな交流があり、学ぶことも多く、また楽しい。
 日本人のグループ旅というと、日本人同士が固まって現地の人たちから見れば、孤立的に行動したり、傍若無人に振る舞い、ひんしゅくを買う場合が多いが、「シルクロード雑学大学」は歴史探検隊と銘打っているだけあって、シルクロードの歴史を学ぶとともに、積極的に現地と交流しようという姿勢があって面白いのだ。
 ブルガリアを走る際は、このところ不調のブルガリア出身の琴欧洲の写真をプリントしたTシャツを着て走ろうと用意しているメンバーがいたり、セルビアではベオグラード大学に日本語の書籍をプレゼントしようと各自5冊の書籍持参を呼びかけ・・・少しでも持ち物を少なくしたい自転車旅にとって「5冊の本」は結構な重荷・・・るなど、ユニークな交流のアイデアも豊富なのだ。
 旅はトルコ国境に接する街カピタン・アンデュレヴォから西に向かい、ほぼ北西方向に首都のソフィアを経て、セルビア国境を越え、紛争地コソボを避けて北上し、最終地ベオグラードを目指すのだ。この2カ国を実際に自転車で走るのは11日間で約1000キロの予定。

 ベオグラードでボクは帰国するメンバーと別れ、ポーランドのクラコフへ飛ぶ。ポーランドは以前から訪れたい国の一つというか、是非とも訪れなければならない国として考えていたが、なかなかその機会がなかった。
 今回の目的は、主にアウシュビッツに象徴されるユダヤ人撲滅という20世紀の狂気や、映画「戦場のピアニスト」のワルシャワ破壊と復興、そしてポーランド民主化のリーダー、ワレサを産んだグダンスクなどを訪れ、第2次世界大戦とポーランドの戦争と平和、そして自由について考える旅にしたいと願っている。約1カ月をかけてゆっくりとポーランドを巡り、1500キロ走ってポーランド北西部のシュチェチンからドイツに向いベルリンにゴールしようと思っている。この旅で「ベルリンの壁」を見逃すわけにはいかないからである。


●2010/04/07
3万アクセス、ありがとう


 このサイトへのアクセスが3万の大台を越えた。開設は2006年10月だったから、ここまで到達するのに3年と6カ月かかったわけだ。
 サイトのプロバイダーによると初回訪問者のみカウントアップされるシステムなので、文字通り3万カウントは1度でも訪れていただいた閲覧者の累計であり、少なくない人たちが訪れてくれたことは、本当にありがたいと思う。
 いろんな感想も頂く。「2000円分の単行本を読んだ思い」・・・最近、寄せられた声の一部だが、嬉しいね。
 また、本にしないかというお誘いもかかるが、いまのところ考えていない。3万部も売れるとは思わないからだ。
 「あなたのサイトを買いたい」というのも現れた。これには驚いた。こんなものを買ってどうする気だろう。売ってしまったらボクはサイトの更新もままならず、その瞬間にサイトは死を迎える。
 リタイア後の趣味は多様なので、自転車をやってみようという人はそんなに多くはないだろう。しかし昨今のエコブームでクルマをやめる人も出てきて、自転車も悪くないという時代となり、ボクたちにとっては追い風だ。
 向かい風の走行は苦しいが、追い風は背中を押してくれる何かを感じさせずに前に進むことができ実に楽チンなのだ。このブームが止むことなく続いて欲しいと願う。自転車を始めてみようという人は早ければ、早いほどいい。元気に自転車に乗れるのは、そう長くはないからだ。アドバイスを求める人も少しずつ増えてきている。そのためにも、このささやかなサイトが一役買っていることに少しばかりの誇りも感じている。
 今後とも、ご愛顧のほどよろしく。


●2010/03/06
中学生に海外自転車旅を語ったら・・・


 先日といっても、昨年秋のことになるが、ボクが住んでいる街のある中学校から、中学3年生200人への講演を依頼された。
 総合学習の時間に地域の市民から話を聞こうという「授業」で、テーマは「海外自転車旅から見た日本」。
 ボクは自分の自転車を中心にしたリタイア後の暮らしについて、何度か講演もしているが、中学生相手となると話は別だ。自分の孫ほどの年頃の生徒たちを相手にうまく話すことができるだろうかと、年甲斐もなく緊張を強いられた。

 ボクは中学生の前で、パワーポイントの映像をまじえながら、なぜ自転車で海外の国々を旅するのか。有名観光地だけではその国は理解できないこと、自転車で回ると普通の人びとの暮らしが見えてくること、1日数10キロから100キロ走り続ける体力や現地の人々と積極的にコミュニケーションする姿勢も大切なこと、「トヨタ」「キャノン」といった日本製品はよく知られており、日本製は優秀だと云ってくれる現地の人たちの日本人観は「風のように来て、風のように去って行く日本の旅行者」というもので、外国の人たちには、日本人の素顔が見えていないことなどを話して、だから草の根の国際交流、つまり一期一会の出会いを大切にしているという話をした。

 また、外国の暮らしと日本を比べてみると、ヨーロッパ圏では個人や家庭生活を大切にし、人生を楽しんでいるし、それとは逆に日本では労働時間があまりに長すぎるとして「君たちのお父さんは何時に帰ってくる?」と問いかけもした。
 最後に平和のためには国を越えてその国の文化を尊重し理解しあうことが大切と結んだ。
 話を終えて、たくさんの中学生から質問攻めにあい、ボクが持ちこんだ自転車を囲んで写真を撮られたりもした。

 後日、中学生たちから分厚い感想文が入った封筒が送られてきた。そのなかから、幾つか抜粋すると・・・

 カッコイイし、羨ましいと思った/1日100キロを自転車で走っている人がいると思わなかった/自転車で世界を旅しようと考え行動に移すところが尊敬できる/何事も中途半端な自分だったが、勇気をもらった/やりたいことを始めるのに早すぎるとか、遅すぎるということはないと感じた/当たり前のようにある自転車で世界を旅する発想はボクにはなかった/当日、休んだので友達から聞いたが「言葉の壁を越える草の根交流」がすごい/受験の壁を乗り越えたら新しい自分に会えるかも/自分のペースで走りきるというのは勉強にも活かせる/受験を控えている僕より頑張っている/何事も諦めないことが大切と学びました/何歳になっても自転車で世界を旅しようという強い心に感動/写真のみんな笑顔で楽しそう。「日本人は風のようにやって来て風のように去ってゆく」といわれる現代生活は考えさせられる/「日本人は働き過ぎ」のことも考えされられる/「またつまらない話だろう」と思ったが最後は「おもしろかったなぁ」/中3のみんなは将来の希望と夢の話が聞けた/講演会はほんとによかった。舘さんは世界に誇れる日本人/家に泊めてもらえるまで親しくなれるなんて凄い。どの国の人も心から笑っていて心が温かくなる/「人々の暮らしと自然がうまく混じり合った場所が美しい」という言葉が印象的。14ヵ国8700キロも旅している輝く素晴らしい人生だ/中学生の自分が夢を諦めているのがバカバカしく思え、夢に向かって頑張ってみようと思う/早速、家で親にも話し家族との時間が作れたとき家族みんなに笑顔がでました・・・などなど。

 こうした素晴らしい中学生たちからの感想文を読んで、ボクも感動し、次の返事を出した。

 先日はボクの話を熱心に聞いてくれて、どうもありがとう。みなさんから熱い手紙を頂きました。
「カッコいい」「ロマンを感じた」などと率直な感想に思わず引きこまれて、全部の手紙を読ませてもらいましたよ。若い自転車フアンが増えるような気がしています。

 また、みなさんの作文力に驚きました。どの手紙も素直に自分の感じたことが豊かに表現されていました。英語など外国語を身につけることは国際交流をはかるうえで大切なことですが、それ以上に大事なのは豊かな日本語の力をつけることです。そうでないと外国の人と会話できたとしても、中身のある交流が出来ないからです。自分の思いを率直に相手に伝えるために考えたことを相手に理解してもらえるようにまとめるのが国語力だと思います。みなさんはよく頑張っていると思いました。

 ボクは先生から講演を頼まれたとき、正直いって不安がありました。中学生たちがちゃんと話を聞いてくれるだろうかと・・・。ボクにも中学2年の孫がいますから、孫に話すようにやろうと思いました。結果は、とてもよく話を聞いてくれて深く心が通じ合えました。こんな嬉しいことはありません。今年のスペイン巡礼路やトルコでの交流も楽しかったのですが、中学生たちと心が通じ合えたことが今年一番の収穫です。

 それ以降、街で偶然彼らのうちの数人と出会ったのだが、向こうから挨拶してくれた。中学生から声を掛けられるなんて、この街に住んで10年を越えるが、初めてのことだ。


●2009/11/06
ヒッタイト遺跡からスタート

 「シルクロード雑学大学(歴史探検隊)」の第17次遠征「イスタンブル探訪隊」(メンバー15人)はトルコ中部のやや東にあるヒッタイト遺跡をかかえるボアズカレ村をスタートした(2009年9月13日)。
 隊列の先頭を伴走バスが走る。バスは車体の前後に「注意!サイクリングツアー」とトルコ語で書かれた幕を取りつけている。隊列の最後尾はメンバーの荷物や自転車を運ぶクルド人ドライバーのトラックがつくので、サイクリストは2台の車両にはさまれて走る。
 主なルートはトルコ中央部を真西に進み、首都アンカラ、そこから北西に転じてボルを経由して、黒海沿岸のアクチャコジャ、そして真西に向かってボスポラス海峡を渡ってイスタンブルへ。次いでマルマラ海に沿ってさらに西へ、北西に転じてブルガリアとの国境までの約900キロである。

  ⇒ 
続き「トルコを走る」を見る

●2009/09/01
トルコ中央部からブルガリアへ 

 春のスペイン巡礼路の自転車旅に続けて、9月にはトルコ中央部からブルガリア国境までの自転車旅にでることになった。
 実は20年計画で西安からローマまでのシルクロードを自転車で走破しているグループ「シルクロード雑学大学(歴史探検隊)」の遠征に参加するのだ。「ツール・ド・シルクロード20年計画」と名付けられたこの計画は1993年に中国の西安をスタートし、毎年1000キロ前後の自転車旅を重ね、いよいよ東西文化の交差点トルコまで迫ってきた。
 ボクが自転車を始めた1999年頃は、彼らは新疆ウイグル自治区カシュガルからキルギスのビシュケクまでを辿っていた。そしてボクが初めて海外に出た年の2004年には彼らはイランのバムからベルセポリスまで到達した。このグループの存在を知ったのは2年前で、もちろんボクはシルクロードに惹かれるのだが、なにしろ一人でシルクロードを走るのは年齢的にも少し遅すぎるように思っていた。
 そんなこともあり、シルクロード自転車旅の経験豊富な「シルクロード雑学大学(歴史探検隊)」に加えてもらうことにしたのだ。
 第17次遠征は今年の5月に続き、トルコ中央部のヒッタイト遺蹟付近からスタートし、首都アンカラから黒海沿岸を辿りつつ西のイスタンブールへ向かう。そしてブルガリア国境までの約900キロを走る計画だ。
 グループだから、気ままな旅というわけには行かないが、たとえシルクロードの一部であっても、ともに走ることができるのだから嬉しい。一人旅と違って、また別の出会いがあるだろう。

