●HOME ●自転車は楽しいよ  いろいろな自転車  自転車の乗りこなし
 自転車と道路  サイクリングの実際  自転車と健康
●近場のサイクリング  国内自転車旅  海外自転車旅



ドナウ源流〜ウィーンの旅     2005/5/31-6/15


●なぜドナウ

 2004年6月のドイツ・オランダツーリングではヴェーザー川を下り、オランダ中央部をロッテルダムまで旅した。
 この時、感じたのは両国では自転車を楽しんだり、社会生活に利用するうえで思い切った対策をとっており、どちらも「自転車にやさしい国」という印象だった。
 あれから1年間、その後いろんな情報を見てみると、どちらの国も最近10年から20年ほどの間に、自転車を安全に走らせることができる道路環境が整備されたようである。特にドイツは日本以上に「自動車大国」であり、ベンツなどの高級車を生産し、経済を支えている。そのドイツが自転車のための環境を整備するのは、ひとえに合理主義という考えに基づく。クルマを安全に走らせるためには、自転車交通を分離させようというわけである。自転車の事故が増えるから、自転車は歩道を走らせようという、せこい発想の国とは異なるのである。
 しかもドイツの場合、国民の健康維持という考えは昔からハッキリしていて、その考え方の延長線で安い宿泊施設や安心・安全なサイクリングコースのネットワークが国中に完成している。このサイクリングコースのネットワークを完成させたのは実はドイツにおける「サイクリング協会」のような民間団体であり、この団体が州政府などにたいし、既存の道路や散歩道などをうまく利用して全国ネットを完成させたのである。
 こうしたサイクリングネットワークをもっと体験してみたいし、ついでにヨーロッパ最大の国際河川ドナウを走ってみたい。この二つがうまくかみ合って今回のドナウツアーとなった。

●ドナウ川

 ドナウ川はドナウエッシンゲンという南ドイツの小さな町から流れを発し、オーストリアとの国境の町パッサウ(標高310メートル)までドイツ国内を約600キロ流れる。そしてオーストリアに入り、ウイーンまで326キロを流れ、さらにブラチスラバでスロバキアに入るなど、それぞれの国境を流れ下って、2860キロ離れた黒海にそそぐ。その間8カ国を流れるこの国際河川はユーラシア大陸ではボルガに次ぐ第2位の河川だ。



 各国を流れるドナウの長さは、上流からドイツ…627キロ、オーストリア…342キロ、スロバキア…163キロ、ハンガリー…275キロ、セルビヤ…587キロ、ブルガリア…471キロ、ルーマニア…470キロ、ウクライナ…134キロとなるが、これには関係する国の国境部分が含まれているので、単純合計では3000キロを越えてしまう。この長大なヨーロッパを流れる河川の規模の壮大さを知ることができる。ちなみにその距離を日本に当てはめれば北海道の宗谷岬から沖縄の西表島までを直線で結んだ長さに相当する長大だ。

 今回はこのうちの上・中流部となるドイツとオーストリアの一部をツーリングする。ドナウ全長の約1/4程度の長さのツーリングとなる。ドナウの源流、上流、中流へと下るサイクリングツーリングはドイツならではの国民的な余暇スポーツとして紹介されているものであるが、ドナウに関する限り、サイクリング道路として紹介されているのは、ハンガリーのブダペストまでの1205キロに限られている。それより東は東欧の政治的問題やその他の事情によるのか、一般的にドナウ河口まで下るサイクリングは大衆化していないようである。しかし最近になって中欧のドナウ地域においてもハンガリー、スロバキアが相次いでEU加盟を果たしたように、ソ連崩壊にともなう東欧地域の独立運動とあいまって、EUに加盟することで安定化をめざす諸国も多く、やがて黒海までのドナウの大衆的なサイクリング道路が開けることも期待できる。

 ドナウの源流は標高680メートルのドナウエッシンゲンの町のフェルフテンベルグ城の泉だといわれている。しかし、この泉はブリガッハという川に注いでおり、またこの川もドナウエッツシンゲンの少し下流でブレッグという別の川と合流している。したがって日本流にいう地理学上の源流はここではなく、ブリガッハ川とブレッグ川のどちらかだが、地元では二つの川それぞれに、こちらが源流だと張り合っている。ともあれ、ドナウという名の川の流れはドナウエッシンゲンから、この二つの川の合流点より始まっている。

 計画では、ドイツのレーゲンスブルグでドイツ国内のツーリングを終え、列車でオーストリアに入る。オーストリアは人口800万人ほどで、面積はほぼ北海道に等しい。オーストリアアルプスを抱え、リンツ、ウィーンなど有名な町もある。そのどちらも実はドナウに沿っているのでオーストリアでは、このリンツからウィーンまでをツーリングすることにした。ドナウの景観のなかでこの間が最も美しく「ドナウの真珠」と呼ばれ、景観自体が世界遺産だ。

●初日からハプニング  第1日(5/31火) 

 離陸は少し遅れたが、約12時間のフライトで定刻に無事フランクフルト着陸。
空港駅でジャーマンレールパスの有効手続きを行うとともに自転車の梱包を解く。ここまで順調だったが、空港駅から列車に乗ってからハプニングが始まる。
 車内の時刻表でカールスルーエ駅での乗り継ぎ列車をチェックしたところ乗り継ぎ列車が記載されていない。さて困った。早速車掌に確認したが次の通り教えてくれた。16:24マンハイム16:31(ICE109)⇒18:06ウルムでさらに乗り換えというルートだ。 車掌に聞きまくって、乗り継ぎ駅を確認する。車掌によって教え方が違う。ウルムに着いたものの、列車の遅れにより乗り継ぎ列車ドナウエッシンゲン行きを逃し、やむなくウルムに泊まる。事前のチェックと現実の時刻表の違いに戸惑う。
 ウルム駅前のホテルは部屋がなく、そこで紹介してくれたホテルULMER STUBENまでこれからお世話になる自転車を担ぐ。明日の輪行に備えてのことだ。
 ウルムの塔の近くの小さなレストランでボクの好物、上面発酵ビール「バイツェン」を3杯飲んでようやく落ち着く。大きなソーセージとジャガイモ添え、それにアスパラガスのクリームソース添えが美味かった。
 同行のSさんと相談の結果、ドナウエッシンゲンへは発達したドイツの鉄道網とジャーマンパスを有効に使って、明日の早朝発の列車で向かうことにする。



●ドナウ川源流付近  第2日(6/1水) 

