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    イタリアの交通環境と自転車

 イタリア、特に南イタリアは人気のエリアなので、サイクリングしてみたいと思う人も多いと思う。そこで自転車で旅する場合の交通事情などを、最初にまとめておこう。
 イタリアはスポーツ自転車が盛んな国で、実際、現地で有名な自転車レース「ジロ・デ・イタリア」の前哨戦にも遭遇したが、これは警察によって道路が封鎖される特別な扱い。


 イタリアでは、週末には多くのサイクリストが一般道を行き交っている。自転車は右端走行で、クルマも走る日本と同じ環境だ。ごく一部に「サイクリング専用道路」も存在するが、多くは一般道だ。
 平地では日本のママチャリ同様、移動手段として自転車に乗る人もたまに見かけるものの、フェラーラなど自転車が盛んな一部の都市を除いて、一般的にイタリアは都市が丘の上に存在する場合が多いので、一般的交通手段としての自転車は普及していない。その代わりの交通手段はモーターバイクで、典型はナポリ。
 クルマやモーターバイクのマナーは自己中心的で、右側通行のルールに従って走っているボクの自転車の右側を追い越すモーターバイク、ウインカーなしの直前右折、後方確認なしで左側ドアが開くなど、度々、事故寸前の「ヒヤリ、ハッと」を体験。ローマも同じ。


 郊外では、クルマのマナーは概ね良いが、道路も良いので高速で飛ばしている。右端走行が基本で、ふらつきは危険。高速道路兼用の一般道も自転車走行できる。


 列車やバスでの移動…都市間特急の場合、自転車は分解して袋に入れる「輪行」が必要。ただし車内の置き場は「デッキ」しかない。自転車をそのまま乗せられるのは自転車マークがついたローカル列車のみで、自転車料金が必要。乗車券と自転車券をセットで購入し、列車の先頭または最後尾に連結された専用車両に乗せる。
 バス(パルマン)は「輪行」のみ可能。荷物の積み降ろしにドライバーは関与しないので、乗客がトランクルームドアの開閉も行う。
 フェリーや客船の場合は、自転車をそのまま乗せられる。有料が基本だが、たまに無料(ナポリ-パレルモ間夜行便)もある。

 ついでにホテル探し…基本は、予約はしないで現地到着後にホテルを探すスタイル。この方法でホテルがなく、途方に暮れたことはない。一般的には3星ホテル(朝食付き4-50ユーロ)を選ぶが、ホステルや全く宣伝していない穴場的ホテルも利用した。国際交流組織Servasのメンバーなので、現地の会員ホスト宅に宿泊し、積極的に交流した。文中の現地の個人名はServasのメンバーでボクを受け入れてくれた人たち。


   シルクロード自転車隊ローマへゴール

 ボクがシルクロード雑学大学の自転車ツアーに参加するのは4回目で、今回はゴールのローマを目指す。
 4月10日に日本を発ちメンバー15人とボクのランドナーは出発地である昨年のゴール地点ザグレブ(クロアチア)に到着。
 スロベニア人女性ガイドの案内でザグレブやクロアチア海岸部のリゾート、リエカを観光したり、体調を整え、13日にはバス旅行の一人を除いて14人がスロベニアを目指してスタートした。
 気温8度。ザグレブ郊外から10キロも走ると国境だ。だが、ここは地元向けの検問で、EUは別の検問に回れと、さらに12キロ迂回させられる。チトー大統領の生家があるコムロベッツから国境を越え、スロベニアに入国。
 小国スロベニアは旧社会主義時代には「バルカン半島のショウーウインドウ」的存在で、ノボメストの街では当時のアパートを嫌って戸建てに移る市民も多いという。
 クルカ川の斜面に広がるブドウ畑が美しい山里をたどって首都リブリャナへ。街のシンボル、ドラゴンが迎えてくれた。
 雨は降ったり止んだりで、バス移動のあとクルシサまでサイクング。国境の街ゴリッツァでイタリアに入国。



