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イギリス北部と南部を横断


サストラン運動を学ぶ旅

 「スイスにはたくさんの山々があり、スエーデンの冬はより寒く、ドイツではクルマの所有率がより高いけれど、どの国も自転車旅行はイギリスの5倍だ。」
 ある時、この言葉をイギリスのサイトで見つけた。そう、イギリスはこれらの国々よりもサイクリングに恵まれた環境にありながら、まだまだサイクリングが普及していないことを自認し、国民的運動により普及に乗りだそうというわけだ。
 このイギリスの団体の名は「サストラン」。 "sustrans" とは、"sustainable transport"・・・「持続的交通手段」の略語で、イギリスでの交通の主役を自転車中心に据えようという理想を持ったNPO運動だ。クルマによる旅行を控えて、自転車で旅行すれば健康と環境によいと呼びかけて、そのための様々な条件整備を行っている。

   

ブリストルのサストラン本部(左上)と事務所内部(下)。
近くのビル壁面には「全英サイクリング網」のレリーフも(右)。


 1977年7月から始まったこの運動は、走りやすいサイクリング道路の全国的整備をすすめているわけだが、整備の方法も、運河の昔の「曳舟道」を利用した"Waterway Path" や、鉄道の廃線後を利用した "Railway Path" などユニークなサイクリング道路もある。運河の岸辺をサイクリング道路に変える取り組みは、運河の管理会社との交渉によって実現させ、鉄道発祥の地でありながら鉄道の民営化も進んでいるイギリスの「廃線跡」のレールをはがしてサイクリング道路としているのだ。どちらもイギリスらしい特色である。こうしたルートのほか、一般道路とサイクリング道路を併用するルート、"Traffic free sectoins"・・・すなわち自転車専用道を組み合わせ、整備しているのである。

 こうして2005年現在、北アイルランドを含む英連邦全体で16,000km(10,000マイル)の「全国サイクリング網」・・・"The National Cycle Network"が整備されている。ドイツ国内の総延長38.000kmの遠距離自転車道整備(1999年2月現在)には及ばないものの、安全に走れるルートの標識も整備されてイギリス全土に広がっていること自体すばらしい取り組みであることに違いはない。
 今回の目的は、こうしたイギリスのサイクリング道路を実際に走り、その特長などを学んでみたい。サストランは2007年の6月末に創立30周年を迎えるという。


 ちょうど同じ時期の1978年、日本ではどうだったか。官僚どもが考えたのは、車道の自転車は安全上問題があるので、一部の歩道を自転車通行可にして歩道に上げてしまえと道路交通法改正を行った。クルマにとって自転車は邪魔者扱いという考えを政府が追認したのだ。このあくまで暫定処置が今日まで30年間も続き、そのため自転車による歩行者の死傷事故の急増、自転車運転のマナー破壊、自転車専用道整備棚上げなど、様々な問題を引き起こしている。
 この同じ時期にイギリスでは、理想を現実に変える努力が着々となされたのである。この手法はサイトで見る限り、ロービー運動とボランティアによる土木作業で自転車道を整備したり、交通量が比較的少ない一般道を自治体と協働して自転車道として併用させるなどの整備を進めたという。記録によればボランティアの数は、1993年に200名であったものが、2001年には4万人に達しているという。

  サストラン は、こうして整備された全国サイクリング網の利用を国民に呼びかけ、多くの人々が、彼らの生活の中で初めて休暇をサイクリングで過ごすというアイデアに惹かれはじめるなど、積極的利用もはじまっている。
 2007年にはサストラン に一度でも関わった人たちに対し、サストラン 運動30周年記念日(6月30日)から1週間をクルマに乗らないようにしようと呼びかけ、みんなが実行すればクルマの交通量を10%減らすことができると訴えた。この運動の最中にイギリスに行くことになる。

 さらに、サストラン の理想からすればこうして構築された全国サイクリング網の利用は旅行者だけでは不十分で、国民の日常生活にこそ自転車が積極的に利用されなければならないと考えられており、実際、自転車通学や通勤に利用され、全英の利用者は年間2億3000万人が利用していると誇っている。
 全国サイクリング網の随所には、案内標識のほか、サイクリングを楽しくするための演出も施されている。多くの芸術家の手になる彫像やオブジェをルートに配置し、人々を楽しませている。この演出のために、スコットランド・ロイヤル銀行は、芸術家が制作した1,000点の彫像やオブジェの設置費を負担した。