 幸にもウルムから乗車した快速列車には自転車をそのままの形で乗せられる車両が連結されていた。車両には自転車マークがつけられている。この車内で自転車を組み上げることができた。これが初めからわかっていたら自転車を担ぐこともなかったと、自転車の重さが食い込んだ肩をなぜた。自転車は航空機輪行で壊されることもなく、もとの姿に組み上げることができた。窓の外は、朝靄が牧草地やドナウ川に立ちこめ、独特の趣を呈していた。今日からこの美しいドナウ川を下るのかと思うと静かな興奮がこみ上げてくる。ドナウ川とサイクリングパスが時々見え隠れするので、走ることろの状態がよくわかるのもいい。ウルムに足止めされ、サイクリングの始点へと列車による移動を余儀なくされたが、これも結果的にはよかった。2時間半ほど車窓からのドナウ川源流付近の風景を見て、ドナウエッシンゲンに降りたった。

 まず、ドナウエッシンゲンではドナウ川を下るに際し、その源流の泉と呼ばれているお城のなかの泉に行く。たしかにその泉はこんこんと地下水を吹き上げていたが、近くのブリガッハ川からの伏流水かも知れず、これを源流と呼ぶには無理があるように思った。サイクリングはこの泉を背にすこし下流の二つの河川が合流してドナウ川が始まっているところからスタート。

 ドナウ川の始まりの地点ではかなり広い川幅を持っていた。サイクリストが川下から逆に源流を目指してさかのぼってくる。といっても地形的にはほぼ平坦だが、源流付近は標高700メートルほどの高地となっている。それがゆるやかに下ってゆくのだ。川の表情は日本の川とはかなり違っている。日本の川は、滝のように流れているとかつて外国人が表現したことがあったが、それは急な傾斜を流れ下るのでそう呼ばれたのだが、こちらの川は日本の川のように氾濫原というものを持たない。岸辺は豊かな緑となている。その緑は木々であったり、草地であったり、牧草地であったりする。人間は川岸も含めてそれを利用している。日本のように堤防という人工的な構築物もない。周辺の人口密度が少なく、その必要がないのだ。周辺はおおむねなだらかな丘陵で牧草や黄色い菜種が植えられ、時には麦も見られる。川を下るにつれこうした風景が続くが見飽きることはない。遠くの丘がせまってきたり、牧草地の野の花が咲き乱れていたり、自然のゆたかな光景のもとで、農業を基本とする人々の営みが生き生きと息づいている。

 道は「ドナウ川サイクリング道路」と記された黄色地に緑の標識をたどって進む。もちろん精密な地図とGPSを持っているが、それに頼らなくてもよい。標識は他のサイクリングルートへのものもあるので「R9」というドナウ川に沿って伸びるルートさえはずさなければよい。その道が牧草地を縫っていたかと思うと森に入り込んだり、ドナウの川面に平行して進むなどする。川面には白鳥が水草を食べていたり、ときたま自然保護区があったりする。菜の花の黄色のパッチワークが美しい。道はいくつかの小さな村を通過している。緑のなかに並ぶ赤いそして傾斜のある屋根が連なる風景は調和がとれていて特に美しい。Sさんは「絵はがきのよう」を連発していた。
 町中に入ると家々の窓辺にはこれまた美しい花で飾られている。ときたま昔からの木組みの家があったりして人々は伝統的な家を大切にして暮らしているようすが伝わってくる。村の小さな教会に立ち寄ったり、ちょっとした風景をカメラに納めたり、のんびりとしたペースで走る。
 ドナウ川は山峡と呼んでもいいような地点を抜ける。両側から山がせまり、ドナウは山を縫って分け入っている。長い年月のあいだにドナウはその山を削り断崖状の地形を作りだしている。泥岩のようで岩はもろく、ときには落石注意の標識も立っていたりする。その独特の地形を目指してハイキングを楽しむ人たちもいる。もちろんよく会うのはドナウを行き来するサイクリストだ。夫婦連れやそのグループがもっとも多く、自転車の旅は中高年の旅に向いている。午後になると子どもたちや青年にも出会うことが多くなった。



 山峡を過ぎて予定していたハウセンという町に到着した。「ビッテ アンド バイク」と記されたサイクリスト向けの宿に申し込んだが、子どもたちのハイキングの予約があり、満室と断られ、代わりに2キロ先のガストホフ(民宿)を紹介してくれた。ネイディンゲンというところのガストホフMuhle。ドナウに面して近くに断崖も見える景勝地だ。乳母車のなかで寝ている赤ん坊が道路端の木陰におかれている。信じられないほど安心できる環境のようだ。

 夕食はこのガストホフでする以外、ほかにはレストランもない。地元の人たちがビールで盛り上がっている。われわれ外国人に興味があるようすがうかがえる。サラダを注文したいのだがなかなか通じない。最後はボディーランゲージだ。これが意外に通じる。運ばれてきたサラダは美味かった。Sさんは生ハムを注文しておきながら、疲労のため部屋に戻ってしまった。一人でバイツェンのグラスを傾けていると地元の一人の男が英語ができるかと聞いてくるので、少しはと答える。
 これがきっかけで地元の人たちとの交流が始まる。ともにバイツェンの杯を重ねているうちに「お前のためにこれから演奏する」とギターとアコーデオンの演奏が始まった。地元の名物男らしく他の客も彼らを受け入れている。盛り上ってきたのでSさんを呼びに行く。演奏はドイツやオーストリアのローカル曲でよかった。途中でメントールの粉末を鼻孔に入れるものをくれるし、生卵を一気飲みしろと迫ってくるしで、おおいに盛り上がった。Sさんは生卵を2個も飲まされてしまった。ボクはすき焼きソングを知っているかと歌い、演奏家たちにも教えた。これはおおいに受けた。さらにビールのグラスを重ね深夜まで盛り上がった。英語を話せる男は10年間ほどサウジアラビヤで井戸掘りの仕事をしていたという。こうしてガストホフでは思いもかけない交流ができた。日本人がまったく訪れることのない地元の人々の懐にボクらは迎え入れられたのだった。

●コウノトリが営巣  第3日(6/2木)

 オブルマーチャルまでの75キロ。
 
 源流付近の美しいドナウを21キロ走ってシグマリンゲンへ向かう。今日も快晴だ、恵まれている。道はしばらく一般道を走り、やがて現れたドナウの橋を渡り、自転車道へ。専用の自転車道路なので、道はこまめに曲がっている。また別ルートに向かう分岐もあるので、その都度、案内標識の確認を怠ることはできない。それでも何回かは別ルートに入りこみそうになる。すると背後からSさんの声がかかり、修正することができた。二人旅はルート確認も二人でできるので安心。



 ルートに沿って走ることに関して、今回はGPSを持参してその信頼性を試してみた。ヨーロッパのデジタル地図とこれで作成したルートがどれほど正確かがよくわかった。日本で設定したルートは、このヨーロッパのデジタル地図上のドナウ川に最も接近した一般道からポイントを拾い、それをつなげて作成したのだが、たまたまそのポイントと自転車道が重なるところを通過した。ヨーロッパの電子地図も日本のものと同様に自転車道は掲載されていないが、ボクらが走った自転車道はそのポイントとぴったり重なった。つまりドナウ川の自転車道はそのポイントではヨーロッパ地図にある一般道を使っていたわけで、その道はまったく車が走らない一般道だったのである。