  4月16日。バスでアクレイアへ移動。ローマ時代の遺跡が眠るロムルス・レムルス兄弟復元像などを見て、海抜10m地帯をベネチア目指して走る。青空のもと、家々の壁、屋根の色、緑が輝くアドリア海のカオルレに到着。翌日は水上タクシーでベネチアに渡り、観光に明け暮れる。
 4月18日。ベネチアを海上から眺めながら、フェリーで蛇のように細長いリド島に向かう。ここからミミズのようなパレストリーナ島へとフェリーで繋ぎながらサイクリング。イタリア版しまなみ海道の趣きを体験して本土のチオッジャに上陸した。
 4月19日。自転車が多い世界遺産の街フェラーラを通過してボローニャへ。途中、ポ一河流域で突然の雨。サイクリング中断。迷路のボローニャは駆け足観光となる。


 4月20日。ボローニャからアペニン山脈の海抜963mのラティコーサ峠を経てフィレンツェへ。イタリアの脊梁山脈を越えるのに4時間ほど必要だった。
 4月21日。標高580mのトスカーナ丘陵を越えて、オリーブやブドウ畑を見ながらシエナに向う。途中、自転車レース「ジロ・デ・イタリア」の前哨戦に遭遇。世界遺産シエナは坂の街。歩いて見て回る。
 翌日も緑の競演のなか世界遺産「トスカーナの緑の谷」を走ってキウージへ。丘ごとに点在する農家も面白い。
 原種シク​ラメンが咲き誇る山道を辿って絶壁に囲まれた山城オルビエイトへ。アペニン越え以降、イタリア中部は丘の​連続だ。


 4月24日。ヴィテルボからバスで登った標高900mの丘の上​は視程10mの濃霧。ブラッチャーノ湖を経由して、ローマ郊外ラストルタに到着。バスでホテル到着後、コロッセウムまでローマ市内を3〜4人の​グループで走り、ローマ到着をたたえ合った。こうしてローマまで750kmを走行し、20年間にわたるシルクロード自転車隊のツアーは完結した。
 4月25日。初夏の陽気に変わり、観光日和の中、ローマ観光。翌朝、帰国するメンバーをホテル前で見送る。


 初夏のナポリ

 4月27日。ローマからは南イタリアを巡る自転車一人旅。ローマ郊外からナポリ郊外のビラ・ビテルノという田舎駅まで列車で移動。ここから自転車でナポリを目指す。途中、何台もの黒い肌の自転車とすれ違う。アフリカから来た人たちだ。


 坂が多い街ナポリでは、クルマとバイクの警笛がうるさく、歩道をふさぐ駐車で歩行者も歩けない、下層の街が連なる。
 急坂を登ったアパートに住むマリアさん宅で2泊する。アパートは豪華マンションなのだが、2人の息子はともに現在無職。イタリア経済を反映している。マンションのベランダからは高層ビルが立ち並ぶナポリ市内とナポリ湾が一望できた。ナポリはアフリカや東欧、それにスリランカからの移民が増え、彼らはサービス業など安い労働につくのもたいへんという。


 翌日、ナポリ市内を自転車でポタリング(散策)する。ピザ発祥の地ナポリの1923年創業のピザ屋で、とろけるチーズ、酸味のあるトマトソースのマリゲリッタ・コンポロボーガを注文したが食べきれない。
 ヌオヴォ城やナポリを防衛した卵城を見る。卵城の屋上からは、ナポリの街並み、サンタルチア港、沖を行く白帆の群れが見渡せる。海岸沿いでは甲羅干しをしている女や海に飛び込む若者も居て、もう初夏の雰囲気。




   巨大フェリーでパレルモへ

 パレルモへ向かう巨大フェリーは夜のティレニア海を滑ってゆく。夜明けには300キロ先のパレルモに到着し、両手をあげた女性像が迎えてくれた。市内のどこからでもペッレグリーノ山の頂のウットヴィエッジョ城が見える。パレルモの旧市街をポタリング。


 クルマも入れない路地裏市メルカートやノルマン王宮のパラティーナ礼拝堂を訪れる。内部はキンピカ。礼拝堂内には微小のタイルで波瀾万丈の布教の歴史や戦いが極彩色で描かれている。その技術と執念に圧倒される。古代戦車像が建物の上に載っているガリバルディー大劇場や近くの青空市場を冷やかす。夕食の石鯛のバター焼きは美味かった。香草にレモン添えだったが、バルサミコをかけて楽しんだ。