イギリス北部 "C2C" ルートのこと

 全国サイクリング網のひとつに"C2C" と呼ばれるロングルートがある。R71・・・R7・・・R14とルート番号を辿って行くこのルートは、イングランド北部のスコットランドに近いアイリッシュ海側から湖水地方を抜けて、北海側に至るイギリス本土を西から東へと横断するように作られている。もとの意味は "Sea to Sea" で、文字通り海から海へ・・・"C2C"だ 。このルートは一般道(4%)と地方道(50%)、自転車専用道(46%)が巧みに組み合わされており、しかも、このルートの最後の40キロは "Consett & Sunderland" と名付けられた "Railway Path" 、すなわち廃線後を利用したルートだ。イギリスのサイクリング環境を最もよく体現しているロングルートだ。

 このルートは1994年に開設された。湖水地方を通り、「イギリスの屋根」と呼ばれる標高609mの峠を越えて、年間15000人のサイクリストがアイリッシュ海から北海へと走っている。イギリスのサイクリング道路のなかでも最も有名なこのルートは英国航空がスポンサーとなって「明日の旅」賞に選ばれた(1995)のを手始めに、スミソニアン環境賞(1998)。英国観光協会銀賞(1999)を受けるなど、イギリス国内旅行のなかでメジャーな存在となってゆく。

 通常、このルートは3泊ないし4泊で行くのだが、2006年に10時間で走り抜けたものもいるし、69歳の年金生活者が最高齢だというので、ボクも登録したいが、2泊で十分だろう。このルートの維持のために個人として最高寄付額は116万円、アメリカの「フォード」も300万円の寄付をしている。
 イギリスは西から東へと風が吹いているので、スタートは西海岸からを奨めている。
スタート地点は、West CumbriaのWhitehaven がよく、"C2C"の大きなルート標識が港に立てられている。
  サストラン は、このルートでスタンプラリーを行っており随所にあるスタンプポイントで6個以上集めて完走するとオリジナルデザインのTシャツを買い求める資格が認められる。
 Newcastle を通過しルート終点のTynemouthと呼ばれるTyne川河口には"C2C Gall Finish Post" が立てられている。

 ボクは出発点の Whitehaven に前泊し、途中の Penrithと Rookhopeで2泊しながらこのルートを走る計画を立て、サストランから"The Ultimate C2C Guide " (RG30)を購入し、これに基づいてGPSルート(220km)を作成した。




"C2C"ルートを走る

 イギリス北西部の港街Whitehaven の渚にある”C2C”の大きな標識はすぐにわかった。ここがこのルートのスタート地点だ。
 7月10日、近くのインフォメーションセンターで”C2C”ルートのスタンプカードをもらい、紹介されたNew Espresso Cafe というコーヒーショップで最初のスタンプを押してもらう。街中には”C2C”のサインがそこここといった感じで出されており、それに従って走れば問題ないのだが、ルートがちょこちょこ曲がっているので少々わずらしい。ルート上にたびたび現れる造形物。現代作家の様々な彫像が確かに置かれている。
 いつものことだが、荷物満載の自転車は重くて不安定だ。坂は結構きつく、ギアチェンジのタイミングがあわない。やはり有名ルートなので、サイクリストは多い。もっとも軽いギアで時速5キロの長い、長い登りを強いられる。これは想定外だ。標高300メートル地点を通過。ルートはB5292という一般道を組み入れている。ルートはなるべく車のすくない山側の裏道に作られているので、その登りにはうんざりする。それをショートカットするためにA66というセカンダリーロードを走る。高速道路なみの道路だから気が抜けないが、路肩に余裕があり、騒音のことさえ気にしなければ、早いし、エネルギーの消耗が防げる。ときどき、こうした道路でレーサーと出会ったりする。

C2Cルートスタート地点のホワイトヘブンの港(左上)。ルート上に造られたオブジェの一部(右上)。
 牧場で見かけた小型のラクダに似た変な家畜(左下)。気が遠くなるような長い登りが続くC2Cルート(右下)。