 この確認により、サイクリング地図がない他国の地域でもこの電子図をたよりにルートを設定し、実際に走ることができることが確認されたわけだ。ヨーロッパのどこでもGPSだけで走ることができるのだから、これはすごい道具だ。
 またGPSはその日に走ったルートをトラックとして自動的に記憶してくれるが、毎日それを保存する必要がある。

 ルートはスチャー、そして4キロ先のメンゲンへと続いている。メンゲンの町では町の中心の教会の屋根のうえにコウノトリの巣があり、1羽が巣のなかにたっていた。かなりの距離があるが、時々体を動かしているのが見える。しばらくするともう1羽が飛びたっていった。どうもつがいで子育てしている様子で雛に与えるエサをさがしに飛びたったようだ。町中にはこの鳥のディスプレイがあちこちに置かれていて、コウノトリが大切に扱われているようだった。

 しばらく牧草地を走ったところで昼食のために立ち寄ったベンチではドイツ人夫婦と英語で話し合うことができた。お決まりのどこからどこへといった挨拶のあと、女性のほうが北海からエルベ川を遡上しプラハに行くルートはすばらしいですよ。私はお勧めします、との貴重な情報を頂いた。その夫婦はスイス国境のレマン湖を一周したそうだが、車が多くて悩まされましたともはなしてくれた。
 この夫婦とはこの日の到着地点までなんども顔を合わせたが、別れる段になって、何故なにもない田舎に泊まるのか。まだ陽も高いのにもう少し走ったらどうか。あなた方は強そうですから、と話して、そんな田舎は何もすることがなく退屈してしまいますよと忠告してくれた。また、ウルムに行くのにドナウを離れ北上する別ルートを行くことができるが素晴らしいですよと教えてくれた。このルートは実際にボクらが走るルートだった。ラッキー。

 リードリンゲンにも、市役所の屋根にコウノトリの巣があった。ふたつあった巣のうち一つは巣作りをしていなかった。
 オブルマーチャルで予定通り泊まることにし、宿探しを始めたが、それらしいところを見つけだすことはできなかった。案内所もなにもない小さな小さな村だ。しかし地図の巻末には4カ所ほど宿が紹介されていたので、小さなパン屋で聞くと相手は少し英語が話せる女性で、ビッテ アンド バイクを紹介してくれた。
 ビッテ アンド バイクとはドイツ各地に広がっているサイクリングルートに寄り添うかたちで看板を掲げているサイクリストの為の民宿のようなもので、ドイツのサイクリング協会が認定している宿のことである。サイクリストのための宿泊施設がこのように全国にあるので安心して安い旅ができるのだ。この宿は近代的なプチホテル風でホテルとしての設備も充実していてとても居心地がいい。しかし言葉の壁は厚く英語が通じない。

 日本で作ってきたドイツ料理の写真が役だったのはこれで3回目だ。指で指すとできる料理をだしてくれる。サラダなど野菜が不足するのでその写真も必要だ。例によりバイツェンを頼む、飲んだのはこの町の二つの塔を持つ教会をビールのラベルにあしらった地ビールだった。10キロ先にビール工場があるという。同じバイツェンでも微妙に味が異なる。この旅はバイツェン地ビールの飲み歩きの旅でもある。なんという幸せ。
 このホテルBerghofstubleでも4人の女性サイクリストと知り合いになった。デュッセルドルフ近郊からやっていた人たちでなかよし4人おばさんグループだ。
 今日は昨日とほぼ同じ距離を走ったのだが、疲れはほとんど感じなくなった。この国の時差に体がなじんできたようだ。明るい太陽のもとで活動することで時差ボケが解消できるとどこかで聞いたが、サイクリングはまさにそれを証明したような案配となった。
 明日は今日よりもさらに短い距離を走り、初日に泊まったウルムに向かう。

●念願のウルムの塔に登る  第4日(6/3金)

 ウルムまで73キロ。
 オブルマーチャルからはドナウ川のビーバーの巣や黒い水鳥をみたり、白鳥の雛が飛び立つ練習をしている水辺を通ったり、そうとう豊かな自然が残されいるそばを走った。

 さて、このドナウ川サイクリングコースはドイツ国内に張り巡らされたサイクリングコースのなかでも5本の指のなかに入る有名コースだ。したがってドイツ人のサイクリストも当然多数押し掛ける。
 この日に遭ったサイクリストは高年の夫婦連れのほか、若い子連れの夫婦…彼らは上の女の子を子ども用自転車に、下の男の子はというと小さい子どもが二人並んで座れる程度の幌つきリアカーを父親が牽引するという形で、はたから見ていてにぎやかで、とてもほほえましい光景だった。
 また若いカップルは前後に二人乗りができるタンデムと呼ばれている自転車に乗って、ボクらとは追いつ抜かれつといったありさまで、男性のほうは大汗状態でビールがほしいです、といっていた。このタンデムという車種は日本では公道を走ることは二人乗り規制のために禁止されているのだが、とても重く、また二人の呼吸があわないとたいへんな自転車だ。若い二人がこれに乗り、これからの人生を乗り切るトレーニングにはちょうどいいのかもしれない。



 ムンダーキンゲンを経て、20キロ先のエヒンゲンでドナウを離れ北上する。豊富な蒼い湧き水があるブラウボイレンの町を経由し、ブラウ川に沿ってウルムに入るのだ。

 ブラウとはブルーの意で山懐の大きな泉から清冽な水が大量に湧き出ていた。それが源流となってウルムに向かい、ウルムでドナウにそそいでいるのだ。泉はとても大きく、水量も豊富でドナウエッシンゲンの泉など問題にならない。
 子どもらが泉に小石を投げ入れて遊んでいる。傍らには苔むした水車が音もなく静かに回っている。このような場所はたぶん日本にはないだろうと話し合った。
 今日は2度ほどコースをはずしてしまった。原因はルート案内表示が十分でなかったことによるのだが、GPSを十分に活用できなかった問題もある。これはヨーロッパの地図に慣れていないのと、設定したルートが読み切れなかったこともある。地図の表示縮尺を120メートルではなく300〜500メートル切り替えることにより、はずしたルートを見つけやすくすることができた。道に迷ったと地元の人に尋ねると、親切に教えてくれる。ウルムの手前でGPSのポイント検索に手間取っていると、たまたま地元のサイクリストが現れ、私についてきてくださいとひっぱってくれた。