  ⇒ シルクロード雑学大学(歴史探検隊)

●2009/07/01
自転車生活10周年を迎えて(パート2) 

 7月1日は、リタイア後の第二の人生の友として自転車を選び、これと付き合って丁度10年目を迎える日である。健康管理と日常的な心身のリフレッシュをと考えて始めたのだが、次第にこの世界にのめり込み、今では自転車なしの生活は考えられないものとなっている。

 自転車の世界も広く、舗装路を軽快に走るレーサー志向の人、MTBで野山を駈ける人、街乗りのシティーバイクの愛好者などと分れるが、ボクの場合はあくまでもツーリングだ。
 よく日本や世界一周をやっているという人もいるが、ボクの場合はそうでもない、60歳を過ぎてからこの世界に入ったので自分の限界というか、やれる範囲というのが見えているし、それは自ずと限定されてくる。このことは例えば、面的には自転車で世界を旅するには、世界はあまりにも広く、自分が行ってみたいところに絞りこむことになる。ここ数年はヨーロッパを中心にツーリングを重ねてきたのだが、まだまだ行きたい国や、行かなければならないところが残っている。

 また時間的にも、将来とも心身ともに健康でいられると仮定して、いったい何歳までそうしたツーリングが可能なのだろうと考えたとき、まず80歳までは、自分で企画し、ツーリングできるのではないかと「80歳まで海外自転車旅の現役」を目標にしているが、これも残すところあと8年となってしまった。現在の心境は「元気で世界をツーリングできるのはあと8年か」と、すこし焦りに似た気分である。

 日常的には、月々800キロ程度をトレーニングとして走るよう心掛けている。年間だと走行延べ距離は1万キロとなる。ボクはほかにいろんなボランティア活動に首を突っ込んでいるので、自転車で走る以外に、特にスポーツをする時間的余裕はない。というか、自転車だけで十分だと思っている。
 それでも、この10年の間に走った距離は累計で6万キロを越えてしまった。自転車地球放浪旅を重ねている埜口保男さんの言葉を借りれば、地球の陸地部分の長さは2万キロなので、距離的には、すでに3回の地球旅をこなしたことになるというわけだ。ボクは普通のサラリーマンと同じく、ただリタイヤ後に始めただけのことなので、その気になれば、誰だって出来ることだと思うし、周りの人たちにも特別なことではないよと話している。

 ペダル運動は高齢者にとって「足にやさしい」し、自転車は「風をおこす」ので、夏のかなり厳しい条件下でも比較的楽に走れる。数時間を平均時速20キロ程度で走れば、とても効果的な有酸素運動となり、メタボとは全く縁がなくなる。もちろん冬の寒さのなかでも風邪を引くこともない。

 人間は1歳を過ぎたころから歩けるが、自転車に乗れるのは4〜5歳頃からだ。バランスを取って倒れないようにコンロールする能力が必要なのだ。したがってこれが衰えると自転車に乗れなくなる。買い物程度にしか自転車に乗らない人のなかには、生活道路でも前方にクルマを見かけた途端、降りてしまう人もいる。クルマとうまくすれ違うことができないのだ。
 時速20キロから30キロのスピードで走っていると、道路の状況がめまぐるしく変わり、乗り手は信号や、歩行者、路面の状況、背後からのクルマの接近、そしてルート選択と、あらゆる事柄を瞬時に判断し、即座に減速する、止まる、避ける、進むといった行動をしとらなければならない。感覚、頭脳、運動神経の総動員である。これがアンチエイジングに一定の効果を発揮しているのだろうと思う。
 先日、信号機に従って自転車横断帯を渡り始めたら、左折の軽トラがかなりのスピードでせまって来るのを感じた・・・見えたのではなく、とっさに感じ取ったのだった。瞬時にこの軽トラと同じ左方向に避けて衝突を回避することができた。
 相手のドライバーは高齢者であり、おそらく彼は視野狭窄のせいで左側の横断自転車が視界に入っていなかったのだろう。自転車の側から走り去ったドライバーを呼び止めるすべはない。高齢ドライバーの軽トラは裏道に消えていった。肝を冷やした一瞬だった。このように街中では、あらゆる事に感覚をとぎすませて、自転車に乗らなければならない側面があるのも、厳然たる事実である。

 10年目の記念日、走りたいのはやまやまなのだが、残念なことに午前も、午後もボランティア活動の予定が入っている。


●2009/06/15
「江戸時代の自転車」と留学生 

 江戸時代に自転車など日本に存在しなかった。19世紀初頭のヨーロッパで生まれた自転車は、明治になって日本に輸入されたからだ。
 ボクは府中に移転してきた東京外国語大学の、留学生を支援する活動にも加わっているが、同大学のある留学生は、自分たちが借り受けている中古自転車を親しみを込めて「江戸時代の自転車」と呼んでいる。
 1年間から長くて数年という短い期間、日本で学ぶ留学生の生活がすこしでも豊かに、そして日本の社会に溶け込んで過ごして欲しいと、留学生達に中古自転車を貸し出す事業を行っているのだ。
 新聞チラシを折り込んで、大学周辺の市民からまだ使える自転車を貰ってきたり、自転車店の協力で中古自転車を提供してもらっているのだが、これが留学生に人気で、ウエイティングリストを作らなければならないほど。
 特に昨今の経済的不況で、親元からの送金の価値も下がるなど、日本での日常生活の維持に悲鳴を上げている留学生には、経済的にも大助かりで、そして便利な自転車生活を過ごしており「江戸時代の自転車」は彼らの役に立っているのだ。
 昨年末に、大学キャンパス内の放置自転車の再利用ができないかと思いつき、大学側と交渉したところ、放置自転車に手を焼いていた大学側と話がとんとん拍子にすすみ、約300台の放置自転車の中から、1割近い自転車を選び出し、貰い受けることができた。それらの放置自転車を再登録して、留学生に貸し出す自転車に加えた。このほど、その取り組みが『朝日新聞』(2009年6月1日付/多摩版、むさし野版)で紹介された。
 そして、その記事をきっかけに、あらたな自転車の提供者や、放置自転車の整備協力を申し出る方とも出会うことができるなど、「江戸時代の自転車」をめぐる輪は、さらに広がろうとしている。

 ⇒ 『朝日新聞』の記事を読む

●2009/05/22
「ブエン・カミーノ」

 4月4日。長年温めていたボクのスペイン巡礼路自転車旅は、南フランスはバイヨンヌの駅から始まった。巡礼路のスタート地点、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーに向かうローカル列車に自転車ごと乗り込んだら、そこはもう巡礼者達の世界だった。お互いの挨拶は「ブエン・カミーノ」・・・直訳すれば「良き道を」、日本流に云えば「お気を付けて」とでもいうのだろう。巡礼者同志が出会ったとき、別れるときにこの言葉を交わしあう。
 バルセロナから来たという背の低い小太りの男性が早速「ブエン・カミーノ」と声をかけてきた。彼は今回は9回目の巡礼だという。8回目の昨年、ガールフレンドを見つけたといい、今回はそのフランス人の彼女と一緒だと得意げに紹介してくれた。そして彼女とは来年に結婚する予定で、1週間の休暇で来ているので、途中の街までで引き返すことなど、初対面の人間に云う必要のないことまで、話しかけてくる。スペイン人はやはり陽気だ。
 バイヨンヌからサン・ジャン・ピエ・ド・ポーへの1両だけのディーゼルカーはとても美しい渓谷をトコトコ走り、ピレネー山脈の前衛と思われる山々も見え隠れする。その一部に冠雪も見えるではないか。彼女を獲得したスペイン男は、「あんなところまでは行かないから安心しろ」と雪の峠を心配したボクを見透かしたように云う。  
 ⇒ 続きを読む


●2009/03/22
スペイン巡礼路へ

  「カミーノへの扉は、すべての人に対して開かれている。病気のものにも、健康なものにも、カトリックの信者だけではなく、異教徒にも、なまけものにも、そして中身のない人間にも。善良なものにも、俗人にも開かれている」・・・カミーノ・デ・コンポステーラ(スペイン巡礼路)を目指すものへのメッセージである。
  スペイン北西部の中世の面影を残す街、サンティアゴ・デ・コンポステーラは、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教三大聖地のひとつとされ、9世紀にキリスト十二使徒の一人である聖ヤコブの墓が見つかったことから、11〜12世紀には多くの巡礼者が向かった。巡礼路のシンボルはホタテ貝で、サンティアゴへの方角を示すサインとして道のあちこちに示され、彼らを励まし、ガイドしたという。
  サンティアゴを目指す巡礼路はいくつかあるが、フランス南東部の街ル・ピュイから、ピレネー山脈を越えてスペインへと、ひたすら西に向かうルートは最も有名かつポピュラーで、「フランス人の道」(約1500キロ)とも呼ばれている。その大部分は厳しい峠越えと赤茶けた荒涼たる原野を通過しなければならず、巡礼者を痛みつけるという。
 今回の海外自転車旅は、この「フランス人の道」のうち、スペインとの国境近くのフランス側からスタートし、なるべく巡礼路に沿いつつ、一般道も併用して、ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、約800キロを走ることにしたい。
 徒歩による旅は、古来から旅の原形である。交通手段が発達した今日では、旅のスタイルは激変し、そのことによって多くの得難いものを失ってしまった感もあるのだが、ここにはヨーロッパの昔ながらの歩くという旅のスタイルが残され、今も受け継がれている、このルートを自転車で走ることにより、人びとが何故、困難な徒歩による旅に惹かれるのか、人びとは何を思いつつ歩いているのか。そんなことにも接してみたい。   ⇒ 続きを読む