  マフィアの影

 5月1日。パレルモ大聖堂を横に見ながらモンデーロに向かう。大聖堂には観光客が群がっていた。その前で3輪観光タクシーが客拾っている。
 今日はメーデーで、イタリアでは休日。たくさんのパレルモ市民が輝く海浜モンデーロに押しかけている。たいていは甲羅干しだが、なかには泳ぐ若者も。雑貨市にはアフリカの民芸品も売られていて、シチリアはアフリカが近いことを実感。
 夕食はロブスターの半身を使ったスパゲティー。キシメン状のスパゲティーにロブスターの卵を混ぜてあり、ロブスターのコリコリした食感もたまらない。


 翌日、レモン街道を行く。長さ9センチほどの大きなレモンをもいで食してみた。瑞々しい。途中のゴミ集積所はゴミがあふれ返っており、ごみ問題が深刻な様子。52キロ走ってトラッペートの村に到着。
 村ではガブリエラという写真家夫婦の家を訪問。なにもない村だが、真っ青な海が目前に広がっている。与えられた部屋に強い海風が当たる。

 

 夫妻の案内で農家に行き水牛から作ったモッツァーレチーズを買ったり、シニシという街でマフィアと闘い爆弾テロの犠牲となったペピーノ青年のメモリアル的な家を訪れる。ガブリエラ自身も反マフィア運動に関わっている様子でシチリアに来て早くもマフィアの存在とそれと闘う人々に接することができた。



  波静かな地中海

 2日間滞在したトラッペ−トと別れを告げ、シチリアの最西端マルサーラに向かう。太陽はギラギラ、目はクラクラ。眩しい。山の中腹に大理石の切り出し現場が見える(写真)。薄い緑の斜面に白い大理石の幾何学的な切り口が露出しているのが面白い。



 トラパニーを過ぎたところに塩田があった。結晶を舐めたら辛さが凝縮していた。
 ワインで有名なマルサーラ。街中、ワインショップだらけ。ワインの利き酒屋に入った。小魚の酢漬け、トマトや色んな野菜のペーストをパンに載せた「つまみ」を食しながら好きなワインを試す仕掛けで、お洒落な楽しい店だった。
 マルサーラではカルタゴ船や眠っていたビーナスを見た。地中海を行き来していたカルタゴのイメージが膨らむ。



 ルートは東に向った。果てしなく広がる波静かな地中海だ。地中海を望む坂の町シャッカも美しく、活気がある街だった。モロッコからの観光客も居たり、北アフリカとシチリアは地中海を隔てた交流圏なのだ。

   「神殿の谷」と天上の街

 5月6日。気温36度と暑いなか、アグリジェントの神殿へ。「神殿の谷」と記されているが、神殿は丘の上にあり、青空をバックにコンコルディア神殿がそそり建っている。アテネのパルテノン神殿に次ぐシチリア最大の世界遺産だ。古代人の気宇壮大さに圧倒される。


 翌日、約60キロ先のカルタニセッタまでバスに乗り、そこからエンナに向けて自転車を漕ぎだす。山から降りてきた道路が高架橋と繋がっておらず、途方に暮れていたら、農民が深い水路を越えてトラクターの泥道を案内してくれ、無事高架橋につながる土手をはい上ることができた。
 エンナへは標高差320メートルの日光のイロハ坂のようなヘヤピンを時速6キロでシコシコと標高974メートルの天上の街に登り切る。
 エンナからシチリア陶器の産地カルタジローネを目指す。空気は冷たいが、太陽は熱い。丘上の街カルタジローネ。街の中心部に約200段ほどの長い階段があり、幅広い階段に鉢花をアレンジして巨大な花の情景を演出している。

 

 街のあちこちにバロック時代の建物が聳え、サンフランチャスコ橋の陶器のタイルも味があった。陶器を売る店ではシチリアを表す3本素足のトリナクリヤ、ギリシヤ神話のメドゥーサなど、絵付けして売っている。

  エトナ火山とカターニャ


 5月9日。雪をかぶったエトナの噴煙が数10キロに渡って南へ長くたなびいている。平坦地を一路ラグーサへ。さらにモディカへ。開発規制が厳しい世界遺産モディカの斜面に広がる街の様は圧巻だった。
 翌日、山を下って海岸部のシラクーサに向かう。久しぶりの海が眩しい。