 こうして午後4時半頃ウルムに着いた。ウルムでは安い民宿をあたったが、すべて満室で、ウルムの塔から至近のホテルGoldens Rad-Teamを確保できた。

 さっそく念願のウルムの塔に登る。
 走ってきた上流方向などドナウを見渡せる世界一高いウルムの塔だ。その大聖堂の768段の階段をゆっくりと登る。とても狭い。高所恐怖症の人間にはまず無理だろう。登るにしたがって視界がどんどんと開け、蛇行しているドナウの様子がはっきりと見える。
 雲ひとつない空の下、緑と川のブルーのなかにウルムの町は存在していた。はるか東方向には原発がうっすらと蒸気をあげている。眼下には安野光雅の絵を思わせる建物がびっつしりと肩を寄せ合っている。それにしてもこのような塔をよく設計し、また建てたものだと感心する。
 あまりに素晴らしい光景にデジカメを撮りすぎ、たちまちメモリーを消費してしまった。困ったことだ。
 塔の内部ではパイプオルガンが響きわたっていた。一汗かいて塔から降りて飲んだバイツェンはことのほか美味かった。<

 市内の「漁師の一角」と呼ばれいるところを散策する。ブラウ川がドナウと合流しているあたりだ。独特の雰囲気を持っている。道ばたのテーブルで観光客がのんびりと午後を過ごしている。それが周囲の風景にとけ込んでいる。
 ボクらも同じように、とあるレストランの前に陣取ってバイツェンと魚料理を楽しむ。目の前をいろいろな人間が行き交う。見ているだけでもいい。



 今日までのサイクリングが終わったところでドイツを走るコースの40%ほどを走ったことになる。第一ステージは無事に終了した。この3日間でも今日はことのほか快晴で、ずいぶん日焼けをしてしまった。
 ドナウはすでに中流の趣だ。川辺には若い恋人同士が肩を寄せあい、あるいは中年女性が一人ベンチに腰掛け、川面を見ている。その傍をサイクリストが行き交う。

●雨の中ディリンゲンへ  第5日(6/4土)

 ディリンゲンまで62キロ。
 昨日までがとても天気が良すぎたせいか、朝から曇り、窓の外は昨夜の雨で道路が濡れている。そういえば夜中はとても暑く寝苦しい夜だった。ホテルのフロントレディーは「今日は雨です」と冷たく言い放つ。
 いまのところ降っていないが、雨でも走らなければならない。日程には余裕があるものの、それはアクシデントの時のため。怪我、病気、盗難、自転車の故障などをアクシデントと想定しており、雨はアクシデントに入らないのである。もちろん、こんな日もあるだろうと雨対策は万全である。
 スタート時は降っていなかったが、空が暗くなり、やがてポツリと来たと思ったら本降りだ。早速、合羽を身につけ、フロントバッグにも雨よけカバーをかぶせる。この装備で深い森のなかの5キロの直線コースを行く。

 ボクらは毎日、60〜80キロのペースで走っている。本当はもっと距離を稼ぐことができるが、外国旅行の場合は長期に及ぶことと、観光目的があるので、どうしても1日あたりの走行距離が制限される。
 ドナウ源流からウィーンまで、何日間で走るのか。実はこのプラニングが最も難しい。疲労のことも考えなければいけないし、いろんな要素を総合的に織り込んで、コースと宿泊地を慎重に決めるわけだ。
 こうして決まった日程は簡単に変更することは難しい。仮に変更した場合、そのしわ寄せは、必ず次の日程に影響を与えることになる。
 本日の日程は、わりと短い距離を予定していて、雨でもラッキーだった。

 ボクらは雨があがるころ、午後1時にディリンゲンに着いた。ディリンゲンの町はとても清潔感があり、石畳がよく似合う町だった。
 ホテルを確保し、雨で濡れたものを乾かしたり、掃除をしたりしてから、昼間の町に出かける。石畳の比較的新しい町のようだが、歴史は相当に古い。町並保存の典型のようなディリンゲンだ。午睡のあと、再び町に繰り出す。最初に入ったのは若者向けの店で、やはりバイツェンを楽しむ。窓の外で日本流のお辞儀をしているドイツ人がいる。彼は店に入ってきて握手を求めてきた。会話はなく、ただ握手だけだったが、たぶん店のオーナーだろうと話あった。店員が珍しい客が来ているよと連絡したのだろう。ここで異なるタイプのバイツェンを3杯楽しむ。この町は人口1万7000人で、留学生交換で日本人の留学生を受け入れたことがあるなどと、いろんなことが判って興味はつきない。
 Sさんがコーヒーを飲みたいというので、別の店を梯子する。
 こちらは強いアルコールでしめたいのだが、たとえばブランディーなどの銘柄名がわからない。そこへ日本に2度来たことがある助っ人が現れた。
 ピーターと呼ぶ男はギターアンプのセールスをしており、横浜を2度ほど訪れたことがあると話してくれた。森田という音楽関係の業者と取引したという。Sさんは気持ちが豊かになって、イタリアのドリンクを彼と連れの女性に振る舞った。こうしてディリンゲンの夜が深まっていった。ホテルConviktはすばらしいホテルだった。

●「鉄仮面」と遭遇  第6日(6/5日)

 ノイブルグまで80キロ。昨日とは打って変わって朝から晴れ。楽しい夜を過ごしたディリンゲンに別れを告げる。
 ホッシュタートを過ぎると湿地帯が続く。34キロ地点の左岸の大きな町ドナウウォースはドナウとロマンティック街道が交差する町だ。
 今日は日曜日なので、この町の観光案内所もお休み。だたしドアは開いていて、パンフレット類が入手できるよう配慮されている。ロマンチック街道のパンフが置いてあった。
 到着したのが、ちょうど11時で、教会の鐘が鳴り響いていた。その鐘の音を聞きながら、今回、ドナウのツアーに何を求めてきたのかが感覚的に自覚できた。それは異国の日常のなかに我が身を置くということではないか。鐘の音が終わり、今度は別の教会からパイプオルガンが聞こえ始めた。教会の周りにはたくさんのクルマが駐車している。日曜日のミサが執り行われているのだ。パイプオルガンの音に吸い込まれるように教会のドアに近ずく。入り口の傍には老婦人がおり、お入りなさいと手招きをしてくれる。ヘルメットを脱いで自転車の上に置き、なかに入った。ドアをあけたとたん、オルガンの音がいっそう高まり、300人を越えると思われる人々がしわぶきひとつもらさずに祈りを捧げている。その光景にこちらが萎縮してしまいそうだ。聖歌隊の歌、牧師の祈り、そしてまたパイプオルガンと、ミサは続いた。ヨーロッパの教会の衰退が語られて久しい。特に若者の教会ばなれがあるというが、この南ドイツのドナウのほとりの日曜日の教会は敬虔な祈りの世界そのものだった。教会といえば新しい法王のことを紹介するかなり厚めの本が書店のウインドウに何冊も平積みされていた。