 岩山の形、植生はアイルランドのダブリンの近郊の山に似ている。しかし、原生林があり、Whinlatter Forest Park では、そこに生息する大型の鳥類の保護活動が熱心にやられているところなどはやはり、イギリスという感じがする。ここから200メートルの標高差を一気に下る。とても寒い。
 Keswick では2つ目のスタンプを受ける。ここは24時間営業のミニスーパーだった。
 急坂を登り終えたら、車がたくさん止まっているところがあり、なんと古代遺跡の環状列石が保存されているではないか。もしこの急な坂のルートを上らなかったら、遭遇できなかったことになるので、ルートはそれなりに考えて作られているとも言える。
 Penrith の手前に「C2C 36/100」という標識が突然現れる。
 ようやくのことでPenrithに着く。すでにインフォメーションセンターは閉っている。スタンプカードを見ると角にある自転車店が印刷されていたので、簡単に3つ目のスタンプをゲットできた。ついでに宿の在処を教えてもらい歩いていたところ、大きな赤ら顔の男から声がかかり、なにか探しているのかというので、安いホテルだというと、その方向を指してくれた。ありがたいが、地元の英語がうまく聞き取れない…というか、標準からすれば、かなり崩れている感じがする。Albany Houseという B&Bに転がり込む。夜はここで紹介してくれたパブLOWTHER ARMS に行く。ギネス2杯と野菜スープ、チキンサラダに満足した。(到着は17:30 走行距離90km、最高時速60km)


 ”C2C”ルート2日目(7月11日)。8時半にB&Bを後にする。
 A686を行く。ドナウの源流近くのような豊かな流れを越える。アイルランドのように牛が道路にでて移動していった。牧童は驚かさないようにと手で、ドライバーに合図している。今日は高曇り。サイクリング中のスタイルは、7分レーパンに黒長靴下、Tシャツでアームカバーなし。でも朝は少し寒い。ラズベリーの路地栽培を見かける。
 長靴下は寒さ対策だけでなく、茨や虫対策として必要。道ばたのウサギが自転車に気づいてあわてて逃げて行く。斜面には1本の松といくつかの穴ウサギの巣穴が見られる。道すがら一番多いのはこのウサギで、この穴ウサギの死体もよく見かける。敏捷さのわりには事故に遭遇してしまうようだ。いたるところに彼らの巣穴があり、なかには、オフロードの下から穴が始まっているのもある。
 今度現れたのはリスだった。牧場では羊のほか小型のラクダのような首の長い動物、顔は犬のようで、黒、白、茶などの変わった「家畜」も見かけた。
 ルートは標高500メートルの高原を通過しなければならず、急な登りに苦しめられる。ペンリッシュから約300メートルの登りだ。この高みでA686に合流する。高原の上を風が吹いて寒い。11時。Hartside Sumit 1903 feet (578メートル)と表示されていた。


 寒いのでアームカバーを付け合羽を着る。
 峠の路面はガスでぬれていた。峠から200メートルを時速45キロの速度で下る。豪快というか、危険きわまりないというか・・・。ギアはフロントアウターを使った。そして16%と表示してある急登坂だ。winter condistion can be dennjalus と表示がある次の峠が待ちかまえている。西風が樹林帯をざわざわと鳴らし自転車に取り付けた「鯉のぼり」の風車が音を立てる。そのほかは何の音もない。登ってきた長い道路がくねっている。
 標高605メートルの2つ目の頂上。12時30分。スミレのかわいい群落があり、牧歌的だ。続いて標高574メートルの峠を下る。村とも言えない小さな集落にもスタンプポイントがある。そのAllenheadsのパブでもスタンプをゲット。途中で親子3人連れのサイクリストを追い越す。「とても大変な登りですね」と声をかけると、「オランダなら優しいのにね」と返してきた。
 今日のとどめは、ダートの峠越え、ひどい「ごろた」で走れない、しかも急斜面だ。ひたすら「押し歩き」の苦難が続く。峠のピークがなかなか近づかない。ようやくたどり着いた517メートルの峠には廃墟があった。峠を降りきったRookhope もたいへんな田舎の集落で、ここはスタンプを押してくれるはずのパブもしまっている。予定ではここに泊まることになっているのだが、時間も早いことだし、先に進むことにする。