●2009/01/01
自転車生活10周年を迎えて

 新しい年を迎えました。
今年がどのような年になるか。誰にも予測がつきません。
昨今の経済情勢や国際情勢からいえることは、人類は地球資源を限りなく浪費しており、国際化もさらに進むことから、各国が協調して平和で賢い暮らしを模索することが強く求められるということでしょう。
 石油依存の文化や資源浪費型の暮らしは否応なく見直しが求められる時代に入ったことは間違いないといえます。
 このサイトは、リタイアした人間が、つましく第2の人生を過ごすために、健康的で、経済的で、手軽で、楽しくて、おまけに地球環境に優しい自転車というスポーツを選択した個人的体験を同好の方々に伝えようと始めたのですが、自転車をめぐる様々な問題の解決方向と、世の中の大きな流れが期せずして重なるようになってきているのは嬉しい限りです。自転車の役割は単に趣味としての領域を越えて、交通社会的にも、脱メタボ的にも、省エネ・省資源的にも今後ますます重要になって来ていると感じています。
 さて、昨年の出来事です。
まず、居住地中心に「海外サイクリング塾」を始め、ちょうど1年が過ぎました。このサイトの同名のページでご覧いただいたように、自転車の入手や自転車の乗り方といった初歩の手ほどきから始め、参加者とともに走りながら、「塾」の例会を19回重ね、ともかく「輪行」ができるところまでこぎ着けました。
 留学生に中古自転車を・・・。これは2〜3年前から始めたことですが、昨今の円高に苦しむ留学生たちにたいへん喜ばれています。詳しいことは何かの区切りの折りにでもお話しましょう。
 さて、ボク自身についてです。このサイトが縁で旧知の方と青森を回遊しました。シルクロードを20年計画で走破中の方々とも知り合いになりました。8月の北欧自転車旅では、現地の人達との交流や、日本人の旅人との出合いなど、新たなお付き合いも広がりました。このように自転車が取り持つ縁で人間関係が広がってきていることを感じています。
 昨年もよく走りました。北欧旅の約2000キロを含め、最終的な年間走行距離は11,199キロとなり、2006年から3年連続で1万キロを越えたばかりか、過去最長となりました。でも、もうそろそろ、このあたりが限界かもしれません。なにしろ昨年の流行言葉をもじっていえば「アラセー」ですから(わかるかな)・・・。
 今後は如何にして、この年間1万キロというラインを維持できるかといったところです。ケイリンやレースに出場することを目的としているわけではないので、そこまでしなくてもいいのではという意見もあるかもしれません。
 リタイア後に自転車を始めたボクにとって今年(7月)は10年目を迎える年です。1999年6月のリタイアの翌月から始めたのでした。何も知らないで、この世界に飛び込んだボクの10年間は、重大な怪我や事故との遭遇も含めて貴重な体験を重ねた10年間でした。振り返ってみて、リタイア直後に自転車を始めようと決意し、行動に移したことは大正解であり、たいへん楽しい10年間だったと思います。今では自転車のない第2の人生の生活は考えられないものとなっています。ボクとしては、いつでも長期の海外ツアーに行ける体力や気力の維持が今年も目標になりそうです。


●2008/12/16
ランドナーと輪行支度

  ツーキニストこと自転車評論家のHさんが、ある日のメルマガ(2008/12/14、346号)で自転車紀行本『七つの自転車の旅』(平凡社刊)を取り上げている。このなかで著者の白鳥和也さんのサイクリングスタイルについて、同氏は「かたくなに伝統的ランドナースタイルを守るのである」と述べている。事実その通りなのだが、Hさんはランドナーという自転車を「懐かしい勇姿」を持つ過去の自転車と見ており、「ランドナーって、実は、けっこう輪行が面倒くさいんだよね。泥よけの収納がタマランし、それにともなって数々のワイヤーの処理がタマラン。私などはとうの昔に投げ出し、現在は折りたたみのMR-4か、ロードバイクしか使わない」と云うのだ。
 たしかに、いまでもランドナー乗りのなかには泥除けまで分解し、また輪行先でやたらと時間をかけて組み立てる「オールドスタイル」な人達がいることも事実だ。こういう風景を駅前なんかで目にするとランドナーは「輪行が面倒くさい」自転車として片付けられてしまうようだ。しかしそうした人達は、その輪行支度自体を楽しんでおり、はたからとやかく云うのはひかえたほうがいいと思う。
 ランドナーの輪行支度が面倒くさいものものかどうか、ボクの場合のことを書いておきたいと思う。もちろんボクはランドナー派なのだ・・・というよりランドナーにこだわって乗っている。理由は自転車旅にとって常に変化する未知の道路環境を走行するには安定性と堅牢性が不可欠だと思うからだ。「折りたたみ」は安定性に問題があり、ロードバイクはサポートがある「ツールドフランス」などロングレースは別にして個人の長期ツーリングに向かない。MTBはどうかというと、これこそ泥除けやバッグ取付に不自由さがある。これらの自転車にはないツーリング機能を兼ね備えているのが、実はランドナーなのだ。ランドナーこそあらゆるツーリングシーンで使える自転車で、雨上がりなのに首から腰まわりまで泥を跳ね上げてゆくレーサーにたいし、ランドナーは悠々と美しく走れるのだ。
 問題は「輪行が面倒くさい」と言われる短所をどう工夫するかということ。ボクの場合は「フォーク抜き」という早業なのだが、抜いたハンドルはブレーキワイヤーつきのままトップチューブに掛け、ヘッドネジをゆるめて取りはづした「泥除けごと車輪つきの前輪部」はそのままに、つまり、ハンドル、フォークごと前輪部、そして本体フレームと後輪つきの3点に分解して、輪行袋に収納することにしている。ゆっくりやって10分、急げば5分間でできてしまう・・・これって「折りたたみ」と同じ時間しかかからない。ヘッド部のボールベアリング玉がこぼれないシール処理もされている「特注」だ。 このスタイルで新幹線も、そして海外輪行も問題なくできるのだ。あるとき、スウェーデンのとある駅で自転車の姿のまま特急列車に乗り込もうとしていたところ、車掌から拒否されてしまったことがあった。10分後の発車時間を確かめて、5分間でこの「フォーク抜き輪行」をやったことがある。車掌は親指を立ててくれたし、周りの乗客からは拍手が起きてハプニングを切りぬけたのだった。というわけで「フォーク抜き」スタイルにすれば「輪行が面倒くさい」どころか、素早い輪行支度と快適なツーリングが楽しめるのだ。


●2008/11/30
「多摩川CR」で重大事故目撃

 以前に、多摩川サイクリング道路が愛好者のなかで「全国一」に選ばれたことについて取り上げたことがあった。
 視点は、首都圏の自転車愛好者がたまの休日に多摩川サイクリング道路を利用するのは、ほかに比較的安全に走れる環境がないからで、これが「全国一」というのは、あまりにも日本的だという趣旨だった。そしてサイクリング道路といえども、専用道路ではないので、歩行者などとシェアしなければならない現実についても触れた。
 心配事はボクの目前で起きた。11月29日の午前9時20分頃、多摩川サイクリング道路の是政橋の下流側で2人のロードレーサーが時速40キロほどでボクを追い抜いて行った。
 危ないなと感じて彼らを目で追っていたところ、彼らの姿が300メートルほど先で突然消えた。
 近づいてみると彼らのロードレーサーが道端に置かれてあり、サイクリング道路中央部に人が仰向けに倒れ、先ほどのサイクリストが倒れた人に屈みこんで声を掛けている。高速で走っていたレーサーがランナーの女性をはねたようだ。女性は緊急を要するショック状態で直ちに救急車が呼ばれた。数分後に救急車が到着したが、ランナーはどうなったかわからない。
 現場で、交通整理などを手伝ったのだったが、この事故には少なからずショックを受けた、事故を起こしたレーサーの注意義務は当然として、突然のことで何が起こったのかもわからない被害者の女性ランナーは気の毒だ。
 この「全国一」のサイクリング道路では、こうした自転車が加害者となる事故が頻繁に起きており、なかには死亡にいたる重大事故も毎年繰り返えされている。
 混みあったサイクリング道路はサイクリストだけのものではないことを、改めて愛好者に訴えたい。自戒をこめて。


●2008/11/26
再び「右側通行違反」について

 2年前に「右側通行違反」について書いたことがある。状況は相変わらずで、ルール違反の自転車の右側走行には、ほんとうに困惑するばかりだ。ケータイの「ながら運転」、「2人乗り」、「並進」など、どれもイレギュラーで「交通違反」なのがだ、なかでも「右側通行違反」は、ひとつ間違えば、運転者本人にシビアな結果となって跳ね返ってくるばかりでなく、ルール通りの左側走行をしている自転車と鉢合わせの関係となるので、ほんとうに迷惑だ。鉢合わせの正面衝突を避けるために右側に回避すれば、こちら側が後続のクルマと接触の恐れがあり万一の場合、「右側通行」の違反者が無事で、ルール通りの走行をしていた側が事故にあうといった結果にもなる。
 そんな状況のなか『自転車の安全鉄則』なる新書本がでた。「左側通行さえ守れば、年間約400人の命を救える!」とショッキングな帯まで付いている。ツーキニストを自称する疋田さんの本だが、こういう本が出ること自体、自転車をめぐる交通の状況はもはや放置できない事態であり、しかも全国的な問題となっていることを示している。
 ボク自身も自転車の逆走違反者に対し、「左側を走ってください」と呼びかけることがあるが、「すみません」と言ってくる人はまれで、多くの違反者は仏頂面をするか、「切れた」状態で逆に食ってかかってくる女性もいる。
 この本でも指摘しているように、「右側通行違反」は当人の人命にかかわる喫緊な事態であるのに、不思議なことに警察官による取締りに出会ったことがない。多くの違反者が堂々と違反を繰り返しているということは、本人が重大な交通違反をしているという自覚や認識がないからではないか。ならば警察官による取締りの強化を図り、そのなかで意識改革を促すということが必要に思う。それをマスコミが大きく取り上げて違反者の意識改革につなげることが必要だろう。その意味で、この本は交通取締りや指導にあたる現場の警察官や、マスコミ関係者に読んでもらいたいと思う。