 ドナウウォースの町をあとに、そこから小さな村を5つほど過ぎて、右岸のノイブルグに入る。この町のガストホフと交渉成立。昨日のホテル代の半分ですんだ。

 町の名は新しい城の町という意味だろうが、かなり古い歴史を持っている様子。町の入り口のドナウ川にかかる橋の欄干には青い馬の首を模したディスプレイが掲げられている。何だろうと首をかしげつつ町中に入ると広場やホテルの壁にも同じものが飾られている。ドナウ川沿いのレストランで隣の人が教えてくれたとことによると、この町の美しい城の500年祭とかで、城内ではその特別展が行われているもよう。500年前といえば「鉄仮面」の時代だ。その当時の鉄仮面の鎧、そして城主にまつわる資料などが展示されているのだ。日曜日なので近在から人々が押し掛けてきていた。その城はドナウのほとりに立ち、旧市街を防衛する役割をかつて果たしていたように見受けられた。その旧城内の建築物は歴史的建造物として保存されているようで、ある建物はその全体が歴史的文書図書館として公開されていた。



 ドナウ川のほとりにたたずむレストランでは英語はまったく通じずにオーダーに苦労する。こんな時の為に、主なドイツ料理の写真とその名前をプリントして持ち歩いている。そしてこのような場合に取り出し手で示し、できるとか、できないとかをウエイトレスと手真似でやりとりする。また美味かった料理名を書き留めてもらい、それを別の日にオーダーしたりしている。
 こうして言葉の壁は意外に厚いのだが、たいていの場合、助っ人が現れるものだ。隣のテーブルの中年男性がドイツ訛りの英語でウエイトレスとの仲介役をやってくれた。
 飲み物はいつもバイツェンだが、これは毎日味が違う。酸味のきいたものや、色が違うものなど、毎日のビールが楽しい。隣の客が飲んでいるダークビヤを飲んでみたが、これはバイツェンのコーク割だった。こんな飲み方もあるのだ。口直しに本物のダークバイツェンを飲む。
 河岸を替えて町の中心部の大衆的ビヤホールに行く。先客の3人の地元の男たちと自然に溶け合い、なかの一人がかなり英語が話せるのでビールを飲みながら四方山話が弾んだ。
 電気関係の仕事をしているビール腹の男は香港やシンガポールなどに行ったことがあるといい、日本は物価がとても高いので行けないという。話は日本に行けばいい女がいるかなどという、おさだまりの男同士の話から、現政権の外国人開放政策で失業率が20%となって職がないといった現実の経済批判や、第2次大戦でともに戦ったことや、その後の戦争に対する精算で両国に大きな違いあるといった高度に政治的な話題まで広がった。
 ビール腹の男はもう帰らねばと、といいつつ、連れの男性を引き留めていた。この店に「流し」が入ってきた。Sさんが聞きたいというので、小銭をテーブルに置いたら、くだんの男性はそんな必要はないといった。2曲ほど演奏して「流し」は消えていった。

●宿の亭主は婿養子  第7日(6/6月)

 バドゴギング手前のネウタッドまで65キロ。
 朝、一番にグナーデン城の開城500年記念の展示を見るために城のなかに入る。ヨーロッパの城の歴史など実物を見る機会などめったにあるものではない。たまたまこのノイブルグの町の歴史的セレブレーションがやられていたおかげだ。入場料を一人6ユーロ支払い、展示を見て回る。当時の城の規模の模型や、内部の装飾品、金属性の五右衛門風呂のようなワイン樽…城内での宴会時に使用されたのだろう。そしてこの城を造営した当時の王の肖像画やさまざまな関連資料、大きな機械仕掛けの時計など、かなりの文化品も展示されている。きわめつきは武器である。サーベル、槍、サス又などという武器のほか、防具として金属性の鎧、鉄仮面の実物が展示されていた。
 城の壁には貝殻をうまく配して、さまざまな装飾が施されている。変わった芸術だ。芸術といばオランダの画家ルーベンスの絵画展も行われていた。宗教画、放漫な女性を中心とした人物の群像、ブルグのなかの当時の人々の暮らし、キリストの受難などが描かれており、この城の創設時の時代とだぶらせてある。

 ノイブルグからは直線の一般道を走る。道はドナウを離れ、鉄道を跨ぎ、またドナウ側に戻る。約30キロほどで大きな町インゴルスタッドの町中を昼頃抜けて、ボーブルグ(右岸)、プホリング(左岸)と道は続く。時折、ドナウを渡るがそのたびに川幅が広がっている。
 ゆったりと、そして最上川で芭蕉が「五月雨を集めて早し…」と詠んだごとく、ドナウの流れも早い。川岸で休んでいると、その流れをゴムボートで下ってくる人がいた。挨拶をして彼らのボートからの上陸を手伝う。彼らはミュンヘン市民で、ミュンヘンの北を流れるドナウの小さな村からボートで下りはじめ、道々キャンプしながら、ウィーンまで行くという。ドナウの旅は川そのものを下るという意味で、この夫婦の川下りが本来の姿だろうなどと思う。

 ネウタッド(右岸東寄り)に着く。当初の計画ではバドゴギングまで行く予定だったが、あまりに小さな村なので、少し大きい町のほうが宿がとりやすいだろうと2キロ手前で宿探し。住宅地に入り込み庭先の女性に声をかけ、地図に掲載されているこの町のホテルリストを見せたところ2軒のホテルにマークをつけてくれた。この自由に宿探しができるところがいい。そのうちの一軒、ガルニは街道沿いのこぎれいなホテルで安かったが設備はなかなかのものだった。

 ホテルは小ぎれいなだけでなく新しかったので、オーナーに、建てたのはあなたですかと聞いたところ、いえ家内の親父ですと返してきた。家付き娘の婿養子といった感じで、奥さんに厨房をまかせて、5人の地元の人たちのトランプゲームに口を挟んだりしている。ボクらはどこしも養子は気楽だな、などと日本語でしゃべっていたので、もちろんオーナーは自分のことが話されていることを知らない。

●ドイツドナウ最大の町レーゲンスブルグ  第8日(6/7火)

 レーゲンスブルグまで74キロ (走行合計516キロ)。
 今日はドイツのドナウを走る最終日である。気温は10度を切っていると思われる。とても寒い。日本でいえば1月並みだ。長袖を着込み、最後には合羽まで着こんでしまった。
 宿をでてドナウの堤防の上を走っていると、どこかで見たことがある顔のランナーが迫ってきた。なんと宿の亭主ではないか。ホテルの朝は忙しいというのに、仕事を奥さんに任せてジョギングとは。やはり気楽な婿養子だった。
 ケールハイム手前で初めてホップと出会う。ホップ畑は10メートルの高さほどにワイヤーで吊りあげられている。まだ若い木でホップそのものは見ることができなかったが、ビールの原料をのひとつを見たのだった。次に現れたのは、高い畝が幾筋も並んでいて、それに黒いビニルシートがかぶせられている。たぶんアスパラガスだろうと見当つけてビニルをまくってみた。なんと可愛いアスパラガスの頭が3センチほど伸びているではないか。もう収穫期は間近のようだった。アスパラガスのバターソース添えはとても美味しく2度ほど食べたが、ここで出会えるとは思わなかった。