 泊まる街をConsettと決め、街に向かうが道を失う。しかたないので、GPSを頼りに走ったところ、うまい具合に、サイリングパスに乗ることができ、そこから一般道路に廻り、Consett 到着17:00、距離93キロ。
 疲れているのだが、今夜の宿を探さなければならない。駅前でご婦人が教えてくれたB&Bを探しまわり、ようやく見つけたと思ったら、留守で電話も通じない。もしやと思い、サストランのマップをめくってみるとYMCAのホステルがあることがわかり、通りかかった女性に聞いたら、1マイル先だという。シテイーセンターに戻る方向だが、はっきりしないので、パブで聞いたら、ある男性客が親切にも地図を書いてくれ、無事に到着することができた。ホステルにいた男性に「泊まれるか」と聞くと予約していないと駄目だとつれない返事。それでも受付の女性を捜して、掛けあってくれたらしく、その女性が「ベッドはあるよ」「朝食は食べるの」と声をかけてくれた。こうして一人部屋に泊まることができたが、もうよれよれ状態だった。夕食は近くの大きなパブでチキンサラダとラザニアを食べ、ギネスで疲れをいやした。日本で発行されたユースホステルのカードが役に立った。
 街で宿を探し回ったので今日の総走行距離は101キロとなった。最高スピードは62キロを越えていた。


 いよいよC2Cルートの最後のコースだ(7月12日)。
 朝のホステルは静かだったが、思い切って「インターネットは使えるか」聞くと、専用の部屋が開けられ、10台ほどのパソコンが並んでいたのには驚いた。日本語の表示も可能でしかも無料。ホステルは実にありがたい存在である。ここでメールチェックをした。

 今日は昨日に比べると短いコースなので、多少出発が遅れても安心である。大型スーパーの受付で、この街のスタンプを押してもらい、10時20分に街を後にした。朝からパラパラと降っていた雨は止んでいる。コースは下り基調なので、標高250メートルから、緩やかに下って行く。でも時々パラパラと小雨。16キロすぎたところで”C2C”の標識が現れる。森の中の一本道でダートながら両側の下草も刈られており、気持ちのいい散歩道だ。標識には自転車、歩行者のほかに馬の絵も出てくる。道には馬の糞も・・・。昨日の峠のオフロードと違いとても気持ちがいい。サイクリングパスは途中で簡易舗装に変わり、さらに小さな流れに沿って行く。快適だ。犬連れの散歩、二人連れの女性の散歩など多目的に使われている道でもある。
 標高はついに10メートルを切り、いよいよニューカッスルが近づいてきた。街中では自転車を歩道の上を走らせており、日本のやりかたと同じ。途中で10数人のグループに抜かされたが、高校生と先生らしき指導員が前後を走っていたので、サイクリングは授業のプログラムだと見た。

 ニューカッスルの街はタイン川の両岸に開けた街で、古い大きな橋がかなり高いところを何本も渡されていたり、その横にガラス張りのピーナッツの形をした奇妙な新しい建物や、すばらしいデザインの歩行者自転車専用の橋があったり、見ていても楽しい街である。街の中心の橋の麓の貸し自転車屋兼観光案内所でスタンプを押してもらい、変わったペデストリアンブリッジを歩いていたところ、「日本の方ですか」と3人連れのなかの女性が声を掛けてきた。こちらで留学しているらしく、言語学や看護学などを学んでいるという。”C2C”のことはもちろん知らない日本人で、そのことを話したら驚いていた。
 ここからルート終点の河口まではかなりの距離があり、アップダウンも結構きつい。日本と同じで川岸は企業の敷地が占めており迂回を余儀なくされる。途中で馬に乗った女性の2人連れと出会う。

 

 


 サイクリングの最後はダイントンネルという歩行者自転車トンネルでエレベーターで川底まで下り、「押し」で300メートルほど歩いて対岸に渡る。
 こうして遂にゴールの広い河口に到着。ここまでの距離は51キロで、到着時間は14時40分。C2C終点のモニュメントの前で写真を撮り、河口の風景と古城を眺め、イギリス東海岸の海水に手を浸けたりした。

 サストランの人気ルート”C2C”をなんとか完走したが、文字通り、イギリスの屋根を越える大変な山岳ルートだった。3日間では少しきつかったが、あと1日掛ければ、ゆっくりと走れると思った。3日間の走行距離は243キロとなった。