●2008/10/29
驚異的な永野さんの頑張り

 以前、ハンドサイクルと呼ばれている障害者用の自転車で東京から福岡を目指す永野明さん(32)のことを取り上げたことがあった。
 ハンディーをものともせずに、困難なツアーに挑戦する若い人に拍手を送ったのだが、彼はそれを実際にやり遂げてしまった。
 計画通りに10月10日に東京・日本橋を出発した永野さんは、仲間のサポートも受けながら、箱根越えをさけて連日100キロ以上の長距離を腕力だけで前輪を回し続け、車椅子と彼自身の体重を引っ張っていったのだ。ボクのような健常者でも連日100キロを越えるツアーはたいへんなのに、手の力だけでそれをやるのは驚異的だ。しかも1000キロ以上も・・・。
 そのたいへんさは、早朝出発して到着が夜の8時半という日もあったことで容易に想像できるし、一部に日程の短縮や、岩国〜下関間をショートカットせざるをえなかったようだ。彼はそれを「一部棄権」と云っているが、そんなことはない。そのことも含めて旅先でのいろんなシーンでの「決断」も、今後の彼の生き方になにがしかの影響をあたえることになるだろうと思う。ともかく、厳しい条件のもとで初期の目的をやり遂げ、10月19日、無事福岡にゴールした永野さんに「おめでとう」と云いたい。

・・・困難なツアーをやり遂げた彼のコメント・・・
皆様の声かけが、一こぎ一こぎの力になりました。不思議なことに「頑張れ」の声を聞くと時速があがるんです。私はこれから後輩の「身障者」に「頑張れ」をいう活動と「頑張れる環境作り」をやって行きたいと思います。

永井明さんのサイト ⇒  TE-DEマラソン 


●2008/10/24
秋の青森を回遊

 ある日、突然メールが舞い込みました。20年前に海外旅行で一緒だった関西のTさんからです。彼もボク以上に海外自転車旅の経験が豊富で「サイクリングルートを検索していたら見つかった」とボクのサイトを見てメールをくれたのです。これもホームページが取り持つ予期せぬ出合いでしょう。
 というわけで、彼との数回のメールのやり取りの末、20年ぶりの再会を青森でやろうということになり、八戸から十和田湖、八甲田山、奥入瀬、津軽半島と青森県を回遊することにしたのです。
 幸い帯状の高気圧と、素晴らしい紅葉に恵まれ、友人のSさんも含め、ゆったりとしたサイクリングを楽しむことができました。
 Tさんとは岩木山神社で別れましたが、彼はさらにご自分の目標にしたがって十二湖の近くの深浦まで旅を続けたのです。ボクの6日間の走行距離も470キロとなりました。

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●2008/08/17
行って来ました北欧自転車旅

 恒例の海外サイクリング。今年は北ドイツのハンブルグからスタートして、陸路デンマークに入り、スエーデン、そしてノルウエイへと走りました。
 実質4週間の旅は、自転車と列車、そしてバスをうまく組み合わせて、最終目的地ベルゲンまで到着できましたが、自転車だけで、延べ走行距離は2000キロ近くとなり、タイヤも身体も消耗しました。
 でも、夏の太陽に輝く北欧の風景のスケールの大きさに圧倒され、去りゆく短い夏を楽しむ人々の暮らしぶりも、しっかりと見ることができ、向こうの「ほんとうの豊かさ」の一端にふれることができました。
 この旅の様子を、これから行ってみたいと思う人にも参考になるようにまとめました。少々長いです。
 ルートの選定など、現地で暮らしている日本人の方々からの情報提供や、この地をサイクリングされた諸先輩の轍も参考にさせていただきました。

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●2008/05/30
多摩川サイクリングコース

 「日本一のサイクリング道路を走る」という新聞記事(『朝日』夕刊、5月27日付)を見て、思わず笑ってしまった。読者アンケートの1位に多摩川サイクリングコースがランキングされていたからだ。回答総数の22%にあたる4008人が選んだ結果だ。記事には「年齢を問わず楽しめる『多摩川』が好きなサイクリングロードのトップに輝いた」とある。2位は、しまなみ海道(3819人)、3位、ぐるっとびわ湖サイクルライン(3189人)など10位まで並んでいる。
 ボクが笑ってしまったわけは、日常的に走っている「多摩川」がトップとはいかにも日本的で、サイクリング道路のありようもさることながら、それらを利用したサイクリングのしかたも日本的だと、瞬間、思ったからだ。
 「多摩川」がトップに挙げられたわけは、2位の「しまなみ」や3位の「びわこ」とは事情が異なるように思う。「多摩川」は東京都内と川崎も含む多摩地域という人口過密地域を抱えており、そこに暮らす愛好者が日常的に利用しているサイクリングコースだ。「しまなみ」のように全国から「多摩川」を目指してやってくるようなサイクリング道路ではない。練習、通勤、ポタリングなどの目的で、クルマや信号に煩わされることなく、比較的いい条件で走れるのは近場でここしかないからだと思う。この身近な存在こそがトップになった理由だ。
 しかし最近は、相当のオーバーユースで、首都圏では、6位の荒川サイクリングロード(1685人)や、ランキングはしていないが入間川サイクリング道路などのほうが走りやすいと思うが、それはすこし離れているせいだろう。
 日常的に「多摩川」を走っていると感じるのだが、さすがに反則の右側通行しているものは皆無に近いものの、たまに「どけろ!」などとわめきながら我がもの顔で迫ってくる輩もいるので、とても危険だ。
 行政管理者がいうように、「多摩川」は歩行者優先の「歩行者自転車道」で、事故防止に気を使っているが、それでも事故は起きている。センターラインまで設けている「多摩川かぜのみち」部分は愛好者が「高速道路」などというように、川崎など下流側の狭い道幅でのストレスを「かぜのみち」で解消しているのではないかとも思う。
 つまり、愛好者が望んでいる身近で安全なサイクリング道路は、歩行者やランナー、時には障害者も利用するところなのだ。これが「日本一」の現実だから笑うのは不謹慎で、ほんとうに安全なサイクリング道路とは何か、日本でそれが可能なのかといった議論につなげてゆく必要がありそうだ。

●2008/05/10
伊那から南木曽へ

 5月連休は友人たちと、伊那から南木曽へ行ってきた。
 伊那山地は、南アルプスの西側に平行して南北に延びる標高1,600〜1,800mの山域である。 ルート沿いの山は2000メートルまでの低山が連なっており、標高差100メートルを越える登り坂だけでも11個所、最高高度差は800メートルを越え、登りの累計だけでも8000メートルを軽く越えてしまう。そこを茅野から伊那山地を辿り、飯田経由で中津川まで走ろうという、とんでもないツアーなのだ。4日間の平均登坂高度は連日2000メートルを越えた。新緑と遠望の南アルプスや中央アルプスの残雪を満喫するとともに、日本は山国であることを実感した。
 自転車で連日の山越え。人はなぜそんなアホなことをと云うかも知れないが、すごいことをやり遂げたという充実感がある。そして昔の人達の旅の苦労も少しはわかったように思う。後半は何組ものバイクの人達と会ったが、そのなかの一組はなぜか「バイクですみません」と云っていた。

⇒レポート「伊那から南木曽へ」 


●2008/03/14
信号のない横断歩道(その2)

 多摩川サイクリングロードを走っていたら、並行している一般道で凄い光景を目撃した。自転車に乗った男性が信号のない横断歩道の真ん中あたりを過ぎて反対側に向かっていたところ、警笛を鳴らしながらクルマが猛スピードで突っ込んできた。すんでのところで事故になるところだった。クルマのドライバーは若い男性でケイタイ電話を掛けながら運転している様子がハッキリと見えた。
 ここからは想像だが、ケイタイ通話に気を取られ、気がついたら目の前に自転車がいたので、あわてて警笛を鳴らして「警告」したのではないか。悪いのはケイタイ使用のながら運転であり、そのために自転車の発見が遅れたのだった。そして止まりきれないと判断したのか、警笛で追い払ったのだろう。
 自転車の男性側にしてみれば、信号のない横断歩道を渡りきろうとしていたところ、いきなり警笛を鳴らしながら突っ込んできたクルマに、さぞ驚いたことだろう。自転車にしてみれば、ゆっくり横断している途中で警笛をならされたからといって、急にスピードをあげて避けられるものではない。この場合、自転車に警笛はもちろん乱用で違反だ。警笛を鳴らさず止まるのが本来のルールのはずだ。
 これなどは、典型的な「クルマ優先」ではないか。信号のない横断歩道でクルマがなかなか止まらないことは前にも触れたが、この例のように歩行者や自転車を虫けらのように追い散らす風潮がますます広がるように思えてならない。最近のクルマにはブレーキが付いていないようだ。

●2008/01/28
ハンドサイクル 

 車椅子に手こぎの推進装置をつけて走る「ハンドサイクル」という自転車がある。時速10キロほどのスピードで長い距離を走ることができるので、障害者に大きな夢と自由を与える乗り物だ。
 このハンドサイクルに乗って、東京から福岡まで10日間で「マラソンのように走り抜きたい」という永井明さん(32)の講演会(1月27日・吉祥寺)に出かけた。
 彼は障害があり長い距離を歩くことができない。そこで最近知ったハンドサイクルで活動を広げたり、障害者が安心して走れる道路環境の改善を訴えたりしたいのだという。そのために東京から故郷の福岡まで完走したいのだと熱く語った。
 確かにハンドサイクルは車椅子生活の夢を大きく広げる自転車だ。しかし、この自転車の全体の重さは30キロと重く、腕の力だけで推進装置を回すにはたいへんな力が必要で、長距離は無理なように思う。また上り坂は特にきつく、ある程度の上りでは前輪が空転してしまう。だから、なるべく起伏の緩やかなルートを走らなければならない。
 しかし、永井さんの計画は東京から福岡まで連日120キロ以上走り、10日間で完走したいというのだ。ボクは、毎日100キロ以上の距離を連続して走るのは普通の自転車ツアーでも厳しいのに、どうして無理な計画を立てるのと疑問をぶつけた。彼の答えは、同じ質問を多くの人から受けているが、限られた休暇のなかで組んだギリギリの計画なのだという。
 彼の言葉にボクは反論などできない。彼は若いうえに、伴走してくれる仲間もいるから、もしかしたらなんとかなるかもしれない。
 ハンドサイクルは普通の自転車のように身軽でもなく、時としては縁石と接触して転倒することもある。交通事故の危険性もより高い、それを承知で東京から福岡までの1200キロを走り抜きたいという彼の決意と行動力に拍手を送りたい。スタートは10月10日、日本橋からだ。

永井明さんのサイト  「TE-DEマラソン」 

●2008/01/18
海外Cycling塾 

 昨年は海外自転車旅行をテーマに話をして欲しいと依頼され、大小とりまぜて数回講演する機会があった。そんな折りに聴衆から「海外自転車旅行はあこがれ」、「やってみたい」との声が寄せられ、昨年末から、府中を中心とする多摩川エリアをその舞台にして取り組むことにしたのだ。