 ケールハイム手前のヴェルテンブルグ修道院に着く。ここでドイツ最古の修道院ビール醸造所を見ることができた。醸造所の前に大きなトラックが止まっており、建物の壁から突き出たパイプからビールの絞りかすをトラックに流しこんでいる最中だった。建物の内部にはヴェルテンブルガークルスターと書かれた円筒形の醸造釜が光っていた。マークは十字架を取り巻く12の星だ。向かいの建物は巨大なレストランで「クロスターバロック・デュンケル」と「アサム・ボック」の2種の出来立てのビールを飲ませる。この日、ドナウのほとりはとても寒くビールどころではなかった。この醸造所の手前でびっくりするほどの羊をつれた羊飼いと遭遇する。

 夫婦連れでドナウ沿いの草原を独特の長い杖で羊を追っているのだ。杖の先にはコテと鈎が一体となった金具がつけられていた。
 ケールハイムまでは深い森のなかを抜ける。小鳥の鳴き声とタイアが砂利をはじく音のほかは何の音もない。昨夜、かなりの雨が降ったらしく、ところどころぬかるんでいる。スリップしないように、慎重に通過する。急な山道を下りきったところがケールハイムだ。ドナウに架かる橋の上からは、山の上にベフライウングスハル解放記念堂が堂々とした姿を見せており、川には大きな観光船も浮かんでいる。ここから修道院ビールレストランまでこの観光船に乗り込みビールを飲みに出かけられる仕掛けのようだ。

 ドイツ国内のドナウの要衝レーゲンスブルグは大きな町だった。
 冷たいが、光輝く空気のなかドナウ川に架かる最古の石橋の上でSさんと握手を交わし、ドイツのドナウ500キロを無事走り終えたことをたたえあう。



 町に着けばまず宿探しだが、あてにしていたドナウの中州にあるユースホステルは満室だった。2〜3軒ホテルと交渉し、比較的安そうなところに決める。古い歴史を持ったホテルOrpheeの屋根裏部屋だったが、むき出しの梁を新しい木材で修復してあり、床のフローリングも新しく、かすかに木の香がする。ゆったりとしたペルシャ風のソファーも置かれており、すこしリッチな気分にされてくれる。どこからかクラリネットを練習する音が伝わってくる。
 石橋のたもとのソーセージ屋で焼きソーセージを食ったが、うまかった。香ばしい香りのソーセージに味噌をつけて食す。これが抜群の味だった。タマネギを刻んだ酢漬けがたっぷりと添えてある。ビールはもちろんバイツェンだ。

 2つの尖塔を持つドームの脇のビヤガーデンにも梯子した。高級レストラン風だが少しも高くない。この町から先のドイツ国境パッサウまでは割愛し、オーストリアのリンツまでは列車の旅とする。



●ホテルの裏はモーツアルトハウス  第9日(6/8水)

 時間に余裕があるので朝のレーゲンスブルグを散歩する。朝日に輝く教会や石橋の風景などをカメラに納める。
 二つの尖塔を見ているとき、中年の男性が声をかけてきてメモを取り出して詳しい説明をしてくれる。もちろんドイツ語なので詳しいことは判らないが、この尖塔は11世紀に建築が始まり、完成したのは400年後の15世紀だったという説明には驚いた。キリスト教文化の底の厚さを垣間見る思いだ。設計者は完成をみることもなくとうの昔に天国に行ったわけだ。こうして自分の町の歴史を説明することに意気を感じているボランティアがいるのもいい。

 駅ではホンダのオートバイとフィットが展示されており。クルマのほうはJAZZという商品名で売られている。ボクは同じクルマを持っているとセールスマンに声をかけたら、レーゲンスブルグでもJAZZはとても人気があるんだと誇らしげだ。
 ボクらが事前に購入しているジャーマンレイルパスはオーストリア国内は使えないので駅でパッサウ〜リンツ間のキップを購入する。出発は遅めの11:28発、リンツ着は13:47のレストラン付きユーロシティーだ。
 この列車には自転車を積載する車両が付いていないので、駅のホームで自転車を分解し、袋にいれる。ものの5分ほどの作業だ。車内ではまたしても食堂車で盛り上がる。たまたまフランクフルトからザルツブルグへの6日間の旅の途中という団体旅行の連中とぶつかってしまい愉快な昼食となった。今日は走ることはないので昼間から飲んでいる。ハッピー。
 国境の町パッサウを過ぎ、オーストリアに入ったが、車窓の風景は変わることがない。ドイツ国内をサイクリングしたときと同じ風景が続いている。変わったことといえば、ドナウの川幅が少し広がったことぐらいだ。

 列車はリンツに到着した。パスポートチェックは国境通過時とリンツ下車時ともなし。管理官らしき数人の人間がいたのでトイレに行く際にパスポート見せたら大笑いされてしまった。昨年のドイツからオランダに入る際にはチェックされたのに、と不思議だった。

 リンツは人口22万でオーストリア第3の都市。重化学工業・工学技術でドナウ川中流域で最大港を持つオーストリア最大の工業都市でもある。モーツアルトが同名の交響曲第36番を作曲したほか、ブルックナーの生誕地でもある音楽の町だ。旧大聖堂、州庁舎ラントハウス、新大聖堂、ブルックナーハウス、ハウプト広場など自転車なら簡単に見て回れる。

 駅から走りだし町の中央部に着いたところでいきなり雹が降ってきた。
人々は気にも止めないが旅行者を驚かせるには十分だ。ホテルを確保する。少し高いが雰囲気はなかなかのもの。

 ドナウ左岸のペストリンクベルグの小高い山(標高差255メートル)に登山電車で行く。自転車は上下さかさまにして電車の前後の大きなフックにリムをひっかける。おもしろい仕掛けだ。山の上から見下ろすリンツとドナウの展望が素晴らしく、明日から走るドナウが白く蛇行しながら東に消えている。

 市内に戻り、モーツァルトハウスを見に行く。モーツァルトの胸像と音楽をモチーフにしたインスタレーションが見られたが、この場所にたどり着くのに若干苦労した。誰に尋ねても正確な場所を知っているものはいなかった。実はその場所はボクらのホテルの裏に隣接していたのだった。モーツアルトはリンツの人々の記憶から完全に消え去っているのが少しさびしい。
 ボクらのホテルはハウプト広場と呼ばれている広場に面している。旧市街の中心で、ヨーロッパで最大で最も美しい広場とも言われている。広場の中央には高さ26mの大理石の三位一体記念柱が立っている。このリンツがオスマントルコ軍の侵入、火災、ペストを克服し立ち直ったことを記念して1717〜23年に造られたという。ケルビム(知識を司る天使)と、頂上に三位一体の像。バロック様式の石柱の代表例だそうだ。石柱のそばにはワインの瓶を片手に酔っぱらいがうずくまっていた。



