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ベルギーからオランダへ


 7月26日(2007年)。イギリスの北部と南部を横断し、ロンドンからドーバーに着いた。ドーバーの広大なフェリー乗り場には13ほどのレーンにクルマが200台ほど並び、別の場所にも50台ほどのトラックが乗船待ちをしている。僕のレーンにはオートバイやサイクリストも次々と到着した。サイクリストはパリまでの人達で、昨日の後続グループだ。ロンドン・パリ間500キロを4日間で走るという。

 全長130メートル、幅23メートル、1600人、280台を乗せることができるSEA Franseはいつの間にか出航していた。豪華フェリーは上2層に客室、レストラン、ショッピングなどがあり、下の3層は車やトラックが入る。自転車は広いパーキングの壁にもたれかけるだけだった。船内には自転車競技ツールドフランスを祝うポスターが貼られてある。

 黒雲が垂れ込めるなかドーバー海峡を越え、カレーから列車でブリュージュへ。カレー駅はエレベーターはおろか障害者にたいする配慮もない。ホーム下はクソだまりで、ホームで待っていると「隣のホームに行け」と突然の係員の大声。
 列車は高曇りのなか田園地帯を走る。係員のいう通りに乗った列車だが、どこに向かっているのか分からない。ドイツのように時刻表なども置いていない。乗り換えた次の列車では、パリからの中年2人のサイクリストと話す。彼らはキャンピングスタイルだ。京都生まれだといったら、「聖なる街、京都」と驚いていた。自転車の車内持ち込みは自由だが、特に専用スペースもないので、デッキや客室に持ち込む。
 車窓の農村の風景はイギリスもフランスもベルギーも変わらない。水つかりの牧場で牛が草をはんでいる。乗り継ぎ2回、ちょうど3時間でブリュージュに着いた。車掌、駅員、乗客、みんな親切だった。
 ブリュージュではユースホステル・ヨーロッパの4人部屋に入る。しかし実際はアメリカから来たという若いインド系の男性と二人だけ。




 夕食のムール貝とクリーム煮がうまかった。タマネギ、人参、香草類が刻んで入っている。ベルジャンビールのウエストマレーは最高だった。街で見かけた自転車はかなり重そう。高いし。サスペッションがあり、とにかく頑丈という雰囲気。ランドナーが可愛く見える。

 7月27日。今日はブルージュからアントワープに向かう。
 晴天のなかオランダのサイトで見つけたGPSトラックを頼りに100キロを越えるルートを走る。
 ブルージュ近郊。自転車を止めての立ち話の男たち。真っ直ぐな田舎道が続いている。道幅5メートル、両サイドは牧場と畑、向こうは森。フランスもベルギーも右側通行で少々まごつく。ルート67の標識があり、道はひたすら東へ向かっている。トウモロコシ畑を風が音を立てて吹き渡っている。
 サイクリングルートの標識はこまめにあり、わかりやすい。ひたすら真っ直ぐに続く運河沿いの道。時たまサイクリストが向かってくる。ベルギーの風景を形作っているのは直線的な防風林だ。アントワープに近づくにつれてサイクリストが増える。木靴が玄関先に飾ってあるのでオランダかと思い、可愛い女の子に聞いたが、やはりベルギーだった。
 アントワープ市内は自転車道と歩道が分離されていて走りやすい。川を隔てた街の中心部へはトンネルで渡る。重量6トン、80人も乗れる巨大エレベーターで地下30メートルに降りてから、歩行者・自転車道トンネルを渡るが自転車に乗れるのが嬉しい。



 午後3時、アントワープのインフォメーション到着。宿探しのためにGPSにウェイポイントを登録しておいたホステルブーメラン(Boomerang)はすぐに見つかった。ただし看板らしきものはなにもなく、ただ住居番号があるだけ。本日の走行126キロ。
 街ではウエストマーレに甘いスイートをまぜて飲んでいるオランダ女たちがいた。街を歩いていると黒い西瓜のヘタのような帽子やシルクハットをかぶっている男もいる。パブではタバコは自由なので煙い。部屋に帰ったら若いカップルが一人用のベッドに同衾していた。なんでもあるんだなぁ。

 7月28日。朝は雨模様だが小雨なら走ろう。オランダのブレダ(Breda) までだ。こちらの天候もなかなか読めない。高曇り、そして時折パラパラ。また青空がのぞく。早朝の街を出勤して行く黒ずくめの山高帽子のスタイルはベルギー独特のものだ。
 ベルギー・オランダ国境を通過。なんの変哲もない田舎の町の真ん中に国境を示す2重線が引かれ、EUの旗があるだけだった。
 長距離サイクリングルートLF2に入るが、いつの間にか LF9と変わっている。2時10分、ブレダ着。宿B&B Pen Singel に落ち着いた。90キロ。かなりの疲労で、夕食前にベッドで横になったらそのまま眠り込んでしまった。 Breda は、白い瀟洒なカテドラルを中心に観光客があふれていた。