イギリス南部 ブリストルからドーバーへ

 7月18日。イギリス南部の西海岸から東のドーバーまで走るためにGPSをセットして、ブリストルの中心部から西海岸Pertisheadに向かう。約11キロほどで海岸に到着できる見込みだ。エイボン川の高速道路橋(M5)に併設されている自転車歩行者橋を渡る。この橋を降りたところにサイクリング道路があり、僕が走る方向も明示されているので安心した。ルート番号33のサイクリングパスに入ると所々に大きな水たまりがあった。快晴で風は冷たいが、まことに爽快。
 突然、目の前に三菱の車がずらりと並べられているところに来た。ナンバーのない陸揚げされたばかりの輸入車だ。続いて反対側にはトヨタ車だ。コンパクトカーからランドクルーザーまで車種も多い。車の屋根には白いビニールが張られ、遠くにガントリークレーンも見える。かつて日本はサッチャーの圧力に屈してスコッチの関税を下げさせられたことがあったが、この光景を見るとそんなものじゃないことがわかる。ものすごい数の日本車が輸入され、この国の経済活動にも大きな影響を与えていることが実感できる。



 高台の民家の屋根越しにアイリッシュ海が泥海のように見える。11時、西海岸に着く。ここでサウジアラビアの三菱のプロジェクトで20年間もタービン関係の仕事をしていたという男と出会う。彼の妻はインド女性という。いろんな人がいるものだ。サイクリングの始まりの標識らしきものはないが、ここから東海岸のドーバーに向けてスタートする。
 エイボン沿いの自転車パスは快適だが、時々ものすごいぬかるみがある。ブリストルではサストラン本部を訪れ、資料を求めたり、"C2C"で集めたスタンプカードを提示してオリジナルTシャツなどを買い求める。近くのビルの壁面で大きな全英サイクリング網のモニュメントを見て、川端のレストランで休憩してから、ブリストル郊外の知人の家に向かう。今日の走行距離。63キロ。


 7月19日。知人宅から一旦ブリストル市内に戻り、ルート4に乗ってバースを目指す。サストラン運動でもっとも最初に作られたというブリストルからバースへのルートだが、市内通過がわかりにくく、同方向に進んでいる中年カップルの後をついて進む。中心部をはずれたところにバースまで15マイルの標識。



 サイクリング道路は木立のなかにあり、一般道路からは見えず、いわゆる廃線跡に作られた自転車パスだ。かつて鉄道の駅であった名残りのプラットホームやトンネルも残されている。1815年に造られた駅の待合室では、ちょっとした民間のスナック店が出ており、簡単な昼食を取る。ビーンズ・オン・トーストというその名の通りのものは、なかなかだった。
 かつてのレールの一部や機関車なども残されており、その中の2キロほどの区間を利用して土日に蒸気機関車などを走らせている。このルートはさながら「鉄道博物館」だ。
 イギリスの車はドイツと違い、自転車を見ても止まってくれない。日本と同じだ。バース着、14時半。
 YMCAブリストルというホステルを確保。自転車は外に置いて鍵を掛けろというので、前輪を取り外して部屋に運びこんだ。夜はアイリッシュ・バブで伝統食のシチューを食べた。海鮮チャウダーも美味かった。早めに切り上げ、疲労回復にあてる。本日の走行は47キロとなった。



 南部横断3日目(7月20日)。リーディングまでの中間点のハンガーフォードまで走りたいが、ここには宿がないので、手前の街まで走ることにする。残念ながら雨の出発となった。
 ルートはレイルパスから運河沿いのパスに変わる。サストランのルートの典型はこうした既存の環境をうまく取り入れているところにある。早速、現れたのは運河に浮かぶナローボートで、停泊しているのもいるし、動いているのもいる。雨のなか所在なしげにぼーっとしているオーナーもいる。それがいいのだろう。ボートを持たない人や観光客のために雨のなかでも観光ボートが動いている。

 ボートのオーナーも様々で、所帯道具一式を満載し難民と言った感じのものや、実際にそこで暮らしている雰囲気が伝わってくるもの、それに週末の遊びのための華麗なものなど、実に様々。
 運河そのものは道路より、そして鉄道よりかなり高いところに造られ、自然の川のはるか上を通過している。小さな町モールトン通過。10時。