 夕食は中華レストランに入ったが、これは失敗だった。それらしき料理がだされるが、どれもいまいちで、老酒の味まで違っていた。まずい料理をリンツの赤ワインで流し込むというちぐはぐな食べ方となった。
 食後、Sさんが市電に乗ってみたいというので、中央駅まで乗る。駅で酔っぱらいがホームの壁によりかかり、うずくまって寝ていたので、同じ姿勢のパフォーマンスで写真を撮ったら、周りの人々に大いに受けた。ワインがかなり回ったようだ。ホテルに歩いてもどりがてら、賑やかなバーが窓越しに見えたので入ってみた。ここでもリンツ市民と溶けあったが、この中にドナウエッシンゲン〜レーゲンスブルグ間を3日間で走ったという男がいた。ボクらが7日間かけたところだ。レーサーという軽い自転車だったそうだが、日本の自転車部品メーカーのシマノのギアセット…コンポーネントは最高だと云っていた。

●ホテルの支払いを忘れるポカ  第10日(6/9木)

 ユビスまで92キロ。 
 今日からオーストリアのツーリングが始まる。リンツからウィーンまでの228キロを走る。ニーベルンゲン橋のたもとの自転車道標識にはウィーンまで228キロとの表示が確かにでている。
 リンツのホテルWolfingerを発ち、ニーベルンゲン橋を渡って、左岸のポコンポコン道がしばらく続く。洗濯板のようで走りにくいといったらありゃしない。約数キロ続いているその途中で、大変なポカに気がついた。
 ホテルの支払いをすっかり忘れてしまっていた。出発前に自転車を出したり、荷物をつけたりするうちに支払いのことは頭から消え去っていた。もう戻れる距離ではないので、次の宿から連絡し、クレジットカード番号を伝えればいいと気づく。
 今日は今回のサイクリングでも最長のコースだ。80キロ以上を走らねばならない。
 洗濯板道を脱したら、きれいな舗装道路にかわりスピードもあがった。午前中に50キロは稼ぎたい。
 ドナウはいよいよ幅広く、川沿いの道はどこまでも、どこまでも一直線だ。このスケールの大きい大自然のなかに身を置く。
 途中、ドナウの支流を渡る橋が工事中で渡れないため、別ルートをとる。このルートで行けば、もとのルートに戻るためにドナウを渡し船で越えなければならない。11人のサイクリストと自転車でいっぱいになった小舟は、大型観光船が引き起こした波に翻弄され、木の葉のように揺れた。

 ユビスの手前約20キロから始まるグレイン〜クレムス間はオーストリアドナウが特に美しいところだ。
 延々80キロの長さにわたり美しい風景が続き、バッハウ渓谷と呼ばれる世界遺産でもある。リンツから約60キロ過ぎたグレインあたりから、いよいよ美しい風景となる。もうすでに50キロを走っている。
 さすが世界遺産に登録されているだけあって、ドナウとその沿岸のたたずまいは素晴らしい。ただ風景が美しいだけではない。道筋にはベンチが整備され、道端の草はきれいに刈られている。
 Sさんも、落葉すら落ちていないよと、しきりに感心している。
 これらすべて観光対策と見た。ドナウの美しい環境を整備・保全し、世界中からサイクリストを呼び込もう。それが地域経済に貢献するといった考え方で流域の町や村が管理しているのだろう。大型の除草機械を運転している作業員や、樹木の剪定に励む作業員を見かける。
 約90キロ走ってユビスに着く。2時半だ。



 村の入り口で中年女性に呼び止められる。どこの国から来たのと。ボクらはアジア人の風貌だからどこでも目立つ。興味をもった人が話しかけてくる。こちらもその機会とらえて、いい宿を紹介してくれませんかと尋ねる。地元女性が推薦してくれたガストホフは家族的で英語が通じる。そのあたりを配慮して紹介してくれたことに感謝する。
 ガストホフとは日本でいうところのホテルと民宿の中間のような存在で、ここのガストホフは名前をFriedemannという。
 2002年のドナウの大洪水で、このガストホフもやられてしまったことがホテルの玄関脇に写真で示されている。ヨーロッパの異常気象がドナウの洪水を引き起こし、このユビスの小さな村がほとんど飲み込まれてしまい。このガストホフもグランドレベルから2メートルの高さまで冠水してしまった。
 もちろん地下室は水没だ。それから3年かけて修復したというガストホフは新築のように輝いていた。
 ホテルのバーテンを務めるマーティンは23歳だ。洪水のときどこにいたのと尋ねてみた。3年前の8月中旬のある朝の9時頃、自宅にいて洪水の襲来を知った。すでに洪水はいつものドナウの水面から8メートルの高さとなって町を飲み込んでいた。急いでホテルに駆けつけようとしても泥の海でそれができない。いつもはクルマで行くところをようやくボートで駆けつけることができた。彼の両親は2日間ホテルの2階にとじこめられたままだったなどと当時のことを話してくれた。ドナウの洪水はごくまれに起きるらしい。前回は1954年だったという。
 彼と話していて、いろんなことがわかってきた。今日はとても寒い日なのでお客は少ないが、7月から8月のハイシーズンにはドイツを中心に世界中から毎日5000人のサイクリストがこの町を通過するので、とても忙しいという。
 このガストホフからリンツのホテルに電話し、支払いを忘れて発ったことを詫び、カード番号を伝え、決済してもらった。

●観光船で下る「青きドナウ」  第11日(6/10金)

 デュルンスタインまで35キロ。今日もオーストリア全体が雲の下のようだが時折薄日も差してまずまずだ。道もよいのでメルクまではあったいう間だった。
 この町で何か子どもたちの催しがあり、アコーデオンなどを演奏したり、竹馬みたいに長い棒の上に乗って歩く「足長少年」もいて、とても賑やかだ。ホテルの前ではなごやかな結婚式のお披露目行われていた。バンドつきだ。
  ここメルクはドナウの一角に大きな修道院が建ち「オーストリアバロックの至宝」と呼ばれている。遠くからでもその美しい姿が見られる。そしてクレムスまでの約40キロの区間は毎日観光船がでている。
 このもっとも美しいところを観光船で行く。オーストリア号という観光船は日本語の案内もあり、ウィーンを訪れた日本人のドナウ川ツアーが盛んなようだ。「青きドナウ」はこのあたりだ。

 船の上からはビールを飲みながら川面に立つシェーンビュール城(右岸)、旧石器時代のヴィーナス発掘のヴィレンドルフ(左岸)、英リチャード王幽閉のケーンリンガー城跡があるデュルンシュタイン(左岸)を眺めていたが、あまりに美しいので下船する。
 下船していきなり断崖の上の洞窟に消えて行くように作られた階段があり、どうもホテルのようだ。なんという心憎い設計なんだろう。すこし高かったがこの古城ホテルSchloBJに部屋をとる。風呂つきの豪華な部屋からドナウを眺めることができる。ドナウテラスと名付けられたテラスからはさきほど降りたオーストリア号がクレムスから遡上してきた。夢のようなロケーションだ。サウナもあり、久しぶりに入る。