 7月29日。夜中に降っていた雨はいったん止んだが、出発するころにまた降り出した。宿の女主人が心配してくれる。
 オランダの朝のテレビは日常的に自転車の面白さを伝えている。いろんな自転車のイベントの紹介のほか、GPSルートのCD版の宣伝までしている。さすが自転車王国だ。
 大切なことは、オランダは特にサイクリングルートでなくても、ほとんどすべての道に自転車専用道が併設され、自転車はそこを走らねばならないということだ。


 信号は歩行者用が赤でも自転車が青ならOK。道路交通のなかで自転車は独自の地位を獲得しており、車から自由に安全な空間を走ることができる。交差点には自転車専用の信号ボタンがあり、それを押すと2秒後にスタートできる。待ち時間はほぼゼロだ。ただし歩行者とモーターバイク、馬、それに馬車も一緒だ。つまりオランダの道路は自動車の為の道路と、自転車+歩行者+モーターバイクの為の道路の2種類があるわけだ。この2種類の道路が時には交差したりするので最初はわかりにくいが、慣れれば安全かつ快適だ。
 3人の男たちが泥除けのないMTBで首筋までドロドロになって走っている。なぜ泥除けをつけないのかと思う。雨は10時過ぎに止んだ。





 オランダのサイクリングルートはカントリーサイドをくねくねと回っているが、僕のような時間的制約のあるサイクリストも自転車専用道を走り、ダイレクトに都市間を移動できるのがありがたい。
 オランダのもう一つの名物は川を渡るフェリー。信号のようなボタンを押せば、対岸のベルが鳴った!。
 このフェリーは川に張られたワイヤーをたぐりながら横断しているが、実は無料だった。2度目と3度目のフェリーは有料だが、1ユーロもしない。
 右を見ても水平、左をみても水平、前も水平、これがオランダ。
 船に積み込むコンテナーを40個も積んでいるボートがやってきた。全長80メートル、高さ13メートルほどの積荷だが、水運がオランダでは主役の一つだと知る。

 ユトレヒトの郊外 Bunnik にあるホステルStayokay に到着。メンバーカードが必要だった。本日の走行94キロ、16時。
 はたして部屋はあるか。8人部屋が空いていたが、客は4人だった。田舎の森のなかなので、夕食の心配があったが、夕食はカレー風焼き飯定食といった感じのもので、まずくはなかったが、65歳のサイクリストから「スペシャルディナーはどうだった」と冷やかされてしまうほどの味だ。彼はスキポール空港近くに住んでいる配管工で、悠々自適の暮らしでカワサキのモーターバイクから自転車に転向したという、家族をなくし一人暮らしで自由を楽しんでいるといい、今夜は2人部屋を一人で独占しているらしくホステルのことは熟知している。その彼がワインとエスプレッソを奢ってくれた。こちらの名刺を渡したら、彼はメールもインターネットもやらないと、名前と住所を書いてくれた。
 夜中の2時に目が覚めてしまった。あのエスプレッソのせいだ。それから朝までがたいへんだった。


 7月30日。本日は アーネム(Arnhem) まで。オランダを走るのも馴れてきた。ここまで毎日とばしてきたので、日程が余ってきた。ルートなどを検討した結果、Arnhem に2泊して周辺サイクリングと休養、そして日本への連絡などにあてることにする。
 目指すのは、同じHostel stayokay で日本でGPSに転送しておいたものが役立った。やはり十分な準備がものをいっている。とくにホステルや、インフォメーションセンターなどの情報をこまめに転送しておくとよい。もうGPSなしにはサイクリングできないようになってきた。僕にとって特別の道具だ。
 朝からオランダの男性Wimと自転車の比べっこをし、互いに試乗した。彼のはミヤタ製のトラベラーズでシマノのコンポーネントをつけており、リアは9段、フロントは3枚でインナーは特別小さいものだった。1500ユーロ(約25万円)もしたそうだ。
 彼からブレーキが甘いと言われ、ボクのランドナーのブレーキアジャスターを調整した。重い荷物を積んでブレーキを多用するので、シューの減りかたが早い。
 今朝は、腕カバーを付けている。10月中旬の日本という感じだが、時々「狐の嫁入り」の凄いのがくる。黒い雨雲の下には雨が降っている様子が見え、来るぞとすぐにわかる。しかし5分もしないうちに雨雲は去って行き、輝かしい太陽が顔を出す。
 オランダにしては坂の多いルートで、3カ所から4カ所のちょっとした登りがあった。