 運河沿いの1メートルも満たない道には鴨の雛がいるし、白鳥もこの環境のなかで共存している。実際、パスの幅はわずか10センチのところもあった。これがロンドンまで通じているのである。
 運河脇のナローボート停泊所には100艘以上のボートがひしめいていた。運河は閘門(こうもん)を利用して少しずつせり上がっている。ボートを操る人たちはボートを閘門に入れて後ろのゲートを締め、前のゲート下部にある水のドアを開けると水位が上がり、進行方向の運河と同じレベルになる。そこで前方のゲートを押し開きボートを通す。この繰り返しだ。ゲートは重いので大人の力が必要だが、水のドアの上げ下ろしは子どもでもハンドルを回すだけだ。実に優雅というか、のんびりしたものだ。こうして標高130メートルまでせり上がっている。
 ナローボートはサイズにより異なるものの、通常のもので年間1000ポンド(約25万円)で免許がもらえ、運行できるという。



 ルートは、ダブリースの街で一般道へと変わる。雨は激しく続いており、完全装備もいつしか濡れてくる。午後1時すぎに休憩したが、そのあとしばらく走ったところにB&Bを見つけて転がり込んだ。皮肉にも、宿に入ったとたんに雨は止んだ。
 ここはPewsey という小さな村だ。1818年に建てられたB&Bはパブの上にあり、床が少し傾いており、ドアの隙間から風も入り込んでくる。夏なのに暖房をしている。濡れたものを乾かし、洗濯してから久しぶりに風呂に入る。
 運河だから水平かと思ったが、上りがあったとは意外。本日の走行、65キロ。


 本日(7月21日)はロンドンの西側にあるレディング Reading まで。
 昨日の豪雨で1000軒の家が冠水し、一部の市民は仮の避難所で一夜を過ごし、60人がレスキュー隊に救出され、高速道路も一部浸水したという。

 その後、豪雨の被害は広がり、35万軒が断水、5万カ所で停電するなど、60年ぶりの洪水被害となった。オックスフォードやウィンザーでも冠水したが、イギリス最長のセバン川や、僕が走っていたテームズの上中流で水が溢れでたというが、その通りだった。



 運河と出合ったので入ってみたが、芝生だけで道はなかった。コースではないので走りにくく、3キロほどで離脱する。出発して20キロ、10時頃、ルート4の標識と出合う。ルートは運河に沿ってつかず離れずで、時には街のなかを通過している。
 気持ちの良い森林公園のような丘の上、10月頃のような気候ですこし肌寒いが、走っているのでちょうど良い。
 7人ほどの2家族と見受けられるサイクリストの集団と出合う。Newbury 手前の3マイル地点でルートは運河に戻る。ここから Reading までの距離は22マイル。現在の距離は36キロ、時間は11時。

 Newbury 着は11:30、41キロ。かなりのにぎわいで、たくさんの観光客が憩っている。ナーローボートのような形をしたピザ…チーズ、黄色と赤のピーマン、椎茸、コーン、タマネギ、ケチャップ・・・は、なかなか美味。この街を過ぎても運河沿いのルートが続く。さながら水郷・柳川の雰囲気もある。

 昨日の大雨で道路が冠水しているところも通りかかる。
 Thatcham  の駅からまた運河に戻る。ロンドンまでは直線で98キロとなった。運河沿いの牧場の中を進んだところ20頭ほどの牛に進路ふさがれ、驚かさないようにゆっくりと避けながら無事やり過ごす。ところどころ運河があふれ、自転車パス越しに遊水地に流れたり、またはその逆で遊水池から運河に流れ込む水のためにパスはしばしば冠水している。その長さは300メートルを越えるところもあり、深さもペダルまで。傾斜がついていたり、かなりの早さで流れていたりするので、転んだらお仕舞いだと恐怖感もあった。時には小魚の群が先導してくれたりする。水中サイクリングだ。




 Reading 着、3時15分、74キロ。ロンドンまでは80キロとなった。しかしツーリストセンターが閉鎖されており、宿探しに困る。パブに飛び込み、聞いてみるが、埒があかず、客に聞くと近くの安宿を教えてくれた。そこまでたどり着くまで何度も道をたづねる。ようやくたどりついたが満室だ。しかたないので近くの宿を紹介してと頼んだら、そこの客がつい目と鼻の先のB&B Abbey Lodgeを紹介してくれた。25ポンドと安く、朝食なし。部屋はこじんまりとしており、機能的。泥にまみれたリア・バゲージに気が引ける。4時20分。80キロ。