 海外個人旅行と呼ばれる旅のスタイルが年々盛んになりつつあるが、これを自転車で行うには体力や自転車の持ち出しなど、少々ハードルが高く、誰でも思いついてすぐに出来るというものではない。
 スポーツ自転車の愛好家ならわかると思うが、例えば10日間という限られた海外ツアーで、ほぼ連日自転車を走らせるのは結構きつく、それなりの基礎体力も要求される。
 というわけで、海外自転車ツアーを目指して、そのノウハウを伝え、あわせてふさわしい体力を作りあげるというのが目的である。

 もちろんママチャリ程度の経験しかない普通の人が本格的にスポーツ自転車を始めるわけだから、マイナーな旅行用自転車の入手という選択をしてからスタートさせることになる。
 また時間的に余裕の出てきた中高年が対象だから、本格的に海外ツアーを楽しむには、そんなに長い時間があるわけがない。せいぜい60歳後半から70歳後半までだと思うから、個人差があるものの約10年間がその適期だろう。
 リタイア後に自転車を始め、8年間の試行錯誤や、思わぬケガをしたりなどといった経験を持つボクとしては、これから始める人が、こうした回り道をすることなく、なるべく短期間に海外自転車ツアーが楽しめるように、アドバイスができると思っている。名付けて「海外Cycling塾」。


●2007/12/31
今年も1万キロ 

 リタイア後に自転車を始めて8年が経過した。今年は2台目のランドナーを特注したり、「海外自転車旅行は面白い」をテーマに数回の講演をこなし、ごく普通に生活している人たちに、その面白さや楽しさを伝えたりもした。
 無我夢中だったボクの自転車生活にも、自分の走りや周りを顧みる余裕も出来てきた。そして古希も越えた。いわばボク自身の自転車生活の折り返し点のような節目の1年間だったように思う。

 また今年はイギリスに行ったのだが、先を走っているヨーロッパの自転車環境に追いつこうと、現地イギリスの市民運動が随分頑張っている様子も学ぶこともできたし、さらにサーバスインターナショナルという組織で草の根国際交流の体験をもさせてもらった。
 またその縁で、帰国後には10カ月かけて日本からインドに向けて旅するイタリア人サイクリストを東京案内するなど、自転車がらみの人間関係も大きく広がった年でもあった。

 今年1月18日付の『日経』(夕刊)記事は「2007年に入ってからの走行距離は早くも300`を超え、地球2周目に入ってもペースを落とすつもりはなさそうだ」と書いてくれたが、おかげで今年もなんとか1万キロを走ることができた。昨年末の地球1周4万キロから着実に距離を伸ばしている。来年も元気で走れる年であるよう祈りたい。

●2007/12/10
サイクリスト 

 "cyclist" (サイクリスト) とは自転車に乗る人一般を指す英語である。他に英語の同義語として "bicycle rider" や"pedaler"もある。
 英和辞書では "cyclist" をサイクリストまたは自転車乗りと訳されているが、どちらも実際的でない。なぜなら日本人は日常的にこのような翻訳言葉を使わないからだ。

 日本では通常、「自転車」で片付けられてしまう。しかしこれは自転車そのものか、あるいは「自転車の乗り手」なのか、またはその両方を含む言葉なのか区別がつかない。クルマにたいする自転車、歩行者にたいする自転車という概念でしかない。いわゆる交通手段の意味だ。

 このように自転車という日本語は実に曖昧な言葉ではないか。「これこれ、そこの自転車」などと警官に止められるとむっとくる人も多いと思う。人格がある人間が乗っているのに、まるで「物」呼ばわりと感じるからだ。
 「歩行者」は歩いている人という意味の正しい言葉が当てられているが、同じように自転車者とすると語呂が悪いし、自転者なら、なんとなく自転車操業を思い出して可笑しい。新聞の投書で「自転車人間」という言葉に出会ったが、これも人間の足の代わりに車輪が生えているような気がする。ある雑誌名に「自転車人」といういうのもあるが、これは自転車を趣味とする人たちのことを指すようだ。

 しかしこの世界のことを自ら「チャリダー」と呼ぶ人たちもいる。これは「チャリンコ」という俗語から派生したように思うが、この語感から来る軽々しい印象は好きではないし、自分のことをチャリダーなどとは呼びたくない。チャリンコには子どものスリという意味もあるからなおさらだ。

 また自らをペダリアンと呼ぶ自転車の冒険家のグループも存在する。彼らの生き方はボクとも共通するところもあり、尊敬もするが、やはり誰でも出来るという世界ではない。「自転車野郎」と呼んでくれる友人もいる。親しみの念も込めて呼んでくれるのだろうが、これを自称に用いればキザに聞こえる。

 そんなわけで、ボクは自分のことを「サイクリスト」と直訳式に呼ぶことにしている。ある時、「サイクリスト」と印刷したボクの名刺を差し出したら、受け取った女性は、きょとんとした表情をしていたのが印象に残っている。このように英語をそのままカタカナに置き換えた肩書きなど、「これなんですか」というのが関の山ということなのだろう。

 それはさておき、本来的な意味でのサイクリストとは何か。日本の現状を考えるとき、前カゴ付のいわゆる「ママチャリ」に乗って、平気で逆走したり、並走しているのを見ると、サイクリストとは呼べないなぁという気がしてならない。ボクが想像する、あるいは期待するサイクリストのイメージとは、交通ルールを守って、クルマからも安全な距離をおいて、かつ歩行者にも警戒心を与えず、自分の責任で、本来自転車が持っている性能を引き出しながら走ることのできる自転車の乗り手を指す言葉だと思っている。

 さらに発展させて、地図やコンパスを借りながらでもいいから、自分の進むべき方向を誤りなく決定できるナビゲーション能力を合わせ持つ人間であれば申し分ない。「ツーキニスト」なる造語まで作ってしまった自転車通勤者も含めて、クルマから自転車に乗り換えて、地球温暖化対策に個人のレベルで取り組む積極的な生き方をしている人間としての意味合いも込めたいものだ。

 そういう意味で、サイクリストという言葉が日本語になるように期待したいが、全国の自転車登録台数が8500万台を超え、日常的に自転車に乗る人々が増えているなかで、こうしたサイクリストと呼べる乗り手は果たしてどれほど存在しているだろうか。心許ない限りである。


●2007/11/10
古稀を迎えて 

 遂に70歳を迎えた。古稀だからと家族が祝ってくれた。古稀とは、「国破れて山河在り」の漢詩で有名な杜甫(712年-770年)の挫折した人生を詠った詩句『曲江詩』に「どうせ人生七十まで生きるのは稀なのだから、今のうちに楽しんでおきたい」と酒に溺れた彼の心境を詠ったなかの一節からと云われる。杜甫は、自分で詠んだこの詩句のとおり、旅の船上で59歳で病死したという。それでも当時としては長命だったはずだ。

 日本でも、ボクが生まれた頃の平均寿命は女性49.63歳男性46.92歳(1935年統計)と、現在では考えられないほど短かかったが、今では長寿は当たり前。6年後の2013年には女性85歳、男性78歳と予測されている。

 70歳を迎える前日には、ボクは高齢期を如何に生きるかという連続講座の講師役を務めて、高齢期にさしかかったボク自身のことを語った。「海外自転車旅行は面白い」という受け狙いの表題をつけたのだが、宣伝不足で聴衆は同年配を中心に100人程度。大きな会場だったからちょっと寒々しかった。それでも熱心に聞いてくれた。特に「寝たきり」にならないよう、歩くことに不可欠な腸腰筋を鍛えよう、そのためには自転車が一番と呼びかけたくだりは、身を乗りだしていた人もいた。みんな元気で高齢期を乗り切りたいということだろう。

 まさに70歳は、古来希れではなく高齢期の入口に過ぎなくなってしまった昨今である。ボク自身は80歳までは気力、知力、体力を整えて自転車海外旅行の現役でありたいと講演を結んだのだが、仮に80歳まで生きたとして、それから先の人生はまだ見えない。70歳台に入ると、1年毎に目に見えて衰えるものだという話をよく聞くが、こればかりは個人差もあることなので、体験してみないことにはわからない。

 10月末に出来上がった、軽くて新しい自転車でもう1000キロを走った。この調子だと今年も年間1万キロ目標を達成できそうだ。


●2007/10/26
2台目ランドナー

 昨年春の 鶴川街道での事故遭遇以来、2台目のランドナーを持つことを本気で考え始める。理由は、現在1台しか保有していないもとでは、万一の事故やメンテナンスの際の代替えが必要で、実際、あの事故ではS氏のスポルティフをお借りできたので、修理完了までの約2カ月間、代替えのスポルティフで走れた。そのため体力低下などを免れた。もっとも人間様の場合は「代替え」が効かないので事故には今後とも十分気を付けるつもりだ。

 実は昨年夏のアイルランド周遊というボク自身にとって大きなイベントを終え、その関連の展示会や講演会をこなし、ようやく落ち着いた昨年末に、2台目のランドナーをオーダーしていたのだった。

 どのような2台目ランドナーとするか。1台目のランドナーで様々に体験したことを踏まえて次のように考えた。
 2台のランドナーを持つことで、修理や点検の際、常に代替えがあり、安心できること。数泊程度のサイクリングに耐えられる構造や輪行仕様が必要だが、スポルティフではこの点はクリアできないこと。しかしなるべくスポルティフに近く軽量化を図りたいこと・・・というかなり欲張った設計思想である。

 このやっかいな注文のため既存のフレームでは間に合わず、フレーム工作が必要で、そのため今年の春はおろか、夏になっても出来上がらず、秋口になってようやくフレームが出来上がり、塗装に回された。

 フレームのカラーは赤色とした。実はオーダー先の神金自転車商会の森田さんの愛子夫人が「舘さんなら赤だね」と即座に云ってのけてくれたので、ついその気になった。まもなく70歳の大台を迎えるというのに、赤い自転車に乗ってどうする気だと、もう一人の自分の声が聞こえたが、1台目が渋い銀色だったので、思い切って楽しい赤という訳だ。この派手な赤色は実際のサイクリングのシーンでどのような効果や反応をしめすか、楽しみでもある。

 10月初め、赤いフレームに細身のミシュランのタイヤとBBセット、ギア回りが組み付けられた状態でシャキッとした姿を現し始めた。そして10月下旬の某日、「出来上がりました」という連絡をもらい受取りに行った。オーダーから、ちょうど10カ月が経過していた。グロスレッドと云われる少し深めの赤とバーテープとサドルの黒のコントラストが印象的で力強さを感じさせる。