 間もなく3年前にオランダのサイクリングのスタートとなったアーネムだ。駅前あたりの様子がうっすらと思い出される。2時半、64キロ。
 ホステルは2キロほど離れているので、インフォメーションで紹介してくれたシティーセンターに近いB&Bに2泊することにする。たいしてホステルと値段は違わない。シングルベッドの個室で、1泊35ユーロだ。

 アーネムのとあるパブでウエストマーレを飲みながら、地元の新聞を眺めていたところ、民主躍進、自民敗退を大きく扱っているのに、驚いた。菅がつけているバラは多く、安倍はほとんどつけられない写真も大きくでていた。
 そしてスポーツ欄ではオランダ語でアームストロングがどうとかと出ていたので、その意味を尋ねたところ、一人の客がスペインの選手が優勝したので、アームストロングを越えたという見出しだよと教えてくれた。帰ろうとしていた客は弁護士で、もう1杯つきあってくれて、オランダの道路に関することなどを話合った。60歳の彼はリタイヤして閑なので、明日、ゴッホの博物館に案内してやるよという。ありがたいことだ。腹が減ってきたのでうまいレストランを紹介してくれというと、それじゃ一緒に行こうと、インド・パキスタンのレストランに連れていってくれた。そのレストランで、チキンやラムのほうれん草煮とナンを食べたが、美味だった。
 明日11時に、宿に迎えに行くからといってくれて、自転車で帰る彼と別れた。弁護士も、自転車に乗っているのがオランダだ。

 7月31日。彼の名前はフランツ。彼が11時に迎えに来る前に、アーネムの近くをサイクリングすることにした。といっても往復40キロである。20キロ先の川の目標地点を一回りするのである。この川は地図で確認したところライン川であることがわかった。日本の常識では、川下になるほど、川幅は広くなるが、ドイツから流れてきたライン川はあちこち分流して、水量が奪われるせいか細い流れとなってロッテルダムに向かうようだ。
 少し街を離れるともう自然豊かな川辺である。利根川の風景に似ていなくもないが、もちろん家畜や船などは異なる風景だ。道を間違えて、向こう岸に渡るフェリー乗り場で向こう岸は川を下る道があるかと訪ねたら、ドイツに行けるとの答え。彼は10キロ下ったところにもフェリーがあってこちらの岸辺に戻ってこれるよと教えてくれた。
 80セントを払ってフェリーに乗り込むが、すぐに着いてしまう。フェリーの引きかたも変わっていて「浮き」代わりのボートから延びているワイヤーをたぐりながら渡ってゆく。
 偶然にもこのルートはオランダの長距離サイクリングルート LF3 であり、これがユーロサイクルウエイの一部ともなっている。折り返し点にきたので、別のフェリーに乗り、今度は右岸を戻ってきた。まことに爽やかだ。途中、田舎町の市場ではお祭り騒ぎだった。いろんな物が売られていた。野イチゴを2ユーロで買ってみる。
 今朝は、空身なので自転車の軽さを実感する。



 堤防の上の道は走りやすいので、時々レーサーが猛烈なスピードで駆け抜けて行く。教会のカリヨンが聞こえる。
 40キロを走って宿に戻ったら、フランツがほんとうに迎えに来てくれた。彼のオペルで De Hoge Veluwe 国立公園に向かう。広大な公園なので、車をパーキングして白い無料の貸自転車で回る人や、そのまま車で乗り入れる人など、様々だ。
 昔、クローラ・ミューラーという大金持ちの「お狩り場」だったという広大な領地は、よく手入れされ、現在は国が管理している。森、草原、砂漠で広く、「ハンティング・コテージ」まであるが、まるでお城だ。5000ヘクタールと、とてつもなく広く、サイクリングパスだけでも40キロあるという。ヘンリー・モアーの彫像もある。
 公園内のミュージアムに入る。多くのコレクションがあるが、お目当てはゴッホだ。1883年のゴッホの絵の顔の表情は何故か消されている。彼の絵が30点近くあり、そのなかには有名な「自画像」や「アルルの跳橋」もあり、彼の絵を堪能した。
 博物館を出たところでロンドンとニューヨークから来た若いサイクリストと話をして写真も撮りあった。街に戻ってフランツが生魚を食べようと魚屋に連れていってくれた。店の一角で鰊の酢漬け(haring)を食べたが美味かった。
 その後、昨日のパブでウエストマーレを飲んだ。28歳の目の青い学生とも親しくなったし、すこし変わった画家とも仲良くなったが、むやみに名刺を渡すなとフランツに叱られた。その後、安い中華屋で日本でいうところの「焼きうどん」のようなものを食べさせてくれたが、旨かった。インドネシア料理だそうだ。明後日からフランス旅行をするというフランツを見送る。こうして、アーネムも忘れられない街となった。