 7月22日。いよいよロンドンに向かう。想像とはかなり違うルートでとても印象的。B&Bの3階の部屋の窓からはテームズ川の早い流れが見える。レディングからはこのテームス川をたどることになる。

テームズ川に沿ってロンドンへ

 早朝の気持ちよいテームズ川沿いを走り、レディング郊外の市街地をくねくねと抜ける。ルート4のサインを見落とさないようにしなければならない。
 時にはA級道路の横を走ったり、高級住宅地の中を抜けることもある。そしてカントリーサイドへと続いている。ルートを見失い、ルートファンデングに切り替え一般道A4に乗るが、騒音がうるさい。
 9時すぎ、ブラウンフィールド通過。朝食休憩後ルート4に戻り、高速道路M4を高架で横断する。
 テームズ左岸に入る。「どろた」の滑りやすい悪路が長く続く。こんなところで転びたくない。そのことに神経を使い疲れてしまう。大きな橋を渡り右岸に入る。日曜日の静かな住宅街を抜け、草原の気持ちよい道に入る。広大なウインザー・グレートパークだ。たまにはこんな道もいい。大英帝国の象徴ウインザー城がはるかかなたに浮かびあがっている。
 ヒースロー空港の南あたりで、またもやルートを見失い、GPSに切り替え。テームズ沿いの道に戻る。大きな橋を右岸から左岸に渡り、一般道を行く。ついに走行100キロを越える。
 4時半、110キロ。ロンドン塔を過ぎ、ロンドンブリッジの近くでホステルSt.Christopher's Inns をゲット。ひたすら訪ねまわった結果だが、シングルの2段ベッドの部屋は56ポンドと高い。やはりロンドン。

 7月23日。ロンドン観光は昨年40キロほど市内を走りながら行ったので、今日はChatham チャタムまで。ロンドンからドーバーまでのルートは "Garden of England Cycle Route" と呼ばれており、文字通りイギリスの庭を旅することになる。
 走りだしてからフロント泥除けの支え金具が脱落しているのに気づく。走行中の異音はこれだった。悪路の振動でアルミ製の泥除けがダメージを受け脱落したのだった。
 今日は高曇りでうすら寒い。テームズ川沿いには大きな橋が何本も架かっており、川沿いの石畳は走りにくい。
 Eveth を過ぎてGravesend の町で昼食。3時。65キロ、B&BはSt.George Hotel にチェックイン。40ポンドですこし高めだが、ロンドンのホステルより、格段の差だ。これで朝食付き1万円。日本のビジネスホテル並みだ。しかし設備と広さは比べものにならない。
 街の案内パンフレットをめくってみると、僕が7月8日に北イングランドを目指していたころ、この街にツール・ド・フランスがやって来たという。パンフレットには200人の選手と4800人の関係者、2000台の車がやってくるとある。この日、ロンドンをスタートしたレースはカンタベリーにゴールしたという。明日の宿だ。僕が2日間かけて走るルートをツール・ド・フランスは1日でやってしまうわけだ。そんなこともあってか、沿道には「LONDON Le Grand Depart」と染めぬかれた幟がまだ残されていたし、パンフにはNCNのルート1なども紹介されていた。地元にとっても一大イベントというわけなのだ。


 7月24日。朝方降っていた雨はあがった。今日はカンタベリーを目指す。短い距離なので、ルート1を辿ろうと思う。
 ほとんど雲のない快晴の空の下を走っている。ようやくにしてルートに戻った。 Faversham という小さな町でルートを訪ねたところ、もらった地図にはなんとツールドフランスのルートが印刷されており、僕のトラックと一部が重なった。つまりツールドフランスのルートにも乗り入れ入れたことになるわけで、光栄だ。



