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五島、キリシタンの風景求めて



 10月20日。長崎に行く機会があり、自転車で五島の島々を訪ねた。長崎港から福江へはジェットフォイルで一時間半ほどで到着。
 ホテルにあらかじめ送っておいた自転車を組立てる。



 福江島の北側を半周するまえに、遣唐使の船に水を供給したという六角井戸の在処を通りかかったシスターに教えてもらう。このことで福江とカソリックの関係が今でも濃厚なことを感じる。
 福江川沿いにひっそりとたたずむ明人堂にも寄る。明人堂は遣唐使が福江に寄港した因縁で建てられた中国風の建物で、この島が昔は中国と関係が深かったことを表している。中日友好を願う安徽省黄山の文化人からの揮毫「源遠流長」が壁にはめ込まれていた。



 福江島にはツバキが自生していて、椿オイルも作られている。その道端の工場を見かける。トンネル入口にもツバキが描かれている。日曜なので釣りを楽しむ人も多い。釣り人の前を小型漁船が白波をたてて行く、絵になる光景だ。
 堂崎教会を見る。日本26聖人の一人の聖ヨハネ五島という人物が張付けにされている像も建てられている。キリスト弾圧で犠牲となった信者の一人をたたえているのだ。当時19歳だったと銘板にある。


  海は静か、波打ち際はどこも美しい。見晴らしのいい場所でピクニックをしている家族も…。
 水の浦教会は真っ白に輝いていた。堂内では地域の女性達の文化活動が行われていた。教会は公民館のような役目も果たしているのだろう。

 三井楽では、隣の久賀島の信者の弾圧に使われたという屋敷牢跡を訪ねたが見つからなかった。奥行3間、間口2間の6坪の空間に幼児から老人まで200人が詰め込まれ、死体と糞尿まみれのまさに生き地獄だったと記録されている。三井楽教会では、日曜日を利用した教会周りの剪定奉仕作業が信者とみられる人たちの手で行われていた。そばにはカソリックの先祖代々の墓もある。


 三井楽の港には近代捕鯨で使われた、捕獲鯨を引き揚げるロクロ跡が保存されており、解説と想像図も添えられていた。ロクロを回して鯨を引き揚げる作業が神楽を舞っているように見えることから「カグラサン」と呼ばれていた。
 寂しい最果ての海に面して、キリシタン墓が夕陽をあびている。古い墓に混じって最近の墓もあり、ここも信者たちの生活に欠くことのできない場所なのだろう。



 美しい海岸線をたどって荒川温泉へ。昔は捕鯨も盛んなだったところだ。荒川温泉の民宿「きはらし荘」は海辺に建っている温泉で、68度と高温のため薄めて入る。新鮮な魚と芋焼酎でアップダウンの多かった61キロの初日ランの疲れを癒す。

 10月21日。荒川温泉から福江へ南周り。複雑に入り組んだ入江での養殖も盛んでいろんなタイプの養殖施設が浮かんでいる。道路では小さな蟹がハサミをたてて威嚇している。緩い坂をたどって行くと井持浦教会が、静謐な雰囲気のなか、海から這い上がった山の中腹に建っている。教会裏にはルルドと呼ばれている人造の洞窟がある。ルルドとは、フランスのピレネーの麓の街の名なのだが、この街で起きた奇跡のひそみに倣い、各地の石で造られたので第二のルルドと記され、マリア像が洞窟の脇に立っていた。


 ルルドから急坂を登り、大瀬崎断崖を見下ろす展望台への登りに汗を流す。大瀬崎断崖は切り立った断崖が朝の太陽を反射させている。高さ100bの断崖は砂岩と泥岩が交互に重なり幾筋もの岩肌を見せ、断崖が緩やかに下った先が少し盛り上がり、その上に白い灯台が建っている。

 高さ230bの高みから豪快に下って、ルルドに引き返し、さらに緩いアップダウンを重ねて島を回って行く。道路状態も素晴らしく、随所に驚くような展望が開ける。入り江だったり、港と集落だったり、段々畑だったり、海岸部と切り立った岩の組み合わせだったり、あるいは浜辺に面した鳥居だったりして、見飽きることがない。玉之浦から富江に向かうかなりハードな長い登りをゆっくりとこなし、突き出た富江の半島を西から東へと横断する。


 富江の小学校の校庭で推定樹齢500年のアコウの大木を見る。熱帯性の樹でイチョウのように枝から根を出し、その根が枝に絡んだりして面白い造形を自ら作っている。



 近くに「富江陣屋の石蔵」と呼ばれている変わった遺跡も見た。昔、富江藩が陣屋を構えていたところだったが、残されているのは玄武岩を精巧に切りだし積み上げて造られた穀物蔵だ。350年前のものだが、1ミリの狂いもなく独特の高窓とともに重厚な姿を野に曝している。さらに進むと家々を石で囲み防風壁としている地域に入る。相当な強風が1年を通じて吹きつけるのだろう。「福江の椿」という標識に導かれ、たどり着いたところに大きな椿の大木があった。自転車を並べて撮らないと幹の太さが実感できない。ソテツの大木も福江の名物だ。