 8月1日。今日はオランダ最後のサイクリングで、ディペンターの3キロ先にある友人ベハマンさん宅を訪ねる。彼とはドイツのメルヘン街道サイクリングの途上、ハメルン北西20キロのリンテルンという小さな街でふとしたことから知り合った。2004年6月のことだった。その旅でユトレヒトの当時のお宅を訪問し、以降文通し合っている間柄で、引っ越し先の小さな村デーペンバーンのお宅に招待されたのだ。

 雲ひとつない快晴のなかを2泊した安宿「レンブラント」の主人と抱き合ってから出発。
 しかしうっかりして自動車専用道路に入り込んでしまった。抜け出るのも容易でない。迷いに迷って脱出し、予定の道路に入ることができた。そこを走り中間地点の田舎町に入る。地元の人に道を尋ねたが、間違えて教えてもらったらしく道は川筋から離れて行く。
 昼休み、トラックドライバーのイタリア野郎から声を掛けられ、写真を取り合ったりして楽しんだ。彼は「あわてて行くな、まだ陽は高いぞ」と手振りで示していたが、ここらへんがイタリア的だ。15時、ディペンター着。76キロ。
 ディペンターで少し休んだあとデーペンバーンに向かう。小さな村デーペンバーン着17時、83キロ。友人とはスーパーの前で待ち合わせた。村はとても活気があり、日本の村のイメージとはまったく異なる。
 彼はヘアスタイルを変えていたので、はじめは分からなかった。深い彫りの顔立ちだけは覚えていたが、まるで別人だ。歳を取ったので、髪も白くなり、手入れしやすいからなどと言い訳とも聞こえる話しぶりだ。まず彼は築10年のこの家を50万ユーロで買ったと話してくれた。日本円では約8千万円だ。相当に安い買い物だと分かる。敷地は750平米というから、かなりの広さだ。首都圏ではこの値段では敷地はおそらく数分の一だろう。夫婦2人で暮らすには十分すぎる家だし、広い庭が付いていて、彼の自慢の池まであり、カエルが驚いて池に飛び込む音がほほえましい。野菜やリンゴなど果樹などがところ狭しと植えられている。
 庭の片隅には倉庫があり、大型の庭いじりの道具もそろっており、温室には大きなズッキーニが育っている。オランダの土地の価格は安く、こんなすばらしい家が手に入る。高くはないが、豊かなくらしができるのは日本と大違いだ。

 家の内部も清潔で、2階には二つの客用寝室があり、ときたま訪れる息子さんたちのためという。奥さんの趣味のための部屋、彼の趣味のための部屋があり、週のうち2日はパソコン部屋で仕事をこなし、4日だけ会社に行けばいいのだと話してくれた。
 夕食は料理はカレー風シチューとサーモン、ウナギ、カニに庭の野菜を添えたもので、とても美味だった。食事をしながら明日のサイクリングのことなどを彼と話していたが、途中からは奥さんがいろいろと旅の途中の出来事や東京の暮らしのことなどを聞いてきて、ワインを傾けながら、10時半ごろまで楽しい会話が続いた。ここではユトレヒトと違い、生魚はトラックで売りにくるのを買うので、毎日は手にはいらないのだという。僕が3年前の鰊の酢漬け(ハリング)がとても美味しかったことを思い出していると云ったときの答えだった。食後、あてがわれた部屋に入ってすぐに眠りこんでしまった。