 5月11日。午後の列車でカターニャへ。カターニャは、数年前に我が家に1週間滞在したイタリア青年セルジオの故郷で、彼の両親宅を訪問。当時、彼が日本から自転車で10カ月かけてインドまで旅したのをボクは東京でサポートしたのだった。
 両親の家で、ロンドンに居る彼とテレビ電話の「スカイプ」で話したが、精悍な顔つきに変わっていた。彼の母親が作ってくれたパスタは太めで炒めたナスの輪切りが絡めてあり、飽きのこないイタリア家庭の味だ。居心地がいいので2泊させてもらった。
 カターニャは、標高3323メートルのエトナ山の噴火によって過去に9回もの大災害を被っている。古代ギリシャやローマ遺跡、バロック建築が多く残り、世界遺産が多い。このうちベッリーニ劇場、カターニア大聖堂、象の噴水、ウルシーノ城などを見る。午後、暑かったので、初めてシチリアの透明な海で泳いだ。身が引き締まるような冷たさだ。
 シチリア周遊の最後はタオルミーナまで走り、そこから列車でメッシーナへ。本土へは鉄道フェリーで渡る。


 
  イオニア海と洞窟住宅


  メッシーナ海峡の幅はおよそ10キロ。列車からフェリーのデッキに出て、見晴らしの良い海峡の写真を撮っている間に本土側のヴィラ・サン・ジョバンニ駅に着く。IC特急はここから長靴の先の急斜面と海辺の細い空間をのろのろ走り、山を過ぎると、時速170キロ近くで飛ばし、分岐点のラメジア・テルメに着く。
 長靴の足指の付け根あたりのイオニア海側のカタンザロ・リドまでの30キロは代替バスだ。1両だけのワンマンカーに乗り替えて開発から取り残されている感じのうらぶれた漁村が見えるイオニア海を移動して400キロ先の、シバーリに着く。
 翌朝も鉄道を乗り継ぎ、メタポントの田舎駅から自転車でマテーラに向かう。
 標高400メートルのマテーラの街の裏手には、巨大な谷に面して世界遺産のサッシが広がる。サッシとは、古代人の洞窟住居と、その上に築かれた石灰岩の建物が渾然一体となって広がっている地域全体を指す。一言で表現すれば、人間のための巨大な蜂の巣だ。8世紀頃ギリシアからの修道僧が洞窟に住みついたのが始まりで、その洞窟に4000人を呼び戻す計画という。「洞窟に住みたい人、大歓迎!」だ。




 
  ターラントからアルベロベッロ

 山を下って大きな街ターラントへ。コンテナ港もあり、産業も盛んな様子。街の入口の海辺には大砲を構えた立派な城があった。風が出てきて、静かだった海は波立ってきた。
 ターラントからは、世界遺産のトゥルッリが密集しているアルベロベッロを見てから、さらに40キロ先のアクアヴィバ・デル・フォンティという街に行く。
 お伽の国に迷い込んだ感じのアルベルベッロ。トゥルッリは大昔の税金逃れが始まりとされ、石を円形に積み上げただけの小さな家だが、洞窟住宅と同じで住みにくそう。トゥルッリそのものは周辺の村々にも広がっていて、この伝統的な石の住宅をわざわざ建てる光景も見られた。
 途中、大雨の中でパンク。雨宿りさせてもらった大理石の加工場でチューブ交換して、アクアヴィバ・デル・フォンティへ。招待してくれたのはフランチェスコという洒落たシティーバイクのショップ経営を始めたばかりの人物で、ショールームの2階の部屋を提供してもらった。売りものの自転車は東京では公道を走ることを禁止しているブレーキなしのシンルグルギアがほとんどだ。
 フランチェスコの案内で街の公立デザイン学校を訪れる。バーリのコズマさんが写真技術を教えている学校だ。授業中のコズマさんの教室でボクは生徒達に紹介され、イタリアを自転車で巡っている話をして、高校生達から大いに受けた。午後、小学校で「羽ばたく折り鶴」を小学生たちと折って楽しく遊んだ。