続きと2台目ランドナーを見る 

 

●2007/10/13
『朝日』で取り上げられる

 このサイトが『朝日』で取り上げられた。
街でも「新聞、見たよ」と声をかけられたり、わざわざメールを頂いたりした。どうもありがとうございます。
 新聞に出ることは、特に自転車に関心のない人の目にもとまるわけで、これがきっかけで、自転車でも始めてみようかという人が出てくるのが嬉しい。やはり新聞に出ると、とたんにアクセスが増える。

紙面イメージで見る htmファイルで見る 

 

●2007/10/09
欠陥、折りたたみ自転車
 ・・・アクセス1万突破を記念して・・・

 最近、自転車に乗るのが「エコかっこいい」そうだ。たしかに自転車乗りが増えている。目を奪われるような「新種」も登場して、いろいろなタイプの自転車が増えるのはいいことだと思う。
 体育の日を前に、そうしたウキウキするような自転車の普及に歯止めをかける「折りたたみ式自転車の不具合」が問題とされた。国民生活センターが調べた結果では、折りたたみ式自転車のハンドルやペダルの留め具が外れたり、折れたりして5年間に54件の「事故」が起き、けが人も多く出ているという。

 そう云えば、ボクにも苦い思い出がある。リタイア後に自転車を始めようと、最初に手に入れたのが、実はこの折りたたみ式自転車だった。今にして思えば、実に愚かな選択であったのだが、当時は無知識・未経験で、なんとなく「軽くて、かさばらず、電車にも乗せることができて、あちこちサイクリングできればいいな」と思っていて、それを口にした結果、某DIY有名店の店員に勧められて買ってしまった。当時10万円以上もした「高級品」である。
 そのフォールディング・バイク・・・折りたたみ式自転車のことを洒落てこういう・・・に乗ってみて、確かにボクのなんとなくのイメージに合致しており、当時はとても嬉しかったことを覚えている。
 ところがである。あるとき、街中の「自転車通行可」の歩道を走っていて、歩行者を避けようとしたところ、前からも自転車が来たので、ブレーキをかけたら、そのまま前方宙返り。もちろん混雑状態だった歩道なので、スピードはほとんど出ておらず、肝を冷やしたが、その時はけがもなく済んだ。

 しかし、まもなく、とんでもない出来事を体験することになる。約1カ月後、多摩川サイクリングロードを走っているときのことだった。前方に野球練習帰りの小学生の集団が横並び状態で道路をふさぎながら歩いている。ボクはその合間をうかがって彼らを抜くことに注意を向けていたのだった。そして、抜こうとしたその瞬間、前方から同じようにして向かってきた自転車(レーサー)を発見。衝突を避けようと急ブレーキをかけたところ、ボクの体は、またもや前方宙返り。とっさに両手が出て、地面をつき頭と上体を支えたまではよかったが、両手首に強い衝撃と鈍い音、なんともいえない嫌な感じがした。両手は痺れ、自分の手ではないような感覚だ。急遽、整形外科で診てもらったが、両手首骨折とは珍しいと云われてしまった。全治6カ月の重症である。ギブスが取れるまで食事、トイレなど、さんざんな生活だった。

 この事故は、ハッキリ云って、自転車の構造上の欠陥に起因しているものだと思う。なるほど折りたたみ式の自転車は、やさしく静かに乗らなければならないものだが、歩行者や自転車が入り乱れての現実の道路状況では、そんなことを云っていられない瞬間が常にある。
 本来、三角形の頂点やその下あたりに重心があるべき自転車が理想だと思うが、折りたたみ式自転車はこの基本構造の設計思想に無理があり、重心がどうしても前に寄ってしまい、このような事故につながる。国民生活センターが折りたたみ式自転車の欠陥を指摘するなら、こうした基本構造にも目を向けてもらいたいものだ。なぜなら、ボクが大けがをしたフォールディング・バイクは今も堂々と売られているからだ。
 ところで国民生活センターのサイトには「折りたたみ自転車の安全性・・・日常的な使われ方での安全性」というページがあり、折りたたみ式自転車のブレーキ性能に関して「ブレーキをかけ停止するまでの距離を測定したところ、前ブレーキを強く握ると急激に制動がかかり、同時に後輪が高く浮き上がって自転車が前方に倒れてしまう危険なものがあった(写真2参照)」という記述がある。この記述に関してはその通りなのだが、「危険なもの」と表現しながら、これが構造的欠陥から来るものという認識がないのは残念である。後輪が浮き上がり、今にも前方宙返りしそうな写真も掲載されているのにである。これはボクが二度と見たくない写真でもあるのだが、単に、使用法の注意だけでは、メーカー側に遠慮していると受け取られてしまうのはボクだけだろうか。

 100年以上にわたる自転車の歴史は、常に安全な乗り物を目指してきた側面が強い。18世紀後半に作られた名車の誉れ高い「オーデナリー」にボクもスコットランドで乗る機会があったが、実はこれはとても危険な乗り物であった。折りたたみ自転車の多くは、自転車は安全な乗り物であるという今日の「常識」を覆す、先祖帰りをしているようにも見受けられる。
 ボクは、この事故からボクなりの教訓を得て、フォールディング・バイクをやめ、構造的に安全な自転車(ボクの場合はランドナーを特注・・・ランドナーのことはこのページの「ランドナーについて」に詳しく書いている)に乗り換えたのはいうまでもない。
 このホームページを立ち上げている理由は、これから始めようとする自転車の新人たちに、こうした失敗を繰り返してもらいたくないということもある。

 昨年の10月にホームページを立ちあげ、ほぼ1年後にアクセスが1万を超えました。地味なホームページですが、今後ともよろしくお願いします。


 

●2007/08/24
オランダの道路

 7月から8月にかけてイギリス、ベルギー、オランダを走ってきた。
詳細は、海外サイクリングのページに掲載しているので、ご覧いただきたい。今回の旅では、イギリスでは市民運動によってサイクリングネットワークを全英に張り巡らせている実態をつぶさに見てきたが、これも「イギリスの屋根を越えるC2Cルートを走る」に譲りたい。
 ここでは、オランダで体験したことを、少し触れてみよう。前回の「受難の日本一周」で法令で義務つけられている「反射板」は役にたたないと書いたが、オランダでは「反射板」でなく「尾灯」が義務つけられていた。実際に夜間走行することはなかったが、専用道には「前照灯」とともに「尾灯」の点灯を呼びかける標識を見かけたし、オランダ人の自転車には必ず「尾灯」がつけられていた。
 さらにもっと大切なことがある。そもそもオランダでは自転車とクルマとは別の道路を走るように作られている・・・というより、オランダでは自転車や、歩行者を含めた「交通弱者」にたいする社会的配慮には驚くべきものがあった。オランダ社会は、クルマとそれ以外の交通手段の2本立てで道路が作られているのだ。クルマの道路には自転車も歩行者も入れないかわりに、専用の安全な道路が用意されているのだ。 日本のクルマ優先社会にどっぷり浸かっている身には、しばらくの間、このすばらしい「デュアル交通システム」を理解することができなかった。

 

●2007/06/27
受難の日本一周

 いつかこんな事故が起きるのではないかと思いながら走っているのだが、遂に心配していたことが起きてしまった。自転車で日本一周をほぼなし終えて、自宅まであと40キロという、まさにゴール寸前の長野県下のトンネルのなかで、80歳のサイクリストが後ろから迫ってきたダンプカーにはねられ、胸部打撲で不幸にして亡くなったというのだ(2007/6/26-27報道)。悲運のサイクリストは男性で東京から長野県に移り住み一人暮らしだったという。
日本一周でなくとも、ごく普通のサイクリングの場合でも、クルマ中心の道路の左側を肩身の狭い思いをして走るしかないのが日本の悲しい現実だ。
ボク自身の経験からしても片側1車線といった狭い登り坂で後ろから迫ってくる大型トラックは恐怖だし、ましてや歩道のない狭いトンネル内通過は特に気を使う。
今回の事故ではダンプカー側の不注意は免れないのはもちろんだが、自転車側もクルマから認識されやすいように、ひたすら「防衛策」をとるしかない。
そこで、まずリフレクターだが、道交法で規定している反射式のものはほとんど実用的でない。まったくといって目立たないのだ。そこでなるべく目立つ大きめの点滅式尾灯を点けて走るしかないのだが、これとて心許ない。
そこでボクの場合は、背中に大きく目立つ反射ベルトを貼り付けている。道路工事の誘導員らが着用しているあのベストと基本的に同じものだ。
ドイツでは、パンクなど高速道路上で行うタイヤ交換作業などの際に、こうした反射ベルト付ベスト着用がドライバーに義務づけされていると聞く。トンネル内では、サイクリストがこうした反射ベルトを着用して、後続のクルマの注意を喚起するのが有効だと思う。
一般道路を走る時は、なるべくドライバーから認識されやすいスタイルに心がけたいものである。日本一周の終わりに不幸にして亡くなったサイクリストの冥福を祈りたい。

 

●2007/05/09
連休中のこと

 5月連休は東北の北上川を走ってきました。
北上川のことについては「一泊以上の自転車旅行」のページに追加しましたのでご覧ください。
この旅で、自転車を移動手段として旅を楽しんでいる方にお会いしました。一人は青年で、ボクが一ノ関の飲み屋でたまたま隣同士に座ったことから、「もしかして」と思い声をおかけしたことからサイクリストだと分かりました。宇都宮から下北までの途中ということでした。
もう一人の方は、北上川を河口まで走り終えて、一ノ関に向かうローカル線の車内でお会いした定年まじかの方です。宮城の方でランドナーで山形の峠を目指しているのだというお話しで、いろいろと自転車の話題で盛り上がりました。
自転車の旅をしている方にお会いしたのは、このお二人だけで、あとはすべてマイカーでの旅の方たちでした。岩手の地元の人たちもほとんどマイカーです。
ある民宿で、仙台から来たというマイカーの方から声がかかり、しばらく自転車の旅のことをお話しすることになってしまいました。
その方は「自転車が置いてあったので、若い方かと思っていたら、あなただったのですか。凄いことをしているのですね、驚きました。」と言っておられました。
旅をしていると、このような出会いはよくあることですが、特に感じたのは限りなく100%に近い人たちがクルマで旅をしているという現実です。それに比べて、自転車での旅というのは限りなくゼロに近い。
イギリスでは、国民の運動でサイクリング道路が徐々に整備され、それにつれてクルマの旅から自転車の旅もいいかなと思い試してみる人も増えているといいます。今年は、そのイギリスを走って、実際のところを見てみようと思っています。
仙台からきたというマイカーの方は最後にこういいました。「あなたのお話を伺っていると、これからクルマで旅を続けるのが恥ずかしいです…」と。