●ついにウィーンだ  第12日(6/11土)

 ウィーンまで113キロ。
 今日の天候は高曇り。古城ホテルで帰国便変更手続きを完了させる。ホテルのレセプションでルフトハンザのホームページから簡単に連絡先を見つけくれて、先方から電話をかけさせてくれた。
 道はクレムスへと続き、ここからはクレムス川を行き、右岸に渡りたいが、間違って高速道路に入り込んでしまった。後ろのクルマが注意してくれるが、危なくて引き返せない。やむなく土手から慎重に脱出する。原因は何本にも分かれた自転車道の行き先表示を見落としたことにある。
 チュールンまでが遠かった。このあたりは河口から1990キロの標識がでている。行き交うのは観光船ばかりではない。大きな台船にいろんな物資や鉱物を積み、先頭のタグボートと後ろの動力船に押してもらいながら遡航している。また新車を満載して遡行している船もある。その横を中高年グループのカッターが行くといった案配だ。
 クロスターノイブルグを抜ければ、ようやくウィーンの森だ。今日は土曜日なので自転車道路はウィーン市民で込みあっている。なかにはロードレーサーに乗ってさっそうと走っている男女も多いが、日本の多摩川ほどではない。一番多いのはサイクリング車だ。

 ウィーン市内に入る手前で、ドナウは新川と2分する。その細長い中州を走る。ゆっくり、ゆっくりと市内に向かって行く。
 このあたりのドナウですごい橋を通った。一見、片道1車線の普通の道路のようだが、クルマはまったく走っていない。ここを通れるのは歩行者と自転車だけで、クルマは100メートル上流に平行して架けられた橋を通っている。ウィーンのドナウにはこんな橋があるなんて想像すらできなかった。
 何回も現在地点を人に聞いたりしながら、都心に徐々に迫って行く。ドナウ運河を渡り、午後5時前、ついにウィーンミッテ駅と近くの観光案内所に着く。

 ここで、とりあえずの宿の確保と市内イベント情報を入手する。疲れた足取りで向かった先は8階建てビルの最上階にあるペンションDr.Geissler。とても小さい表示であやうく見過ごすところだった。
今回のドナウの旅は延べ走行距離が773キロとなった。

●清冽なウィーン少年合唱団の歌声 第13日(6/12日

 今日は体をやすめてのんびりしたいところだが、日程が詰まっていてウィーン市内の観光だ。たまたま日曜日だったので王宮礼拝堂で朝からミサがある。そこまで地元のウィーン市民に案内してもらい、道すがら、いろんなことを話すのも楽しい。ただのミサではない。ウィーン少年合唱団がミサに参加するのだ。これはちゃっかりと観光コースにはいっているので8ユーロの料金をとられるが、清冽な歌声が心にのこった。
 午後はホテルを引き上げ、Sさん希望のユースホステル Ruthensteinerに移り、ウィーンの最後の2晩をすごすこととする。ユースの情報も案内所にあり、ユースの詳細情報が満載されているので、条件のいいところを選び、自転車で市内を移動する。道が入り組み、所在地を探すのはたいへんだったが、立ち止まり、きょろきょろするだけで、あるいは地図を振りかざすだけでほとんどの市民が助けてくれる。旅行者にとても親切というのが第一印象だ。ユースでは雑用をいろいろとこなし、夕方にはウィーン名物のホイリゲを楽しむ。ホイリゲとは、いわゆるボジョーレヌーボのことで今年の新酒を田舎料理で楽しむのだ。ちろんウィーンの森で。
 夕方のドナウの岸辺に立ってみた。ドナウはとうとうと流れ、スロバキア、ルーマニアなど東欧諸国へと続いている。この大河を10日間かけて、約4分の1の長さにわたり下りウィーンまでたどり着いた。この感激がじわじわとこみ上げて来る。たぶん2度と訪れることはないだろう岸辺からの光景をしっかりと脳裏に焼き付ける。



●マリアテレサのシェーンブルン宮殿 第14日(6/13月)

 午前中は市内見学で日本語案内がつくミニバンに乗る。
 ガイドはモニカという中年女性でウィーン大学で日本人から日本語を習ったという。「てにをは」の使い方がおかしいので注意すると「以降、気をつけます」。旧市内の城壁沿いを一周して歴史的な建造物やモーツアルト、ベートーベンなどの彫像を車内からみる。大きなマリーアントワネットの母、マリアテレサの像がある。250年前に統治した女帝だ。
 ウィーンの人口は当時5万人ほどで19世紀なかばまで続く。現在は150万人でローマンカトリック80%、プロテスタント5%、ユダヤ15%。遠くに見える大観覧車は53年前の映画「第3の男」の舞台のひとつで、ドナウ運河は100年前につくられた。この音楽堂で3年前のニューイヤーコンサートの指揮を小沢征爾がつとめたなどと、ガイドの取り留めがない説明が続く。
 ベーデベル王宮公園に立ち寄る。女性スクインクスが庭園を護っている。そのおっぱいは観光客の手垢で黒光りしている。
 シェーンブルン宮殿を見学する。14世紀から17世紀にかけてオーストリアを支配したハクスブルグ家、なかでも、女帝マリアテレサにまつわる様々なものが展示されている。またナポレオンが支配し、この城で暮らしたあとなども残されている。彼女の娘、マリーアントワネットがフランス革命でギロチンの露に消えたように、フランスでは当時の文化は革命でことごとく破壊されたが、ここでは当時の文化が色濃く残されている。
 夜はクラシックコンサートを楽しむ。観光客向けのショートプログラムだったが、モーツアルトを中心に素晴らしい室内演奏だった。最後のほうでヨハンシュトラウスの青きドナウも演奏された。この曲と最後に脳裏に焼きつけたドナウの岸辺の風景が重なり、いよいよ旅が終わったと実感した。

●さらばウィーン  第15日(6/14火)

 帰国の日。6時半にホステルを出発する。ウィーン国際空港は市内から南東20キロ。アクセスは、シティーエアーポートトレイン(CAT)でウィーンミッテ駅から利用した。
 ホステルから自転車でそのまま地下鉄へ、そしてCATも自転車で。なんと空港のカウンターまで自転車で行ってしまった。駅には必ずエレベータがあり、自転車は電車から簡単に駅構内を移動できる。CATは成田エキスプレスのような雰囲気の電車で16分で空港に着く。
 空港では輪行支度に1時間。チェックイン時にリザベーション変更料金100ユーロを支払う。自転車デポ時に爆発物チェックがあり、輪行袋を開けさせられる。初めての経験だ。
 定刻にウィーン国際空港を離陸。さらばウィーンよ、ドナウよ。(了)


TOP