    アドリア海のバーリ

 5月19日。アクアヴィバ・デル・フォンティからバーリへは快適な走りだった。アドリア海がキラキラ輝いている。歴史地区のドーモやスベロ城を見学し、海岸に出ると、男が樽を転がしながら獲ってきた烏賊を洗っている。坊やが海水を汲んできて、それを手助けをしているほほえましい光景に出合う。
 二枚貝をナイフで割ってむき身の餌を用意している人、魚を餌にタモ網にバイ貝を誘い込む人、ムール貝を売りに来る人、それを選別する人など浜の風景も様々。
 街の露地裏では道端で日光浴をしながらパスタを作っている女性達がいた。直径8ミリ、長さ2センチに切った麺をナイフで手前に引っ張ると不思議なことに二枚貝の片割れのようなパスタが出来上がる。目をつむって日光浴をしながら、手だけはせわしく動いていた。



 翌日、泊めてもらったコズマさんとポリニャーノまでドライブ。岸壁にできた洞窟が有名で、観光客も多く、落日の光線が断崖に反射して美しい姿を際立させていた。「ボラーレ」で有名な歌手ドミニコ・モデューノの故郷だ。両手を広げて歌う彼の銅像が建っていた。

 その夜、コズマさんがパーティーに誘ってくれた。音楽大学の教授や奥さんの友人など、10人ほど人々が集まったが、全員が揃ったのは夜中の11時前。キノコのパスタの前菜、メインは茹でたステーキの酢漬けで、どちらもコズマ夫人の手料理。散会したのは午前1時半で、コズマさんは半分眠いボクに「これがイタリアだ」と話した。ボクはソファーの上で眠りに落ちた。
 翌日、コズマさんとバーリの港まで自転車を走らせ、ヨットハーバーに行く。ここで、コズマさんの友人にパペロットという小型ヨットに乗せてもらう。ライフジャケットを着け、裸足でヨットに乗り込み、港内を往復する帆走を楽しんだ。翌日、バーリからバスでサレルノへ南イタリアを斜めに横断する。


     アマルフィ海岸

 5月22日。イタリア本土の西側に位置するテレニア海は、コルシカ島、サルディーニャ島、シチリア島に囲まれている。アマルフィは、中世にベネチアと覇権を争った海洋都市で、今はカプリへのフェリーなど観光の拠点だ。
 海岸線から標高差50メートルの断崖に作られた道路に沿ってアマルフィーを目指す。途中、小さな陶器の街を通過。美しい海岸線に驚く。静かで、透明な海。
 叩きつける雨で路面が煙るほど。でも、一つのコーナーを回る度に素晴らしい景観が現れる。道はくねくね曲がっているので、バスも絶えず警笛を鳴らしている。正午、雨が上がったアマルフィーに到着。3度も凄い雨にやられたが、それを上回る美しい海岸線で、素晴らしいサイクリングとなった。



 カプリへ渡る船も荒天で欠帆。足止めされた街の中心部には見上げるようにそびえるドウオモがあり、その近くのレストランで海鮮料理を食した。海の幸盛りと、アサリとムール貝のオリーブオイル蒸しだ。ことさら美味かったのはアサリとムール貝。


 翌日も波が高くカプリ行きは欠航。自転車でソレントを目指す。朝日が反射する岬や、港の光景は息を飲むようだ。道路は標高100〜200メートルの崖の中腹に造られている。崖にへばり付く家々。ときおりサイクリストも行き交う。ダイナマイトで爆破しただけのトンネル。群青色の海と真っ白な波しぶき、崖上の墓(写真)など…。表現力の貧しさが歯がゆい。
 峠から標高差300メートルの急坂を下り、ソレントへ。ナポリから、船、バス、列車で大勢の人が集まってくる。市内はもの凄い観光客だ。

  ソレントからローマへ

 ソレントからナポリへは「通勤船」に乗る。ナポリ市内の危険な道路を慎重に走り、郊外の海岸でほっと一息。ローマへと最後の走りのつもりだったが、途中で落車。


 
  それでも次の街まで走らなければならないところが辛い。のろのろとローマへ。なぜ落車したのか、頭部を強打したため失神し、前後の記憶を失ったのでわからない。ヘルメットが犠牲になってくれた。風景は単調で、ソレントで止めておけば良かったと後悔する。
 途中、一部区間をバスで移動して、なんとかローマ空港の近くの街に到着。ホテルで自転車の「航空輪行」の用意をして、翌朝タクシーで空港へ。ボクのイタリア自転車旅2200kmが終わった。帰国後の検査で肋骨が2本折れていた。(了)

 


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