 

●2007/03/26
ランドナーについて

 海外駐在で定年を迎えるので帰国後の自転車生活のためにランドナーのことを詳しく知りたいというメールを頂きました。
以下は、ランドナーについての詳しい返信メールです。

 Tさん。リタイアおめでとうございます。
それでは、ご質問にお答えします。
 まず、前提としてボクのような自転車生活スタイルに関心がおありと見受けました。
つまり、自転車は目的ではなく手段であって、自転車で日本国内や海外にでかけるという生活スタイルのことです。
これがハッキリしませんと分解して輪行が可能で、かつ故障が少なく、長持ちして、しかも旅行用品の積載が可能で、ある程度長い距離を軽く走れる自転車…つまりランドナーなど必要がないということです。

類似の自転車には、いま流行のマウンテンバイクがあり、旅行したり、すこしハードな乗り方をする人は、実はほとんどこのマウンテンバイク…MTBに乗っています。
特に、世界中を冒険旅行する人間はほとんどこのMTBの特注品を使っていると思われます。

では、MTBとランドナーの違いはどこかというと…
MTBはタイヤやリムなど経年による部品交換の場合、ユニバーサルサイズのために世界中どこでも入手可能という点が冒険家にとって最も重要なポイントです。
 ランドナーはもともとフランスで生まれた日帰りを含む長距離用で、ランドナーはフランス語の「遠足」という意味から来ています。
このランドナーは本国のフランスでは、近年ほとんど使われず、日本でも少数の愛好家によって細々と利用されているのが現状で、パナソニックなどに工場生産品があるようですが、実は大部分は、個人愛好家からのオーダーによって、街のフレームビルダーと呼ばれている自転車工房でフレームから組みあげる自転車で、1カ月以上時間を掛けて作られるという存在となっています。

自転車のフレームはアルミ、チタンなどの軽量素材が新しいのですが、ランドナーの場合は、クロモリという鋼製で、粘りと耐久性があり、一度作れば20年以上、使える経済性抜群の自転車です。鋼製は重いのではというと、チューブの肉厚を薄く作る特殊技術で作られ、ボクの場合、リアキャリアを付けた状態で12kgです。これで、旅行用品を含め、海外に出かける場合に総重量を19kgに抑えて、エコノミーの場合、無料でバゲージとして預けることができます。

ボクのランドナーはアイルランド2000キロの旅でもパンクは一度もありませんでした。(帰国後もこの3月末までに5000キロ以上走っていますが、パンクはまだありません。タイヤはそろそろ交換しなければなりませんが…)
もちろんこのような長旅の場合は、出発前に念入りの点検(増締め、回転部のグリスアップ、タイア交換など)を怠らないようにしています。旅行中に問題だったのは、振り分けバッグを支えているリアキャリアが連日の振動のためネジがゆるみ、飛んでしまったことで、田舎の自転車屋で修理できました。
少なくとも1カ月程度の旅行なら、ランドナーで十分です。タイヤがバーストしてしまうということなど、そうあるものではありません。ですから予備チューブは持参しますが予備タイヤは持ちません。

そうではなく砂漠も含むハードな旅を半年以上にわたってやりたいというのなら、特注MTBという選択でしょうか。MTBはどちらか言えば重量は重く、タイヤも太くできています。

MTBは泥除けがついていないのがスタンダードですが、ランドナーは泥除けが標準装備です。これは雨はもちろん、雨上がりや水溜まりに重宝します。
MTBとの違いで最大の特徴は、ブレーキやギアまわりなど自分好みの部品を選択して組み上げてもらえる点ですが、残念ながら、生産ストップの部品が次第に多くなってきている状況です。タイヤもダートもこなせる太めからロードレーザーに近い細目まで自由にチョイスできます。ボクの場合は5分もあれば分解して袋に収納して新幹線に乗ることができるよう、分解・組立がしやすいように作ってもらっています。ボクの友人のランドナーはこの作業に数十分から1時間掛けています。その間ボクはビールを飲みながら待っているのです。要はオーナーが何に重きをおいているかでランドナーの作り方も違ってくるということです。

実はボクは今、2台目のランドナーをオーダーしている最中です。ある事情で2カ月以上待たされているのですが、年間10000キロを走っているために、事故や故障、またメンテナンスの際の予備の自転車として使おうと思っているのです。またフレームカラーを変えたり、部品を変えたりしてどちらか言えば、さらに軽い走りができるようにオーダーしています。価格はいまのところ30万円以上は覚悟しておいてほしいと言われてます。

日本で、ランドナーを作ってくれる自転車店は数えるほどしかありませんが、ボクは東京に住んでいますので、調布の神金自転車商会ならリンクも張っています(「サイクリングの実際」のページの末尾にあります)。
そのほか、全国でランドナーのオーダーが可能なところは次のサイトで紹介されています。ランドナーshopWeb版

以上、いろいろと書きましたが、リタイア後の楽しい自転車生活を目指しておられるようで、参考になさってください。


●07/03/01
警察庁腰あげる?

 自転車の歩道走行全面解禁さわぎでサイクリストや自転車関係団体、それに歩道での歩行者の安全を憂う人たちから「パブコメ」などのかたちで総スカンを食らった警察庁。
 自転車の歩道走行全面解禁という当初方針を転換して、歩道での自転車走行の実態や、車道を自転車が走った場合の危険度について実態調査をするという。
 なに? そんな基本調査もしないで「自転車の歩道走行解禁」を打ち上げたのかとあきれるが、それはさておき、自転車と歩行者が、そして自転車とクルマがうまく住み分けて走れるようにするための基本調査なら歓迎だ。しかし、ちょっと待ってほしい。問題の立て方が間違っていないか。
 この際、自転車を交通体系のなかでどう位置付けるべきかの基本が先になされるべきではないのか。オランダなどの先進国のようにである。つまり自転車が陸上交通のなかでどのような役割を現在担っているのか、これを調査して、それにふさわしい道路空間を自転車のために作るという本道を歩むべきだろう。ボクのパブコメでも取り上げたが、30年前の国会の付帯決議のような「総合対策」が必要ではないのか。
 それをしないで、今回のようないわば緊急避難的な対策をやると問題がでてくる。
 例えば「自転車通行可」の歩道は約7万`あるというが、このうちかなりの歩道には歩行者と自転車の区分線が引かれていないか、または引くことが出来ない狭い歩道だ。だから事故が起きている。
 そんな場合、現実問題として歩道拡幅は簡単にはできないだろう。この場合警察庁はこうした歩行者にとって危険な歩道の「自転車通行可」を解除するというが、ことが簡単に進むのか。
 例えば「甲州街道」はそのような歩道がかなり多いが、「自転車通行可」を解除した場合、車道に自転車レーンを設置するスペースを確保できないと思うが、どうするのかといった問題が次々と想定されるのだ。だから小手先の対策ではなく、今度こそ警察庁の枠を越えて抜本的な対策を政府として着手すべきだろう。自転車問題の解決は警察庁だけでできることではないと思う。


●07/01/18
拝啓、警察庁殿

---次の一文は、警察庁が道路交通法を改正して自転車の歩道通行を全面解禁しようとしていることへのパブリックコメントです。--- 

 交通信号は守らなきゃならない。子どもでも知っているルールです。しかし、こと自転車に関する限り、この交通ルールは破壊されてしまいました。
悪法でしたね。30年前の道交法改正で自転車の指定歩道通行を認めたことです。
 「自転車の右側通行」。れっきとしたルール違反です。しかしこのことに気づいていない自転車がなんと多いのでしょう。メールを打ちながら片手運転する女性までいますよ。夜間の無灯火はあたり前だ。「街は明るいから」なんてね。先日も、暗くなってからのお巡りさんの「無灯火」を見かけたので「注意」しました。昼間はお巡りさんも「並進」で巡回していますよ。

 自転車のマナー破壊、ここに極わまるといった状態です。この30年間、警察は何をしてきたのですか。歩道走行のルールを守れるように「指導」すべきだったのに、まさに放任状態でしたね。自転車のマナー破壊の原因と責任は警察にあると思っています。法改正してルールを変えたのですから、正しい歩道の走り方が定着するまで指導すべきだったのです。比較的クルマの多い一般道路での自転車の並進や「ながら運転」は見かけないでしょう? 当然ですよね。クルマとの事故が怖いから左端通行のルールを守っているのです。歩道走行では自転車側のこの心理的タガが、はずれてしまうのです。

 「子ども、高齢者は歩道を走ることができる」「危険な車道は自転車通行を禁止する」…そのうえ、再び道交法改正ですか。現在の「指定歩道」でも結構狭いところがあり、これ以上「指定歩道」を増やせないのでしょう? 歩行者だけで精一杯の歩道に自転車を無制限に走らせるというのは、なんという無謀。歩道での事故増加は必至です。仮に自転車の歩道全面通行可となった場合、子ども・高齢者以外の自転車の通行禁止を警官が「指導」できますか。警官にそんな閑はないでしょう。この30年間の「指導実績」からすればそうなりますね。
やるべきは車道での安全な自転車走行が維持されるよう、一般ドラーバーの意識を向上させることではないのですか。飲酒運転撲滅運動のようにです。それをしないで自転車を歩道にあげてしまうという愚かな法改正はやめてください。

 ルールなき歩道の現状は先進国としても恥ずかしいし、一刻も放置できないでしょう。警察庁は危険行為をさらに増長するような法改正に踏みきるべきではないでしょう。それより「自転車事故が多発する状況にあることにかんがみ、自転車の安全な利用を確保するため、関係機関による総合的な対策を積極的に推進すること」という30年前の改正時の付帯決議はどうしたのですか。国民からはサボっているようにしか見えませんが…。