 ついにイギリスの東海岸に到着。カンタベリーの手前の Whitstable という小さなリゾート地だ。ドーバー海峡の美しい海岸で休憩。12時、51キロ。
 ここからは一転ダートのルートを辿る。よく整備されたダートでしかもほとんど平坦に近いので行き交うサイクリストも多かった。
 こうして13時40分、カンタベリーのインフォメーションに到着。67キロ。近くのKIPPS という小さな家庭的な雰囲気のホステルを予約して荷物と自転車をデポして街に戻り、カテドラルを見学した。イギリス国教の総本山といった歴史の重さを感じられる。王室とも確執があったという歴史をもっているという。内部の装飾の美しさはどこ教会も似たりよったりだが、ここではサービスと呼ばれるミサが行われており、うながされるままに入り込んだ。というより美しいパイプオルガンの音色に惹かれたのかもしれない。賛美歌とパイプオルガン、そして高い天井と装飾。これを見ていると、神の存在が現実であるかのように思ってしまう、そんな雰囲気がある。現実のさまざまな苦難を背負っている人々がこうした教会の雰囲気のなかで入信の動機をなることは容易に想像できることだ。


 7月25日。日程は1日早く進んでいる。事故、怪我、悪天候、病気などのアクシデントがないためだ。
 イギリスではどんな小さな町にもインフォメーションがあった。それは図書館であったり、カウンシルのオフィスだったりする場合もあるが、地図をはじめ各種の観光案内リーフレットが豊富にそろっているので感心してしまう。



 いよいよドーバーを目指す。イギリス南部横断の最後の日だ。天候は晴。
 サイクリングルートは最初はダートだった道もだんだんとローカル道路になり、やがてプレストン着。10時、16キロ。長靴を履いたおばさんが買い物かごのようなものを持って歩いている。おそらく畑で野菜を採るのだろう。ひなびた村の表示はプレストンと彫られた木のレリーフだった。
 サンドイッチ到着。10時50分。列車の汽笛がどこからともなく聞こえる。見渡すと遥かかなたに4両編成の列車が見える。とにかく広い牧場だ。
 Deal 着は11時半。ここで昼食。南風がかなり強い。美しいリゾート海岸で小ぎれいなホテルが並んでいる。茶色の小石の浜が続いている。深いブルー、薄いブルーの海の色が美しい。紫の花、黄色の花、そしてグリーンも美しい。大人が揚げているカイトが狂ったように空を上下している。遠くにはヨーロッパに向かうフェリーがおぼろげに浮かんでいる。そして白亜の断崖絶壁だ。宮沢賢治の「イギリス海岸」とはまるで違う光景に目も眩む。断崖は70〜80メートルの高さから垂直に落ちている。その上は花々が咲き競う草原で一帯はトラストとして保護されている。そこを自転車を引きながら歩く。人間の踏みあとだけの小道なのでほとんど自転車には乗れない。一歩一歩、絶景を楽しみながらドーバーに近づく。はるかにフランスらしき陸地が見える。ドーバー着3時。61キロ。
 直ちにインフォメーションでホステルを教えてもらい直行したが、5時から受け入れの張り紙があり、誰もいない。またインフォメーションに戻り、B&Bを紹介してもらい交渉。そのB&B Maison Dieu に荷物を預けてフェリー乗り場に行き、明日の便のチケットを購入。翌朝7時半にチェックカウンターに来いと女性社員に告げられる。とても広いフェリー乗り場で、状況のチェックと予約をしておいて良かった。これで12ポンドでドーバー海峡を越えることができる。
 帰路、2〜300人と思われるサイクリストの集団と出合った。そのなかの夫婦連れに、「サイクリング大会でも」と聞いたところ、今朝ロンドンを発って、これからフェリーでフランスに渡り、3日後にパリを目指すのだという。みなさん軽身のレーサースタイルとはいえ、ツールドフランス並みの強行軍ではないか。ロンドン・パリ間のサイクリングというのもが現実に行われていることに驚く。3つのルートに分れているようで、係員がグループの整理に忙しそうだった。
 港の浜辺では数人の男たちが楽しんだヨットを陸に引き上げていた。本日の走行68キロ。

 こうして8日間におよんだイギリス南部の横断サイクリングは無事に終了。延べ走行距離は566キロとなった。”C2C”ルートと比べると、平坦地がほとんどだったが、60年ぶりの大水害と遭遇したことで、水没ルートやぬかるみダートが多く、泥んこサイクリングを経験したし、大ロンドン通過では、GPSが真価を発揮した。
 インフォメーションセンターなどで宿泊情報などが簡単に入手でき、イギリスは旅行者への配慮が優れているという印象を受けた。



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