 8月2日。今日はベハマンさんの案内で、川沿いを走りたいと願いでた。つまりおまけのサイクリングだ。ここまでのサイクリングでブルージュからは500キロを越え、イギリスを含めると全体では1400キロを越えてしまっている。
 まず村を1周したが、5キロにも届かない小さな村で、14世紀からの教会もあるなど、古い歴史をとどめており、それが今日でも活気のある村として息づいている。日本の村の現状について彼に話してみる。
 途中の村の店で輪行材料のバブルラップとテープを求めたが、彼はお前はゲストだから、払わなくてよいと代金39ユーロを受け取らなかった。申し訳ないと思う。おまけに家に置いてくるからここで待っていろと云ってくれた。村には週何日間か開かれる図書館など、静かな村には主に中流の広い家が建っているという印象だった。
 中心の街ディーペンターとその周辺の村を併せても人口は10万人には満たないという。
 道すがら時たまサイクリング用の地図標識があり、現在地が簡単にわかる仕組みになっている。ポイント番号を地図から探しだせばいいだけだ。サイクリング協会や自転車関係の会社がサポートしている。
 今走っているのは昨日走れなかったLF3 で川にはライン川から入ってきたドイツのボートもいるよと教えてくれた。なんでもここからアムステルダムに行き、さらにロッテルダムに回ってライン川に戻ることもできるという。水流は時速10キロほどの急流で泳ぎは危険だという。
 牧場には鶴が4羽いた。ここで子育てをしてまたどこかへ渡ってゆくという。ルートは農道を通過してジッペンに向かっている。




 ジッペンの街では川辺で彼とパンを食べ、その後街の中心部のバザールでハリングを味わい、少し寒くなってきたのでチョコレートを飲んだ。彼はバザールでマッシュルームや野菜の苗などを買い込んでいた。
 あるところに「カナダ人の橋」と記された橋が架かっていたが、1945年にカナダ兵がこの橋でナチスの侵入を食い止めたという。ヨーロッパの60年前の歴史も刻まれているのだ。こうして今日は62キロを走った。
 夕方、自転車を分解し、買ってもらったラップで包んだが。1時間ほどで完了した。これで明日は楽になる。 
 夜はワインを楽しみながら、トマトフェーリーヌという料理を御馳走になった。ポテトを底に並べ、キューリ、トマト、2種類のチーズを上に載せてオーブンでこんがりと焼いた料理だったが、マッシュルームのスープとともにとても美味かった。なんでもフランスの家庭料理で、ここ10年ほどの間にオランダでも普及してきたという奥さんの話だ。


 8月3日。帰国の日。朝食後、ジャガイモが切れたので買いに行こうと彼が云う。オランダの自転車に乗ってみろと云われ、例のハンドルブレーキのないタイプだ。ペダルを逆回転させるとブレーキが効くのだが、慣れないとタイミングや力のいれ方が難しい。でもいい経験をさせてもらった。すこし走って、彼が懇意にしている農家に着いた。ジャガイモは5キロで3ユーロ少々で、とても安い。この農家には赤いドアの付いた愛くるしい小さな小屋や上下に動く茅葺き屋根の干し草置き場、干し草倉庫、大きな農機具が何台も入ったガレージ、それに20台のキャンピングカーが憩っている。キャンピングサイトも経営しており、かなりの規模の農家だった。


 11時になったので、彼と奥さんに挨拶をして写真を撮って別れたが、感謝の言葉が言い尽くせないもどかしさを感じる。ベハマンさんの車で駅に着き、彼は自転車をわざわざホームまで持ちあげてくれた。
 1時間半ほど列車にゆられスキポール駅に着く。空港で少し時間をすごしたあと、輪行姿の自転車を預け、まだまだ青空と白い雲が広がっているオランダの夕空に機は舞い上がった。

<追記>
 2004年の夏に北ドイツからオランダ中央部を自転車で走ったことがある。オランダはドイツとともに自転車大国であるが、両国の自転車対策の現状は微妙に異なっていることを実感した。ドイツはどちらかと言えば、国民のレジャー促進といった位置づけで、中高年のサイクリングが大流行だった。オランダは生活・・・つまり街における市民の足としての自転車の位置づけが徹底していた。
 オランダでは発達したサイクリングマップも利用したが、決め手はGPSのトラックデータだった。最近のアウトドア活動にはGPS利用が常識となっているが、サイクリングにGPSを利用する人も増え始めている。そのことをオランダに住む友人に伝えたところ、オランダにおける野外活動で蓄積されたGPSデータを蓄積したサイトがあることを紹介された。
 クルマ、バイク、自転車、MTB、ウォーキングなどのジャンル別に、またオランダの地域別にデータが整理されているこのサイトには、有名なサイクリングのロングコースを走った誰かのデータがストックされている。また、まだ少ないもののオランダ人がフランスやスペインに行ったGPSデータなどもあり、将来的にも利用できるサイトである。
 今回、オランダ国内を走るルートをこのサイトからダウンロードし、組み合わせてみた。つまり、オランダ人が過去にサイクリングした、その轍を辿って走ることになる。これは不案内な外国人にはうってつけで、姿はみえないが、地元のガイドが先導してくれているようなものである。


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