●06/12/02
「自転車どこ走る?」
 A紙にちょっとした情報「自転車どこ走る?」という記事がでた。
なんでも、警察庁が識者らを集めた「懇談会」に最近の「自転車が加害者」となるケースについての解決策を求めたという。
 警察庁によれば「自転車が歩行者をはねた事故」は、この10年間で4.6倍といい、もはや放置できないからという。
 そんなことは「自転車の歩道通行可」を法改正(1978年)した当初から懸念されていたことであって、この原則をなんら変えることなく、ルール作りでどんな妙案が提案できるかというのだ。
 何度もいうが、無防備な歩行者と、凶器ともなる自転車を同じ歩道という空間で通行・走行させていること自体に根本問題がある。
 無灯火、並進、ケイタイなどの「ながら運転」、二人乗り、サインなし右左折など、信じられないような悪しき自転車の乗り方が蔓延してしまっている。やたらとベルを鳴らして歩行者を蹴散らすような走り方についても、つい最近、取り上げたばかりだった。

 これらはすべて「自転車の歩道通行可」を認めたことによって、はびこった現象のように思う。なぜなら、車道走行ならこんな危険行為は「おっかなくて」出来ないからだ。いわば、「自転車の歩道通行可」という暫定的な処置…これがもう28年間も続いている…によって自転車のマナー破壊を作りだしたのだ。これははっきり言って政府の責任。
 問題の解決は、自転車と歩行者を分ける専用レーン、さらにクルマと自転車を分ける専用レーンを緊急整備することなのだが、交通取締りの警察庁ではこれが出来ない。何故なら、それは道路建設・管理を扱う国土交通省の「お仕事」だからだ。
 しかし、これが遅々として進まないことは、すでに当webでも指摘している通りだ。高速道路はもういいが、こうした自転車と歩行者のレーンの仕分けや、ライフラインの地中化といった「お仕事」は一杯あるはずだ。橋を造る談合に狂奔するより、こちらのほうが地道な「お仕事」になると思うが、なぜそうならないのか、不思議な「経済大国日本」。そして、卒業できない「後進国日本」。


●06/11/04
タウン紙掲載と講演会
 当サイトのことが、タウン紙の『アサヒタウンズ』で取り上げられました(11/02付)。同紙の多摩南地域版だったが、早速、閲覧カウンタが急アップしたり、「見ました」というメールを頂いたり、その反響は凄い。掲載はボクの知人が、そんな面白いこと…つまりリタイア後の自転車生活のこと…をしているのなら、もっと宣伝したらと、同紙に売り込んでくれたことがきっかけ。
同紙記者から取材を受け、掲載までとんとん拍子となったものです。
アサヒタウンズさんありがとう。同記事を読んで頂いた地域のみなさんありがとう。どんな記事だったかは、近く当サイトに自己紹介のつもりで掲載しましょう。

神奈川県相模原市にある麻布大学でボクのアイルランド自転車周遊をテーマに講演をさせて頂きました(11月3日)。演題は「恥ずかしくないか "美しく豊かな日本"。ーアイルランド自転車2000キロの旅で考えたー」というもので、アイルランド旅行中に偶然知り合った同大学の松田基夫教授から、是非うちの学生にと講演依頼を受けていたもので、同大学の学園祭のプログラムの一環としてやらせて頂きました。
若い学生のみなさんを中心に、アサヒタウンズの記事を片手にやってきた市民やボクの自転車仲間も来てくれ、自転車による旅の素晴らしさと、アイルランドの風土と文化、「アイルランドよ永遠に」と言われる国民性などについて熱く語らせていただきました。美しい風景の画像も200点ばかり投射して楽しんでいただきました。ご参加のみなさん、ありがとうございました。


●06/10/30
歩道の自転車
 またもやA紙の「声」欄に自転車に関する投書があった(10/28付)。
「危険を感じる歩道の自転車」と題する女性(43)の意見は、歩道を歩いていて、突然目の前で急停止した競技用自転車の50台男性から睨まれ「どこに目ぇつけてんだよ」とどなられたという。以前にも同じ体験があり、歩行者がいたらスピードを落として、ベルを鳴らすなりして注意喚起してほしいというものだ。

これはちょっとひどい。50面の男が歩行者に向かって捨て科白をするなどもってのほかだ。歩行者側には前方注意義務などないし、極端なことを言えば飲酒して歩いたとしても違反ではない。当たり前のことだ。だから注意が必要なのは自転車の側だ。自転車で歩道を通るときは徐行しなければならないし、歩行者の通行を妨げそうになるときは一時停止しなければならないのだ(歩行者通行妨害の禁止⇒道交法第63条の4第2項)。もし同違反を警官から指摘されたらタダではすまない。2万円以下の罰金又は科料だ(道交法第121条第1項第5号)。くだんの50男はおそらくそんなことも知らないのだろうか。そんな奴はサイクリストとは呼べない。

この女性は「ベルを鳴らすなりして注意喚起してほしい」とも言っているが、これには問題がある。歩道を走る自転車のなかには「そこのけ、そこのけ自転車が通る」とばかりにベルを鳴らし続けて、歩行者の間をすり抜けてゆくものも多い。多くは中学生にみられるが、歩行者の立場にたてば、これだけでも脅威に感じるはずだ。

自転車がどうしても歩道を走らなければならない場合は、ベルを鳴らすのを止めて、「自転車です」とか、「右側を抜きます」とか声かけしたほうがいい。狭い歩道を歩行者と自転車が譲り合って使うのだから、自転車側が配慮するのは法律以前のマナーだと思う。自転車で歩道を走るときは、歩行者から恐れられたり、嫌われるような走り方は慎もう。

ところで自転車のベルは義務付けられており(道路運送車両法による保安基準第45条…軽車両の構造及び装置/同第72条…警音器)、法律上とりはずすことは出来ないが、最近の歩行者とのトラブルの激増を考えると、むしろベルに頼るより、声かけを義務付ける規定に改正したほうがいいのではないかと思うようになった。ベルに頼って歩行者を蹴散らして走るのは、自転車の社会的地位を自らおとしめていると思うからだ。


●06/10/28
「車止男」信号のない横断歩道
 車止男。寅さんの名前じゃないが、最近のボクはこんな役割を演じて、多少なりとも社会の役に立っていると自負している。なんのこっちゃと言うなかれ、例の「信号のない横断歩道」のことである。
 なぜ、信号のない横断歩道が存在するのか。もちろん歩行者の横断のためのものである。最近、これを無視するかのように横断歩道の前で停止しないクルマが多い。渡ろうとする歩行者がいなければクルマ側には停止義務はない。しかしなにを勘違いしているのか、数人の歩行者が横断歩道を渡ろうとして待っているのにクルマは全く止まらない場合が実に多いのだ。前のクルマが止まらなかったので、自分のクルマだけが止まれば損とばかりに追随する繰り返しで、何分も待たされる。なかには一歩踏み出した歩行者を避けるように反対車線にはみ出して走り去るクルマまでいる。
 こんな時、ボクは自転車をわざと横断歩道にせり出してやる。もちろん手をあげて、すこしオーバーなサインをクルマに送るのだ。こうまでしないと最近のクルマは止まらない。そのとき止まらなかったらどうする?
 このやりかたで、いままでクルマが止まらなかったことはなかった。当たり前だ。そうしてようやく歩行者が渡り始めるのだ。というわけで車止男。
いつから、ドライバーの心に「クルマ優先」が住みついてしまったのか。
 もちろん、警察もこのゆゆしき問題に気がついているらしく、一度だけ、信号のない横断歩道の停止義務違反取締というものを見たことがある。もの影に隠れて停止しないクルマを止めさせて違反キップを切っていた。このときの違反者は中年女性だった。このドライバー、なにか社会に(この場合は歩行者に)たいし甘えがあるように感じたものだった。


●06/10/14
北朝鮮と中古自転車
 10月13日、北朝鮮の貨物船が中古自転車を満載して、日本の港から出航していった。
 日本政府の「核実験制裁措置」で北朝鮮の貨物船はこれから半年間、日本へ入港することができない。
 ボクが懇意にしていただいているショップのご主人の話によると、北朝鮮へ運ばれる中古自転車も北朝鮮側から「選ばれている」のだそうだ。なんでも日本の品質のわりあい良い中古自転車を集めて、本国に運んでいるらしい。
 中国などとは陸続きで、中古自転車などは日本から買わなくてもよさそうなものだが、話は逆で、日本製の中古自転車が丈夫で長持ちするというので、北朝鮮で整備したうえで中国方面に売られて行くという。
 街で放置されたり、廃棄されたり、盗難品が持ち主の元に帰ることのない日本の自転車が、海外で再利用されるのはよいことだと思う。「古物商」や「輸出業者」が1台300円程度で自治体などから仕入れ、1500円ほどで輸出されるというが、正確な輸出統計がないものの、東南アジア方面も含め年間10万台ほどだという。
 特に北朝鮮のような途上国では、中古自転車はまだまだ「がんばれる」と思うのに、その道を自ら閉ざしてしまう愚かさに、世界の目がそそがれている。


●06/10/09
アイルランド周遊ポスター展
 府中市内で10月の7〜8日の2日間、ボクの「自転車で周遊したアイルランド」ポスター展というものをやらせていただいた。テキストと若干の画像で構成しているこのサイトのアイルランドツアーの焼き直しなのだが、アイルランドの透明な自然などが「抜け」のいい写真に仕上がっていて、拡大して展示するのもいいと好評を頂いた。地域の人達やサイクリング仲間を中心に50人ほどの参加者があり、楽しい交流の場となった。ご参加いただいたみなさまには、この場で御礼申し上げます。
 使用した、キャプション付きの20数点の画像で構成している「ポスター」(横120cmx縦180cmのサイズ2枚で構成)は、しばらく保存しておくことにした。どこかで会場提供があれば、近場なら出張展示もできるので、よろしく。


●06/10/01
右側通行違反
 A紙に最近、中年女性からの自転車の安全講習を受けて、自動車並みのルールがあることに初めて気がついたとの投稿があった。
 職業は検針員とあったから、毎日、自転車で業務にあたられている女性らしい。
 その正直さには敬服するが、特に中高年女性の場合、どうしてこうもルール違反が多いのだろうと考えさせられる。もっとも多いのが右側走行だ。クルマだと「逆走」にあたるきわめて危険な行為なのに、このルール違反を平気で行っている女性は実に多い。これは「免許」を取得する際の、基本的な遵守事項の一つで、一般道路を走る場合の基本中の基本なのだが、どうして中高年女性に多いのか、たぶん彼女らは「免許」を持っていないからなのだろうと、勝手に思っている。
 自転車の「右側通行」は対向するクルマからの発見が遅れ、事故につながるし、自転車同士の衝突だってある。場合によっては死亡事故にもつながる極めて危険な行為だ。
 ボクが「左側を走ってください。ルールですよ」と注意すると、ほとんどの場合、ぶすっとしている。警察は、こんな中高年女性をも指導対象にしてほしい。

 




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