 やがて高さ300bばかりの明るい芝生の丘が見え出す。福江の鬼岳だ。麓では夫婦が腰をかがめて農作業に勤しんでいる。ア山の溶岩海岸を巡り、やがて福江の街に下り石田城跡が見えてくる。お堀ではサギが魚を狙っている。福江まで71キロ。福江1周は132キロとなった。

 10月22日。福江から若松島へ朝のフェリーで渡る。大型のフェリーだが、客はまばらで、九州電力の送電関係の車両と作業員たちなど主に仕事関係の乗客が多い。それも途中で寄港した奈留島でほとんど降りてしまった。
 空模様は雨、曇り、晴れと目まぐるしく、時々虹も見える。無人島の断崖や奇岩が次々現れて、興味深い。1時間半後に、若松島と中通島を結ぶ長大な若松大橋をくぐって、懐深い若松港に入港。



 まず、若松大橋を見下ろす龍観山展望所に向かう。複雑な入り江の向こうに、名も知らない教会が建っている。それから約10キロ、道は海沿いの断崖を避けながらアップダウンを繰り返し、若松島の北端に向かっている。大平教会は島の北端のどん詰まりに建っていた。迫害を逃れて地上に神の園を成し遂げた誇りと執念を感じさせる。最果ての海をたどってたどり着いたから、その様に感じるのか。
 同じ道を若松港まで戻り、今度は長い坂をゆっくり登り、島の南側へ。廃道のような山道をタイヤを傷つけないように慎重に走り、途中で東経129度線の標識と出会い、赤い橋で結ばれた有福島の有福教会に行く。ここもどん詰まりだ。教会はいまや誰も住まない廃屋の後ろにひっそりと建っている。信者はほとんど漁師だったというが、その暮らしは、当時と今もたいして変わりなく、うらぶれた漁村だった。浜では数人の男達が黙々と漁網の繕いに精を出している。



 大きな防潮堤で結ばれた日島には、興味深い石塔が荒波を背にして立っていた。仏像や、九輪、鋭利な自然石がそのまま立ち並び、荒海を背にして立っている有様は、不気味で、凄みもある。中世からのものだと記されているものの、何故この場に存在するのか、詳しいことは不明という。謎があるから、なお魅力があるのかもしれない。日本列島の奥深さ、その多様性を感じさせる風景だ。
 若松港近くの土井の浦教会は明るく、白く輝いていた。弾圧された神父をたたえる記念館には、船でしか行くことができないキリシタン洞窟の前で信者が集まりミサをしている光景の写真が飾られていた。これもキリシタン弾圧の一つの証しだろう。本日の走行49キロ。



 しゃれた民宿「えび屋」で新鮮な魚を楽しんだ。台風27号がせまっており、海のうねりの影響がありそうなので、日程をカットするはめになりそうだ。

 10月23日。上五島の青方へ。台風の影響か、九州地方は正午から雨の予報。えび屋から若松大橋に繋がる道を進む。幅15キロに及ぶ若松瀬戸には長さ522bの橋で中通島と結ばれている若松大橋があり、橋の下は大型船も航行できる。橋から見下ろすと潮が渦を巻いている。

 上五島にも多くの教会がある。その全てを回わることは無理なので、道すがら大浦教会、中の浦教会、真手ノ浦教会、跡次教会、大曽教会、青方教会の順に回る。どれも違っていて、それぞれの歴史を秘めている。


 11時にクロネコのトラックを見かけたので呼び止め、ドライバーから配送センターを教えて貰った。ランはそのクロネコ配送センターで切り上げ。走行は35キロで終わったが、五島の自転車旅を十分堪能した。1時間かけて自転車の分解と荷造りし、東京に送り返した。終わった途端に雨が降り出してきた。タクシーで有川へ行き、夕方に個性的な宿、小串の迎えのクルマに乗る。
 小串は隠れ家のような宿で、頭ケ島に懸かる橋と向かいあったうらぶれた湾、大浦にある。昔は段々畑があったが、寂れた今は森に変わっているという。強風で大浦の浜に押し寄せる白波は激しく、雨もさらに激しく降り続いている。アワビ、キビナゴなど普段お目にかかれない新鮮な海の幸ばかりだったが、体力をそれほど使っていないので食べきれるものではなかった。


 福江1周136キロ、若松島49キロ、上五島を35キロ走り、五島ランは4日間で合計220キロとなった。上五島は114キロほど走る計画だったが、台風の余波による雨で中断してしまい、頭ケ島の天主堂を訪れることができなかったのは心残りである。

 翌日は、宿のクルマで鯛ノ浦教会へ。爆心地の教会の被爆レンガで建てられた旧鯛ノ浦教会がそのまま存在していた。この教会はまさに被爆地長崎の平和のシンボルの一つに数えられるものだ。鯛ノ浦港から双胴高速船で長崎へ戻った。


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